ある特定の出来事がきっかけとなって、
一連の思考にはまってしまうことがある。
私の場合、そのトリガーは親からの電話で、
いつも一連の思考にはまってしまい、
最終的には、人間は、というよりも私は、
結局のところひとりぼっちなんだという結果にいきつく。
何のために生きているのかとか、
何が楽しくていくているのかとか、
そういった事を考えだすと、
こうして生きて生活していること自体がひどく無意味に思えてきて、
かといって積極的に死にたいとか思うわけではないのだが、
どこを私自身の人生の拠り所にするればいいのかが分からなくなり、
ひどい虚無感に襲われるのだ。
私はもう30を目前にしたいい大人だし、
毎日仕事にも通って贅沢をしなければ普通に生活できるだけの稼ぎはあって、
この歳になってもまだいまだにそんなことを考えている自分に嫌気もさす。
親とはうまくいっていない。
かといって、悪い関係というわけでもない。
『関係ない』
生物学的には、子孫を残すこと、が生の命題なのではないかと思う。
しかし私は、自分の家族を振り返ったとき、子供をつくることに恐怖を覚える。
つまり、子供を作る気がない私の生は、生物学的に言っても無意味な生なのではないか。
そんな無意味な生を、
酒を飲んで騒いだり、おしいしいものを食べたり、
やりたくもない仕事をして金を稼いで時間を浪費して終わらせていく。
本当に無意味だ。
自分の生の拠り所を、見つけたいと考えている。
人により様々な拠り所をきっと持っているのだろうと思う。
よりどころのない生を全うするほど人は強くないと思うのだ、私は。
何を拠り所に生きればいいのか、10年弱考え続けていまだに分からない。
そんなことも考えずにのうのうと生きていられる人を羨ましいと思う。
生物学的には、子孫を残すこと、が生の命題なのではないかと思う。 すべてにおいて、答えなんかないよ。 自分がどう考え、どう行動するか、生きるのかは自分次第で、それに意味を...