はてなキーワード: プラスマイナスとは
じゃあレスする。
俺は完膚なきほどの負け組だが、あなたの言う「負け組:精神的に不満足な者。人に対して僻みや劣等感を常に持つ。」は当たっている。今の俺がそうだからだ。周囲に劣等感ばかり感じているし、まさに「貧すれば鈍する」だ。
一方で、「人は人、自分は自分」という考え方もできている。人に流されてばかりではいけないと考えている。人からの意見を求めたい。今まで意見されたことすらないから。今度からは様々な会社を受けるつもり。何がやりたい、とかわがままを言っているゾーンでもないので。
勝ち組的要素よりも負け組的要素が本人の中で勝っていた場合、それは負け組的思考に繋がって負け組スパイラルになるんじゃないかな。何か勢いだけで書きなぐったから意味不明だったらごめん。
追記:
結局、プラスマイナスでマイナスが多いと負け組思考、プラスが多ければ勝ち組思考で、お互い少ない部分を意識しないってことだと思う。
男って相手の年齢を「絶対年齢=生まれてから何年経過した肉体か」で判断するけど
女って相手の年齢を「相対年齢=自分の年齢を基準にしてプラスマイナス何歳か」で判断するから。
って言っても女性は絶対に納得してくれないけど。また特に男自身がこのことについて無自覚だったりするし。
あ、うんそうねえ。同年代としか考えてなかったわw 同年代っていうと(自分プラスマイナス3~5)くらいになるのかな。
##追記;
##当ブログの後半に、自分なりのまとめも書いておきましたので、良かったらどうぞ。
##昨日書きたかったけど眠たくて落ちてしまい、書けなかったことを書いたので。。。
##これを読む人達に、一番伝えたいコトだったんで。
を書いた増田だけど。
ブクマが沢山ついてびっくりした。
でも、良く考えれば、エホバの証人って自分を語る人は少ないはず。だって、自分が書いたように、宗教討論なんて避けるからね。
「あなたの信条を聞きたい」って人には喜んで話すけど、「俺の信条を聞いてよ、君はどう思う?」って言ってくる異教徒には警戒モード、防衛モードに入り、あわよくばその場で心の中で「神よ、試練に耐える力を私に下さい」と祈り始める(※本当です。二世なら解るよな?な?)人達なので。
それを、変とも思わないし、当然って思ってる。そういう概念なんだから、しょうがない。
だから、おいらみたいに、ドロップアウトしようとしてる人、もしくはした人しか、こうした場で話すことはないだろうと思う。
もし、現役でこうした場で話す人がいるとしたら、かなりの幹部とか、そういうバリバリの人で、あなたの家の近所にいるかも知れない身近な人は出てこないよ。
特に女性は公の場で語るのは非とされとるんで、女性なら尚更。まず聞けないだろう。
まぁ、それはさておき、ブクマコメントに自分なりにちょっとコメント返ししてみたい。
コメ返し対象のブクマコメントは下記の二つに寄せられたコメント
討論ではなく説得(証言と言う。証言?なぜ?それは、エホバの証人=エホバの証言ってこと)はOKというスタンスなので、言い方によっては結果的に討論に応じるってことはあると思う。
例えば、「あなたが何を信じているか聞きたい」と言えばきっと証言にやってきます。
で、一通り話を聞いた後に「自分はこう思うんだけど・・・どうかな?」と言えば答えると思う。
ただ、その場合でもエホバの証人は「回答できない時は、調べてきますので今は答えれないと言って沈黙せよ」と教えられてるので、やっぱり突っ込んだ話はできないかもだけどね。
目的が「エホバの証人の話を聞く」ではなく「エホバの証人と議論したい」と判断されれば、来なくなっちゃうし。
追記:公開後に読み直しで修正している中、たまたまついているのを見つけたので、ついでにお返事書かせて頂きましたw
JWって結構明確に、リーダー(幹部)系と一般信者に分けられた扱いがある。
で、自分は幹部系で一時期はエリートか?みたいな勢いがあった。
自分みたいに若いうちから幹部系に持って行かれそうなタイプは、自分みたいに考える人も結構いるようです。
ただ、そう考えながらも慣れたら苦痛じゃないしって淡々と宗教やめない人も多いです。
自分の場合、好きな子がおかしくなったとか、そういうのなければやはり淡々とやっていたかもとは思います。
10年もやってりゃ、何でも習慣化して無意識にできちゃいますからね(家々に訪問する奉仕活動=布教活動とか)
ただ、習慣化するってのもある意味、自我が死んでると自分は考え始め、そう思った時から急激に多大な精神的苦痛を感じるようになりましたけど(自分と同じ経験は時々聞きます)
神の組織である以上、減るはずがない。減るとしたらサタンによる試練がはじまったという証拠である。つまり、聖書にある終わりの日が近いという予言が成就しようとしている!って解釈するんで、どう転んでも良い教理になっとる。
二世で脱退ではなく残るが側を選ぶ人は、一般人より組織に友達が多いってのが大きな理由の人も実際いる。ただ、そうなればそうなるほど、友達のために宗教辞めたくても続けないとあかん。
一旦信者になった後、辞めますと脱退届け(断絶と言う)を出すと、宇宙論争を知らないゆえに悪魔の側にいる一般の人より、宇宙論争を知りながら悪魔の側を自らの意思で選んだ一番最悪な奴、という解釈に基づき、徹底的な排他を受けます。
それがどれぐらい厳しいかっていうと、断絶した人と、信者は一緒にご飯を食べに行くというのも許されない。それが発覚すればその信者も警告もしくは追い出される。
で、これは親子の場合でも、可能な限り、断絶した子とは接触を避けるようにといった教理なので、二世の社会人でもない子供は恐ろしくて脱退など絶対にできないのです。
社会人になっても、幼い頃から仲良くしてた人、みんなが自分をシカトするかと思うと恐ろしいという、人間関係の恐怖心から残っている人も結構います(ソースは自分調べ)
ちなみに、組織のほうからクビにされることを排斥といいます。
行われる制裁は全く同じです。つまり、みんなで一斉にシカト攻撃。
断絶や排斥者は数年すると、「戻ってこない?私が悪かったですと認めれば復帰認めるよ」と、声をかけにいく仕組みも設けられています。
元信者だけど心はJWという人は結構多いです。あと、優しい性格の人が多いのでみんなからの一斉に拒絶されることに本気で参る人もいます。
元信者だけど心はJWという人は、何かにつけて不安定になっています。毎日毎日が罪悪感。
普段は意識してないけど、911のテロ事件をハルマゲドンの到来だと確信して、慌てて、神の側につくので助けて下さい!みたいな問い合わせが組織本部にあった・・・というのも有名な話。
ちなみに、排斥になるよーな人は3割ぐらいは、この宗教は嫌いだけど、宗教の中にいる人達はみんないい人なんだよなーって浮ついた心で居る時に、出来心で・・・とか、
うっかりミス☆(いや真意は知らんが)みたいなので、いきなり翌日に排斥措置とられて真っ青って人もいます。
そういう半端者は排斥システムで本当に参るので、以後は真面目に・・・ってこともなく、二回目する人も結構居る。
多分、不倫するようなタイプの人は何度もやっちゃうと思う。知らんけど。ごめん、この行はテキトーに書いた。
いや、その理解はちょっと誤解がある。これは自分の書き方がまずかった。面白く読ますためにちょっと歪曲してた。
「がんばってこの試練を乗り越えれば」ってのは結果であって、目的ではないんです。
詳しくは、http://anond.hatelabo.jp/20080723230708 の 回答03を参照してください。
最も、それでも結局はそゆことだろ?って言われたら、そうだねぇとしか言いようないけどさ。
現役でも目的と結果を勘違いして、マゾになる変態がいるのも一言付け加えときます。あれは見ていて最悪だった。
苦しいのは当然だ!アハハ!ってのはさすがにJWでもいかれた奴にしかいないよ。
残念ながらJWの教理上、増えることはないです。カミングアウトしはじめてる時点でそいつはもはやJWではない。形だけの奴ですよ。よってこれも、読書感想文みたいなもので、リアルタイムではないということを付け加えておきます。
そう、それをテーマにしたかったんだけど、歴史とかがテーマじゃないけど比率的に多くなってしまって・・・こうした考察を得てもらったのは当初の目的だったので嬉しい限り。結局、自分自身、その一人と言えますしね。
知らない方が幸せという言葉もあるので、プラスであるとも言えるのではないかと。実際、脱退したために一般社会の厳しさ、複雑さ、面倒さについていけず、エホバの証人にも一般の社会人にもなれない元二世も結構いる。ああ、こう書くとやっぱりマイナス面ばかりかなあ。
でも、どうして今の世は不条理なんだろうって鬱な人が希望を持つのが宗教の役割の一つではあると思うので、こういう仕組みは(宗教という性質上)しょうがないようには思います。
デメリット、問題点は同意だけど、プラスマイナスだけで簡単に片付けれない所が宗教にはあると思う。
他の具体例が、当ブログの上記で述べてる「断絶」というシステムです。
脱退自体は自由にできるようになってるんだけど、その場合の心理的制裁が半端ない。自由意志は尊重してますよ、責任は求めますがという側面は一番二世を悩ませてる性質です。自分もこれにはほんとうに克服するのに苦労した。
合わせてお読みあれ。
今度、見かけたら優しい言葉をかけてあげてください。
補足というか寝ぼけて中途半端に書きました。「リベラリズム」自体は初期より歪んだ形で持ってます。詳細は 当ブログの「断絶」の話とか、http://anond.hatelabo.jp/20080723230708 の 回答03とか。
具体的に言うと、以前より開放的に見えるけど、一方でますます抜けたくても抜けれない二世が増えているというほうが正確だったのかも、です。詳細は上記の通り。
現世救済主義は一時的に信者を増やすのには有効ですが、質の悪い信者ばかり集まります。
それで、今の世に救いはないと明言し、天国に希望持てと言ってしまう宗教もあるのかなと。個人的感想ですが。
自分の親友だった学会員も二世ですた。JWとは違う形で葛藤しとったのは印象的でした。そっちはそっちでいろいろおありのようで。
そうやね!「リング」に出てくる呪いのビデオって例えはいいね。書いたのは全体的な傾向とか、自分なりの考察や感想なんで、全てのJWがそうだとは言いませんよ→宗教論争。
ナチの件は自分はどうでもいいので検証してません。事実であるかどうかも興味ない。テキトーですんません。
そしてそれを自分の精神基盤としている人間には当然、理論で話し合うのは難しいのです。
相手の話を聞いて、相手の価値観(もはや異国の異文化同士の交流と同じ)を理解しないと、話が全く噛み合ないと思う。
あと、別に宗教やってる人間が、サイボーグな訳じゃないっすよw
人間誰だって中身は同じです。欲望を自己否定したり抑圧する人と認める人、その行為を平気な人と苦しむ人、そのあたりの個人差じゃないかな。
表情だけならいい、感情(罪悪感、恐怖心、不安感、多幸感)までプログラミングされるのは経験してほしくはないけど、経験した者にとっては本当、恐ろしい体験です。二度と味わいたくない。
彼女は結果として得た世界の一つであって、役割ってもんではないかも。勿論、新しい世界は見せてもらってるけど。
自分の場合は、医者に薬もらって休職するぐらいまで自分の精神構造を一回バラバラにした。一ヶ月寝たきりになった中で自分の精神を再構築して、客観的に見れるようになった。
役割という言葉を与えるべきなら、その時、自分が壊れそうになっても自分と向き合った、あの時の自分だと認識してるよ。
最も、二度とあんな精神崩壊寸前の経験なんてしたくないけどね。
小さい頃から、この生き方が「真理」ですと言われた場合、そうではないと考えると今迄の自分は何?という自我崩壊になる。
と言われて悪魔主義になる奴なんてのは、なかなかいない。普通に生活して幸せに生きたいって思う人間ならね。
でも、そもそも、神か悪魔か?っていう概念、何よりも二択しかない?二択?何の?この世界って何?
そのレベルまで自分の人格を分解しない限り、幼少から育てられたエホバの証人の子供は、無意味な罪悪感から脱却できない。
増田でトラバくれた、元二世のお二人(http://anond.hatelabo.jp/20080723123951 と http://anond.hatelabo.jp/20080723111359)はどちらかというと軽症だっただけと言える。
ただ、http://anond.hatelabo.jp/20080723123951 は、役に立ったと思ったり(いや、本当に役立ってるのでしょう。良かった良かった)
オフ会開いて共有してみたいと思うあたり、まだ完全には脱却できていないと推察します。
何かのきっかけで、完全復帰はしなくとも、気持ちが囚われることはあるはず。
あと、http://anond.hatelabo.jp/20080723123951が文中で書かれた「高校でグレちゃった子」の話。
こういう子は、しばらくすると懺悔して復帰する可能性が高いです。
行動すればするほど、心に埋め込まれた精神の規定を成す概念が自分自身を締め上げていくはずだから。
遅かれ早かれ、何らかの行動起こすんじゃないかな。
それか、それを否定したくてもっと自虐に走るかも。
ちなみに、俺はJWの中で好きな子つうか、仲良くお互いにしてた子もいたよ。
男でも本当にいい友達とかおった。
でも、自分の育つ時代が一番、最悪なあのスパルタ時期でさ、みんなおかしくなっちまった。
頭良くて学校でも成績優秀な子が、どうしていきなり停学になるような不良行為を起こすんだい?
俺は、俺の好きだった子や、可愛がってた子、遊んでくれた年上のお兄さん達、が否定したいけど否定もできず、
そして自分を責めるという行動にしか走れずに混乱していく様を何度も見たよ。
自分の場合は、あまりに親が厳しくしたせいか、叱られる時に、叱られる自分と、叱られる自分を見つめる自分を作るようになった。
教理にも納得する自分と、納得できない自分、色んな所で自分が体の中に二人いるそんな精神構造になった。
これ、二世ではけっこう「自分もー」って言う人、いるんだけどね。
ただ、大抵の人は、客観的な自分を肯定しないんだよね。
それを何とか殺そうと努めて、結局、自己否定になり(そりゃそうだ、その精神だって自分だもお)おかしくなったり
それは私が不完全で救いを必要する人間だからなんだわとかいう変な自己解釈(俺の両親とかキモいから解らんがきっとそうだと思う)しちゃったり。
自分の場合は、その二つなっている自分は結局、どちらも自分であり認めなければならない。
おかしいのは俺か?違うんじゃないか?と、考え始め、しかし二人の自分を一緒にしようとすると、この考えは教理に違反している!という罪悪感と、俺はこう思っているんだ!と叫ぶ自分が脳内で騒ぎ立て、まともにまっすぐ歩けなくなるぐらい苦しんだりもした。
もっとも、学校卒業しなきゃ負け、と思い、10日でノコノコ返ったけど。そんなヘタレさ、どうせ。
自分はおかしくない、俺が思うことを俺がその通りに行動するのはおかしくない。これが人間。
それをいちいち、正しいか、正しくないか?と考えて誰も見ていないのに、勝手にビクビクしたり、これは聖書ではNOとあることだ・・・と脂汗が出るのは、俺が信じているからではなく、そのように作られてるからだ。
そうやって、自分で自分にカウンセリング?リハビリして、死ね!クソ宗教!とようやく言えるレベルにまでなった。長い苦労だったよ。
だからって、必死になって幸せになりたいと思わない。
俺の仲良しだった良い奴ら、同じ宗教というきっかけで知り合えたいい奴らは、本当、みんな社会的にドロップアウトしたり、「僕も信じてないけどさ・・・行く所ないじゃん」とかいいながら、今日も宗教活動してる。
俺をこんな目に合わせたのは・・・誰だ?
とか、思って叫んだ日もあったよ。親を蹴り上げて、会衆を燃やしてしまえとか本気で考えた時もある。
でも、そんなことをしたって、何か変わるか?変わらない。
失われた時間、失われた人間関係、無くした友達、好きだった子はもう目の前にはいないんだ。
俺はもうこんな歳だ。社会的にも働き盛りであるべき年齢。
俺がここで止まっても、世界は崩壊しないし、誰も困らない。
明日は淡々とやってくる。
だから、俺はだだっ子のようにぐちぐち言わず、自分で考えて自分で行動して、自分で生きていきたい。
だが、俺は一生、親の愛情としてあなたにああいう教育したのよと言う両親を、憎む事も否定することもできず、振り上げた拳をどこにも持っていけないまま、生きていかなければならない。
俺は、ここでみんなに知って欲しい、知って欲しかったんだ。
あの家にピンポンしてくる変な宗教団体の陰で、俺みたいな奴が一人、世界中に何百万人もいる教団のたった一人の小さな存在だけど.
こうやって、静かに戦ってた奴がいたんだぜ?ってことをさ。。。
ただ、すごく疲れる人生だった。
正式に脱退できたら、彼女と祝いたい。
そして、しばらくゆっくりしたい。。。
俺は、彼女がどういう選択するかも兼ねて、彼女にも教理を他の信者を通して学んでみてもらったんだよ。
彼女は「納得できる部分というか精神的に高い志をもとうしてるのはいいんだけど、自分の望まない話になるとシャットアウトするね」とさらっと言ってくれた。
それで、俺の心の最後のつっかえはとれた。
彼女が入信していれば俺はまた苦悩してただろう。
賭けには勝った。もう俺は大丈夫だ。そうさ、俺だってね俺は一人じゃない、俺を認めてくれる人は欲しかったんだよ。
でも、JWの複雑で独特な背景を好奇心で見てはくれても、俺自身を見て、俺の背負ってきた人生の一部がどんなもんか?みたいな視点から見てくれる奴は、彼女だけだった。
貴重なかけがえのない存在なんで大事にしたい。
俺はこの決断、こういう道を葛藤なしですんなり選べるようになるまで本当に苦労したんだ。
その自分の中に埋め込まれた変な宗教の精神構造のせいで、それを取り除くのが精一杯で、友達を作るのも途中で辞めていた。
恋愛するぐらい余裕ができたのもほんの数年前だ。それまで、自分は生きてるのか死んでるのか、俺は何?俺は誰?俺の本当の気持ちはどこ?って自問自答してたよ。
宗教は否定しない。
でも、誰もそれを強要してはいかん。
何より、子供に必要なのは自分で考え人生を選んで行くための能力と機会を与えるべきだ。
籠の中に突っ込んでも死ぬだけだ。
まぁ、そんな感じ。
言いたい事言えてすっきりした。
これが多くの人の目にとまると思うとすっきりする。
いい時代になったよ。
ネットなければこんな声、絶対に残せなかったから。
http://anond.hatelabo.jp/20071206103504
日本製のPCを除いて、デスクトップPCの電源ユニットは、110V用に設計されている事が多い。
というのも、海外では100Vではなく110Vの方が主流だから。日本の100Vは世界的にも珍しい。
でも、10Vくらいは低くても一応動くだけのゆとりを持って設計されてはいるから、100Vでも一応は動く。
ところが、コンセントの電源も、ぴったり100.0Vが来ているというわけではない。プラスマイナス、少々の誤差はある。
それに加えて、同じコンセントに他の機器をつなぐと、若干電圧が下がってしまうことがある。98Vとか、95Vとか。ひどいと90V近くにまで下がるかもしれない。
ここで、PCの電源ユニットは、多くが110V用に設計されている事を思い出して欲しい。
110V用を100V電源で使っているというだけで、すでに10V低い電圧でどうにか動かしている。
それなのに、90Vしか来ていない電源につなぐとなると、想定していた電圧より20Vも低い事になる。
さすがに、電源ユニットの設計者も、ここまでは想定していないかもしれない。
すると、電源ユニットはうまく働かず、供給できる電力が少なくなる。
なぜかというと、HDDやCD-ROMドライブ等、モータの電力を多く使う機器が一斉に動いて瞬間的に必要とされる電力が増えると、その需要をまかないきれなくなってしまうからだ。
ところで、世の中には「節電器」といって、コンセントの電圧を下げることで電気代を節約できる、との触れ込みの機械が売られているが、コンピュータを使っている人は特に注意して欲しい。
あれはほとんどニセ科学の世界。これで節電効果があるのは白熱電球くらいのもので、その他には全く無意味どころか、モータを使う機器が故障したり、先に挙げたようにPCの動作が不安定になったりと、良くないことだらけである。
よろしくない。こっちがいってる資産というのは預金現金株外貨とかのことだよ。住宅や家電や社会インフラも資産に計上するならもっと多くなるだろね。
国債発行して無駄な公共事業ばかりしてるから子孫の負担が増えるとか言いたいんだろうけど、国の借金が増えたのはほぼバブル崩壊後で団塊の子供らが氷河期で苦しんでたころ。橋本や小泉が財政再建したせいで余計苦しむ羽目になっちゃったわけで赤字が子供のためでないとはいえないだろうね。しかも国債発行して使った金のほとんどは国内の誰かの財布に入ったんだから子孫がいずれ相続するわけだし、事業内容が如何に無駄であれ結局世代全体ではプラスマイナスゼロ。
公共事業の不公平さとかはあるだろうけど、それで雇われた若者もいるし、その人らにも子孫がいるわけだから世代間対立の話に持ってくのは無理筋。
http://anond.hatelabo.jp/20070708195432
いつかは返済しなければならない借金を増やし続けるのが問題ないと言われると「借金なんか返さなくても平気」って聞こえるんだよな(増え続ければいづれ返済不能になるのは目に見えてるでしょうに)。
だから全部返済する必要ないんだって。社会全体では常にプラスマイナス0。買う額と売る額、貸す額と借りる額は常につりあう。片方だけ増えることはない。社会全体で借金を減らし続けるって事は資産も減らし続けるって事。国債残高なんか管理通貨制になったここ数十年増加傾向。ほかの先進国だって残高は増え続けてる。ずっと借り換えが続くだけ。預金をなくす気がないなら銀行が誰かに貸し続ける状態を続けないとだめでしょ。預金というのは銀行にカネかしてるんだよ。
だから増える事自体は問題ないんだって。そもそも紙幣だって中央銀行の債務なんだし。
預金は銀行にとって負の債務だから禁止すべきと思う?
やっぱりどうしてもこういう「国債は増えても問題ない」と言う言説は「借金なんか返さなくても平気」って言っているようにしか思えない。借金踏み倒す気なのかな?
ずっと借り換えが続くだけで踏倒す必要ないんだよ。銀行の預金だってずっと貸しっぱなしだけど問題ないでしょ。
http://anond.hatelabo.jp/20070708200513
それが永久機関だっていってるのさ。
これが何がいいたいのかわからない。別に借金したからといって物理法則が乱れるわけでもないし永久に続くのが悪いことってわけでもないはず。
国はお金が足りなくなると債権を発行する。債権は何度でも発行ができる。
国は恒久的に債権を発行するだけで財政をまかなえるか?
やろうと思えばできるけど、後はインフレ率の問題。無制限に発行しないのは高インフレにしないため。今の日本はデフレだからもうちょっと増やすぐらいでちょうどいい。
借入を資産として捕らえるのもいいけど……、
ただ借入を資産として捕らえるのなら、その借入をするのに相対するものはなんなんだい?
お金ではないんだろう?
国債というのは政府にとって債務、国債保有者にとっては資産、預金というのは銀行にとっては債務、預金者にとっては資産。
貨幣制度は日本も欧米もそれほど差はないと思うけど。変動相場の管理通貨制でしょ。
多分ここが君の反論ポイントなのかもしれないね。
でも債権で増えた資産価値なんて実質を反映していないよ。
貨幣の価値を希釈しないのがいいこととはいえない。ほかの国みたいに緩やかに希釈し続ければいいだけ。インフレ=悪という発想を続けてる限りずっと不況で苦しむことになる。実質が伴わないのに無理やり貨幣価値上げてどうするのよ。
だからといって濃度を濃くすれば、実質負担が増えて借金してる企業とかがばたばたつぶれるし、円高で輸出もだめになる。それに売れなくなったら、失業倒産ラッシュでしょ。
ロングテールを丸々無視するような機能だ。
それは誤解というかなんというか。ロングテール云々でよく引合に出されるアマゾン。あそこも評価システムに力を入れてるよね。
何もしない状態で無視されているのがロングテールなんだ。
沢山リンクされる。沢山ブックマークされる。沢山○○される。そして目立つ。
「沢山のアクションがある←→目立つ」というスパイラルができている。
ロングテールは沢山はされない存在だから目立たない存在だった。
しかしマイナス評価を入れると「沢山のアクションがある→目立たない」という道ができてスパイラルを抑制できる可能性がある。
そうすると、相対的に目立たない=評価されていないものが目立つ方向へ移動して、評価される可能性が出てくる。
それが尻尾の付根だとしても意味はあると思うよ。
あと、プラスマイナスの評価も他の手段と組み合わせて重み付けを変えて評価するって手段もある。
例えばロングテールってキーワードを持ってたらマイナス評価は無視するとか、n倍に見るとか、「ロングテール」自体を+10の評価と見るとか、ロングテールを含むエントリの平均点を反映するとか。使い方はいろいろ。ゆめひろがりんぐ。
悪いけど。
損得つーからには、プラスマイナスを数字で比較できないとダメなわけ。誰の目にも客観的に。で、「誰の目にも根拠が理解できるようにAさんとBさんを数字で比較する方法」つーのをあなたは万人に示せるのかという。自分の頭の中だけでこしらえた根拠や主観的な数字のプラスマイナスなんてあなたの妄想でしかない。「損得で片づく問題だ」というのは、あなたが狭い考え方でそう思いこんでいるに過ぎないってことで、何の客観性も無いよ。悪いけど。
たとえばかわいがっているペットがいるとする。Aというペットは手間や得られる「快」で比較してBというペットよりも『優れている』と言いたくなるとする。その気持ちは分かる。しかしね。じゃあたとえばBの価値がAの「半分くらい」だとして、Bが2匹いれば(飼っている以上はトータルマイナスではないのだろう)Aに匹敵するのかね?たとえば亀2匹はネコ一匹に相当するのかい?どう考えても、それ無理。理屈として成り立たない。ペットというものを物凄く「狭く」「つまらなく」捉えれば無理無理そう考えることは不可能ではないかもしれないけれど、それってペット飼ったことないヤツの理屈だろう、多分。同じコトは人間についても言える。友達は何人いれば恋人に匹敵するの?それどういう計算式で示せるのかな。君の親は兄弟何人分ですか。アイドル一人は親戚一同全員と交換可能かね(ここで得意げに「できる」と叫ぶヤツもいるだろうが、君はそこまで馬鹿じゃないだろう)。
「ある人が与えてくれる何か(物質)」同士なら比較も可能だろう。だからたとえば子供がお年玉の額で比較して「じいちゃんの価値はおじさんの1.5倍くらいだなー」とか冗談で言ってる光景ならまだほほえましく見ていられるかもしれない。けれども、いい年をした大人が「人間関係なんて所詮損得に還元できるんだぜ」とか得意げに言ってるのを見ると、ちょっと見てらんないなあ、と思ったりするわけです。ある存在、それ自体の「重み」というのは数量化したりできないものです。