2007-03-29

中学生理屈だな

悪いけど。

損得つーからには、プラスマイナスを数字で比較できないとダメなわけ。誰の目にも客観的に。で、「誰の目にも根拠が理解できるようにAさんとBさんを数字で比較する方法」つーのをあなたは万人に示せるのかという。自分の頭の中だけでこしらえた根拠や主観的な数字のプラスマイナスなんてあなたの妄想でしかない。「損得で片づく問題だ」というのは、あなたが狭い考え方でそう思いこんでいるに過ぎないってことで、何の客観性も無いよ。悪いけど。

たとえばかわいがっているペットがいるとする。Aというペットは手間や得られる「快」で比較してBというペットよりも『優れている』と言いたくなるとする。その気持ちは分かる。しかしね。じゃあたとえばBの価値がAの「半分くらい」だとして、Bが2匹いれば(飼っている以上はトータルマイナスではないのだろう)Aに匹敵するのかね?たとえば亀2匹はネコ一匹に相当するのかい?どう考えても、それ無理。理屈として成り立たない。ペットというものを物凄く「狭く」「つまらなく」捉えれば無理無理そう考えることは不可能ではないかもしれないけれど、それってペット飼ったことないヤツの理屈だろう、多分。同じコトは人間についても言える。友達は何人いれば恋人に匹敵するの?それどういう計算式で示せるのかな。君の親は兄弟何人分ですか。アイドル一人は親戚一同全員と交換可能かね(ここで得意げに「できる」と叫ぶヤツもいるだろうが、君はそこまで馬鹿じゃないだろう)。

「ある人が与えてくれる何か(物質)」同士なら比較も可能だろう。だからたとえば子供お年玉の額で比較して「じいちゃんの価値はおじさんの1.5倍くらいだなー」とか冗談で言ってる光景ならまだほほえましく見ていられるかもしれない。けれども、いい年をした大人が「人間関係なんて所詮損得に還元できるんだぜ」とか得意げに言ってるのを見ると、ちょっと見てらんないなあ、と思ったりするわけです。ある存在、それ自体の「重み」というのは数量化したりできないものです。

http://anond.hatelabo.jp/20070329140157

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