はてなキーワード: 吉田太郎とは
夜店といっても、お祭りの屋台、稼いだっていっても1祭り1000円くらいな小学生時代の話。
小4のころの俺の家は給食費がなんとか払える程度に貧しくて、とてもじゃないが近所で行われるお祭り用に金なんてくれる余裕なんてなかった。
ということで、前年、年子の兄と三歳下の妹がお祭りに行ったときなんか、妹が金魚すくいをずっと眺めているものだから哀れに思った兄がなけなしのお年玉の残り分で
金魚すくいをさせてやって、案の定取れなくて、でも金魚はもらえて、そして案の定、家に持って帰って返してきなさいといわれて兄妹が号泣している様を家で見た時には、
子供心にさすがにこれは悲惨だと思ったわけだ。俺はこの環境は自分の手で変えなければいけないと決心した。兄たるもの金魚すくい位は安心していくらでもやらせてやらねばならない。
思いついたのは、みんなたこ焼きもヤキソバもお好み焼きも食べたいという選好をもっていてそれをかなえるサービスがあればそこにお金が発生するんじゃないかというものだった。
祭りに金を持っていくものだと知らなかった頃、友達2人と祭りに行ったとき結局、食べ物を分けてもらうことになり、情けなかったけどこれ一番得しているの俺じゃね?と思った体験が決め手だった。
これだ、ヤキソバを買うやつとたこ焼きを買うやつを媒介すればいい。これに10円の手数料をつけたら、俺は金を手にすることが出来る。
まず、俺がはじめたのは、1か月前から祭りについての話題をクラスですることだった。パイを広げなければ、手数料ビジネスは成り立たない。
俺は祭りのチラシを教室のロッカー棚の上に置くなどの策も弄した。幸い、クラスでそこそこの発言権を有していた俺のおかげで、今度の祭りはすごいと雰囲気がクラスに満ち溢れ、
それは隣りへ、さらには学年をまたがって伝播すらしていった。さて、ここからが本番だ。
おれはまず友達5人を集めた。そして、例えば、お好み焼き買って、その半分と相応分のたこ焼きを交換したい吉田太郎君に、
吉田太郎お好み焼きたこ焼きと中央に書いた紙の切った左端を渡した(いわゆる勘合札)。
もちろん、友達には金を徴収しなかったが、この右端を10円で買う人を見つけるのが俺の次の仕事となった。
さて、必死さのおかげで5人にこれを売ると、なんだかあいつ商売しているぞという雰囲気が学年で認知されるようになった(同学年に売ってたからだが)。
僕、私もこれ交換したいんだけどというニーズが来るようになると機は熟したと言っていい。つまり、左端を金をもらって獲得するできる時期が来たということだ。
そして、必死の営業のおかげでどのような右端ニーズがあるかも分かっている。仕入れからも金をもらい、それを売る、黄金のサイクルが形成された。
こうした経済活動は、左端側を得た(条件を提示した人間)の要求を叶えるため、右端探し(条件を受け入れる人)を学年を超えたものとする。
兄の活躍もあってか、販路は小5にも拡大、一部の小3、小6マーケットを獲得した結果、俺と兄は100人のマッチングに成功し、1360円を稼ぐことに成功した。
祭りの日は愉快なものだった。わずかに余った左端のニーズに応えることもあって、俺はヤキソバを買い、半分をたこ焼きと交換した。
そして、10円を介することなく友達と食べ物を分け合い、そして、兄と一緒にお祭りに来ていた妹に金魚すくいを2回(兄から俺から1回ずつという形で)させてあげた。
やっぱ取れなかったし、そして今回は金魚もらうのを妹が断ってたので家で金魚が飼われることはなかったが、それでも楽しさは減ずることがなかった。
必死になってお金を手にしてよかった。情けなさもなしにおいしい食事と祭りを楽しめていることが最高に嬉しかった。
結局、最高の一日のあと、やはり俺の行動は問題となり、3,4か月して給食費が払えなくなったのが決め手となり、