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はてなキーワード: ビシバシとは

2009-10-19

新型インフルエンザワクチン接種順番

素朴な疑問。

新型インフルエンザワクチンの接種順番が

  1. 医療関係者
  2. 妊婦・基礎疾患
  3. ガキ(子供)
  4. 年寄り
  5. 若者その他

と、年寄り共の年金を仮にも支えてやってる若者が一番最後なの?なんで後先が短い年寄りを優先するの?(仮にも)年金支えてる若者がぶっ倒れたら年寄り共の年金捻出の駒が減るのに、何で先が無いジジィババァが優先なの?

年寄り過去に頑張ったから」「戦後復興を支えたから」とか過去の栄光(違)に縋っているとか、「年配者が優先なのは当たり前だろJK」とか短絡的な考えとか、下らない理由なの?

正直、私は凄く無知で世間知らずで低脳な人間だ。でも、現時点で実際の作業現場で一番働いてて(技術力不足上長からビシバシ鍛えられる意味で)馬車馬のように働かされてる若い世代の方を優遇するのが良いと思うんだ。

特に今回のような新型ウィルスの場合は。「傾向だ」「一般的な考えだ」で多分丈夫そうだからって理由で若者を最後に回すのは、現時点で一番苦労して働いて貢献している若造に失礼じゃ無いか?…まぁ、最近の若者馬鹿基地外でチャラチャラしててワクチンを一番最初に接種させてやるほどの価値が無さそうなイメージがあるけどさ。

…あぁ、そうか。こんな戯言を言う俺が非常に馬鹿だった。この手の事を決める役人年寄りばかりだから、年寄り自分を基準に考えるから年寄りが先になるんだ。

単純なことに気付かない何て本当、俺は馬鹿だなぁ。

追記

予想外の反応にビクーリw

そんな深く考えずの疑問だったんだ。『ググレカス』とか引っ叩かれると思ってたよ;

まぁ、ヒガミ根性なのは元々根性が360度くらいひん曲がってるから。…ただ、被害妄想とはちっと酷いなぁ…。別に奴らに洗脳された記憶は無いんだが。

どっちかと言うと生産性を考えるとって部分で突っ走ってったから(リスク管理が欠如してる)釣り紛いな事になったんだな。まぁ、実際問題として馬車馬のように働かされてるの若者が多いし。…各種保険だって、そう区民税だって…、…エグッ(軽く給与の1/4くらいは税金で消えます)

…なんだ、元を辿れば単純に税金を大量に持ってかれてる馬鹿の戯言(別名:ヒガミ)じゃないか。

2009-09-19

9/18

今日は遅く起きた7時40分。

朝ごはんを頂く。うどんごはんと。

朝のニュースでノリPのニュースが大々的にやってた。

その後、部屋に戻って荷物を少しまとめる。

親戚宅を出たのは10時前。

12時に知り合いと待ち合わせだったのでそれまで時間をつぶすために

御茶ノ水で降りて適当に歩く。飯田橋まで歩いて駅から秋葉原へ。

時間より少し前についたのでぶらぶら。

そして、待ち合わせに成功しあう。ネットで知り合った人に会うのは今回3人目。

すっげー楽しかった。ホント偉大だと思う。ただ不意に飛んでくるフリに対応できなかったけど。

今回、東京に来るきっかけにもなった人。

いろいろ店まわったりカレー食べたり、ファミチキおごってもらったり。

USBメモリ買ったり、ゲーセン音ゲーしたり、まんだらけフィギュア見たり

最後に喫茶店よって話して帰りました。なんかパワーをもらった気がする。

世の中あんな人がたくさん居たら変わる気がする。

なんで、見ず知らずのこんなクズを応援してくれるんだろう・・・

言いたいこともビシバシ言ってくれるし、なんかすげぇ。

それに応えられるかどうかが心配すぎる。

家に帰れば、きちんと就職しろといわれるだろう。

家のことも心配だ。親も年だし近い将来面倒をみないといけないだろう。

親戚の家に戻ってから、荷物の整理。

明日で帰らるので今日はどこかへ食べに行くんだと。

そして、お寿司をご馳走になる。ずいぶんと店員さんが賑やかな回転寿司だった。

その後、近くの駅に帰りの新幹線切符を買いにいった。

連休に入るので指定席希望時間だと取れなかったので

空いてる時間のを買った。

それから親戚宅に戻った。

戻ってきてからおばさんと話をした。

「今回は軽い気持ちで来なさいなんていって悪かったね。」なんて言われた。

「全然そんなこと無いですよ!むしろ自分あんまりお手伝いできなくてすいませんでした」と言った。

その後、生活費として親から預かってきて親戚のおじさんに渡してたお金を返された。

仕事を斡旋できなくて申し訳なかったと、このお金資格とか取るのの足しにしなさいと。

あと、自分音楽がやりたいってことを話したら、若いうちに夢を持つことはいい事だといわれた。

ただ、やっぱりそれなりのスキルがともなってくるし不安はあるが

アルバイト生活費を稼ぎながら独学やってこうと思ってる。

それは家に帰ってからの話になるが、親は聞いてくれないだろう。

だから帰ってからアルバイトか、それか再就職でもしてお金貯めて今度は一人で東京へこようと思う。

ただ、やはり未成年の壁がでかいかな。

あと、父のトラック乗りの仕事を継ぎたいと少し思う。

おばさんの言うとおり、父の仕事についてったらコミュ力上がるかもしれないし

大型の免許を取らせてもらえば他の仕事もできるだろう。

ただ、こんなことを行ってたらあの人に縁切られるだろうな。音楽もやりたいし。

あ、そういえばおばさんが家にみかんを送ってくれたという。だからお土産は買わなくていいって。

この一週間、いろいろあったけどいい社会勉強になった気がする。

ただ、一番仲のいい友人以外の人にはちょっと顔向けできないけど。

帰ったらどうしよう。バイトして金貯めてからまた来たいな。

2009-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20090426184723

つうか、話が突飛に過ぎるように思う。

まず女性が被害の話を男性にしただけで、その女性

痴漢被害の話は「男はみんなこうだ」という内容を暗に含

んでいるつもりがあるとは限らないし(というか通常は無いだろう。無いからこそ話すのだと寧ろ俺は思う。本当にそういう気があるのなら、男である増田に対して話す気にもならないのでは?)

痴漢被害の話は既に被害にあった後の話なので、対策が打てない。

といっても、男同士であっても日々常にある議題とそれに伴う対策を論じているわけではないだろう?w少なくとも俺はしていない。(こういう話題になると、何故か男は別に日々たいした話なんぞしていないのに「女どもより高級な話をしている」とばかりに高下駄を履く傾向がある。プライドか、見栄か?)

電車に乗れば「つーか、昨日俺、コンビニバイト店長にマジしかられて」「マジで?それマジキツくね?」なんて若い男同士の会話なんぞヤマのように聞こえてくるわけである。

上記2点によって、一方的なサンドバッグにされてしまう。

というが、「痴漢被害にあった」というだけで、そもそも上記二点の事を勝手に感じ取り「サンドバッグにされた」と感じるのが若干被害妄想に過ぎると俺は思うのだが。実際に、明確にサンドバッグにあった、というならば、それはもう「痴漢被害を話す女性」の話ではなく「痴漢被害について男をみかけると一方的にサンドバッグにしてくる女性」の話であり、両者は明確に分けなければならない。この辺が、この増田は突飛なのである。痴漢被害をただ話す女性と、それによって「男は皆そう。あんただってそう。あんたも責任を感じて私に謝りなさいよ」と例えば言ってくる女性とは分けて話さないといけないのだが、増田の話術?により「サンドバッグにされてしまう」まで読むと、読んでる側としてはいつのまにか「痴漢被害を話す女性=誰でもいいから男性サンドバッグにする」と誤った情報インプットされてしまうのである。その上、それを前提に話を進むからわけのわからないことになる。

その次の論からしても何か突然に「女性共感してほしいのだと思う。」である。突然に何故か事実のように増田主観が根拠なく語られるのだ。そしてまたそれを根拠に論が進むというマッチポンプ状態である。

また

ただ、男であると言うだけで、相談を聞いただけでサンドバッグ状態である。

何を言っても(どんな対策を提案しても)「でもね」で過去に起こった事実として強固に否定される。

とまるで「事実かのように」さり気無く書いているが、これはそういう女性たまたま増田が出会っただけであることは忘れてはいけない。人間関係や、男女系の問題で、こういった「自身の身の回りのわずか数例、多くて数十例ぽっちのことから帰納法でもっともらしい一般的法則を無理矢理に出そうとする」タイプは多いのだが、危険だし、非論理的である。そういった人はまず人間が何人いるか、男性女性が何千万人いるか、そういった規模の大きさや人の多様さを確かめてからにすべきである。君の周囲がイコール社会ではないのである。社会学心理学は、「エセ科学」なんて蔑視されていたりもするが、その学問だってまさかこんな「自分身の回りのわずかな人間から急に帰納法で無理矢理一般法則を見出す」なんてことはしない。何千人何万人とデータを取るのである。それでも確かとは言えないのだ。いわんや、増田をや。

君がパンクが好きだとして、「音楽ってのはギターぶっこわしてなんぼ、逮捕歴があってなんぼ」なんて思っていて、周囲も自然とそういう人間が集まったとする。そして「音楽とは?」と聞かれた場合「逮捕歴があってなんぼだよな」なんて答える人が君の回りに10人もいたとしても、それを「東京都民」に広げたら途端に少数派となるだろう。つまりはそういう可能性もあることを忘れてはいけないのである。

あと、さっきもいったが別に男とて常に「相談―対策」といった構造の話ばっかりしているわけではないw

男女問題になるといつの間にか男がそんな「キャラ」になってしまうのはおかしなことだが、俺だってたとえばスリにあったとして、友人に「昨日一万スられてさ、あーあ」とかいった途端に対策など講じられてはたまったものではないし、実際にそんな事を言い出す人間にも今のところ会ったことはない。会話を有る意味大袈裟にとらえすぎというか、「マジかよ、災難だったな」終了、でいいんである。「もう事後だから対策を練れない」とかマニュアルバカみたいな事を思う前に、「今このときにおける自分自身の対策」を練り上げるべきである。こういう人間は、やたら対策対策言うわりには、他人に対するそれしか興味がなく、肝心の「自分の対策」はとんと興味がないらしい。妙な話だ。(つまり、「オレってば対策を講じてしまうんだよね」なんてのは、「他人に何か一言物申したい」という俗物根性をこぎれいにコーティングしてみせただけの一品だけでしかないということをこの時点で認識すべきである。)


あと、以前からはてな界隈ではよく好まれる「男は対策を考える、女は共感して欲しい」だが、これはあくまでそういう『傾向』が見受けられるというレベルであり(それもまだ統計的なレベルでしか証明されていないのでは?よく知らないが)、当然ながら男女でスパっと分かれているわけでは決して無い。すぐさまそうやって両極端な二元論を根拠に何かを組み立てそれっぽい論を作り論じた気分になるというのは文系の人によくありがちなのだが、世界はそうそう簡単なものではないので注意すべき。

また、個人的には必ずしも男は対策を考えるのが好きとは思えん。そもそも今このエントリにだって、「男は対策好き、女は共感好きだよね」「あーわかる、だよねだよね、俺もそう思う」なレスがついている時点で何かおかしいと思わないか?別に男も共感は求めるし、居酒屋など男の愚痴共感の嵐、独壇場である。増田でも失恋した、といってグダグダ管を巻いているおそらく男によるエントリが多数見受けられる。逆に女性が対策を尋ねているエントリも多数見受けられる。

何か男は「共感を求めるのは感情的系ぽくてカッコワルイ、対策を考えるって方が、頭がいいっぽい」などと思い見栄をはっているだけでないか、と個人的には思うのだが、それはさておき、これは状況の問題もあると思う。

人というのは、よほど極端な人でないかぎり、通常、自分愚痴るときは共感してほしいが、他人が愚痴ってるときは一言言いたいのである。

だからその時どちらに役柄が回っているか、というだけの話なのだ。女性が多数いると思われる小町なんかを見てみれば、さて彼女達は相談者に対して「わかるー」だけを言って終り、だろうか?そうではない。むしろビシバシつっこんでいく。こうすれば?ああすれば?と具体例をドンドン出していく。そもそも小さい頃自身の母に何か愚痴ったり相談したりしたら「こうすればいいじゃないの」と言われた経験はないだろうか?

「男は対策をいいたがるが女は共感してほしがる」という話が出るとき、その背景で想定されているのは「女が何かを相談あるいは愚痴をいい、男がそれを聞く」というパターンだけである。問題は性別というより、その「構造」にある。この場合は、男が聞く側にまわっているから男が対策を言いたがる側になっているだけなのだ。

男が愚痴り、男がそれを聞いている場合でも、結局同じような形が繰り広げられる。中身でなく「構造」に問題がある。

男が愚痴り、女がそれを聞き、「こうすればいいんじゃないの?うんたらこうたら」と言ったら、男に嫌われた、というネタ女性向け4コマは実は結構あるのをご存知だろうか?4コマネタなんてのはたいがい基本「あるある」系だ。それだけありがちなのだ。女が聞く側にまわったとて、小町のときのごとくやはり対策を言いたいのである。聞く側はいわばぶっちゃけ「何の関係もない」ので、悪く言えば無責任な、よくいえば冷静な事をさらりと言える。

かしこパターンがあまり認知され難いのは、そもそも「男にアドバイスすると不機嫌になる→だからしない」というある漫画でいうところの猛禽女が増えていることや、そもそも男性女性愚痴りにくい(そうするのがカッコワルイ、という雰囲気は、いまだあるところにはあるだろう)こと、また先ほども言ったが男性側が「俺達は共感とかじゃなくて対策を言いたがるんだよね、論理的で、頭いいんだよね、俺達」と見栄を張りたいがゆえに気付こうとしないなど色々あげられる。

そもそもこういう男女ネタでは大抵男の方がいいように書かれている。別に論理的と感情的は相反するものではそもそもないが、一般レベルだと相反する感じがするし、また論理的といったほうが「アタマイイ」感じがするので、一般的に「論理的」と言われたほうが嬉しいのである。今の時代は。だから男はこういった男女ネタを支持する。支持すれば、別段何が変わったわけでもないが、自分が男と言うだけで優れた気になれるからである。白人による黒人差別にはヨクナイ!なんていったりしてみても、日本人欧米人より知能が上である、といった論説は案外「あーそうかもー」とかいって飲み込んでしまうのに似ている。要は都合がいいから信じるし、「俺もそう思ってた」「あるある」なんていってみたりするのだ。まあ、確かに、自分に都合のいい論というのは大変に甘い汁であって、「本当にそうか?」と突っぱねるのは結構勇気がいるものではあるのだが。

2008-06-20

みーんな疎外中。

 長いので、興味ない人は1行くらいでスルーしてください。

疎外論」批判というのが一部でちょっと盛り上がっていたみたいですが。

 なぜ「疎外論」という発想が生まれたのかと言えば、それはたぶん、他人を説得する時にそういう方法しか思いつかなかったからじゃないかと思います。「本来の人間の姿」と「本来的じゃない現在人間の姿」とを対比させて、その差異を見せ付けることで「ほら、現在はこのような問題があるんだから」と問題のありかを指し示すというのは、他人に自分の意見を示す上でも非常にわかりやすくなりますし。

 じゃあ逆に、疎外論抜きで「私は社会に対してこのような問題意識を持っている」ことを指し示すとしたら、どうなるでしょうか。

「見ろ、このような社会のあり方は問題だ」

「なんで? 人間の生活はあるようにある、ただそれだけじゃん」

「なんでだよ、こんな社会のあり方は人間にとって生き難いだろうに」

「生き難いって、何と比べて言ってるのよ」

「そりゃあもちろん……いけね、“あるべき仮想的な理念像”はここでは使えないんだっけ。えーっと、それじゃあ社会の上層のあの人や中層のあの人と比べてだね」

「おいおい、そうやって万人を万人といちいち一対一マッチングさせる気か。地球シミュレータをフル回転させても無理だと思うぞ」

「いやだから、技術的な問題じゃなくて社会構築の原理的な問題をだね」

「そうやってすぐ空想的な原理原則を持ち出す、君は本当にどうしようもないほど形而上的だな」

「うがー。目の前で死にかかっているこんなに人がいるのに放っておく気か」

「その人を手当てすりゃいいじゃん」

 ……話はどこまでも噛み合わないまま終わりそうですが。

「あるべき理想的な人間像」とか「あるべき理想的な社会像」の提示(による疎外論の提唱)をどこまでも徹底的に否定していくと、実は現行の国家行政機構の役割が限りなくゼロに近づいていったりするんですな。

 例えば教育。そもそも公教育制度って、政治社会活動(経済活動を含む)に参加する上で必要最低限の知識を万人に保証するために行うものですから、教育の意義そのものが「あるべき“教育された国民像”」と「教育されていない国民像」との差分に基づいて、まさに疎外論的に「あるべき理想像国民保証する」ことにあるわけです。

 だから、指を折って数えられる以上の数字を知らなかったり漢数字以外の漢字が読めない国民がいたって、それを「あるべき“教育された国民像”から疎外された、非本来的な国民のあり方」と捉えることは出来ないのです。そもそも「“教育された人間”の本来的な姿」が棄却されているわけですから。その人については、それはそういうものとして「まあそんな人もいるよね」と受け取っておくしかありません。学力比較がしたければ、無理に一般的な学力基準を作らなくたって、めいめいが勝手に「あいつ俺より頭よさそうだなー」「奴は俺よりバカだ」とかって思っておけばいいんです。

 警察組織も必要なくなりますよね。別に治安がいいことをもって「社会の本来的なあるべき姿」とする必要は無いんですから、もし199X年に地球が核の炎に包まれた後のような暴力の時代が到来しても、またそこで弱者を救う世紀末救世主みたいなのが出現しなくても、「これは人間が生きていく本来の社会のあり方じゃない」と嘆くことは出来ないのです。それはそういうものなのですから。

 他にも、現状を維持したり向上させたりする政策を立案・実施するためには、そもそもの発想の根源に、現状がそのまま維持された延長線上に想定される未来像や現状から何らかの意味改善された未来像が、「本来そうあるべき像」として時系列未来投影されていなければなりません。もしそうしなければ、「本来あるべき未来」と、「現在」ないしは「メンテナンスを何も行わないという条件下で現在からの延長線上に出現しうる未来」との差分を検出することが、まったく不可能になってしまうからです。比較対照としての「あるべき像」が無いのに何と比較しろってのさ。

 だから、さっきの199X年に、ミスミじいさんが種モミを必死に抱え込んで「明日がー明日がー」と叫んでいるところに割り込んで、明日の収穫のためではなく今日の俺の腹の足しのために種モミを食ってしまっても、何の問題もありません。そもそも比較すべき「明日=あるべき社会像」が存在しないんですから。「明日の収穫」なんてものは、勝手に「本来あるべき社会像」を未来投影してこしらえた幻影なのです。その幻影と現在とを比較して「人間は本来的にあるべき“明日の収穫”から疎外されている」などというのは形而上学もいいとこです。厳然として存在するのは、目の前の「種モミ」だけなんですから。これがやがて稲穂の波へと弁証法的に発展していくなんてまだ見ぬ未来を夢想するのはヘーゲルマルクスの読みすぎというものです。さあ、種モミなんて食ってしまいましょう。え、将来の人間が飢えてしまう? 何言ってるんですか、将来の人間なんてここにはいないじゃないですか。いたら今すぐここに連れてきて「飢えた人の発生」を実証してくださいよ。だいたい飢えたところでせいぜい死んで人口がちょっとばかり減るだけですから、むしろ上手い具合に人口の調節が図れていいんじゃないですか。それとも何ですか、まさかあなた、年がら年中腕に止まった蚊を叩き潰したり肉を食ったりして他の生物をどんどん殺しているくせに、ホモ・サピエンスは他の生物種とは異なって神に祝福された特別な存在だから常に生き残る価値があるだなんて、今のご時世に信じていたりするんですか?

 いやー、しっかしそう考えると、なんでよど号ハイジャック犯が『あしたのジョー』を引き合いに出したのかがよく判るなー。あれってきっと、連中にとっては「擬人化された疎外論」だったんですよ。ほら、「あしたのために」とか「泪橋を逆に渡る」とか、本来性の掛け声がビシバシ響いてるじゃないですか。ジョーの本来あるべき姿って、段平オヤジにとっては「ボクシングチャンピオン」、ジョー自身にとっては「憎いあんちくしょうリング上で叩きのめしている自分」なのであって、そうじゃない現状のジョーはあるべき理想的ジョー像から「疎外」されているわけですよ。だからこそ段平はあるべき姿の「あした」を目指して、「あしたのために その1・フォイエルバッハテーゼ」「あしたのために その2・資本論」「あしたのために その3・共産党宣言」とかってのをせっせと書き綴るし、ジョーはジョーで欠かさずトレーニングして「内臓をえぐるように(カラシニコフを)撃つべし!撃つべし!」なんてやってるし。こんなふうに「あるべき姿」を必死に目指したって碌なことにならないのは、「ジョーをバンタム級リングの上でぶちのめす自分」を「あるべき自己像」に据えて、「だめだ、この体重では俺はバンタム級リングから疎外されたままだ」とばかりにむちゃくちゃな減量を行った力石徹が、自らの死をもって示しているのにねえ。

 だから、庵野監督大月Pも角川の偉い人も、エヴァンゲリオンテレビ版の最終回でさっさと終わらせておけば、「僕はここにいてもいいんだ」→「おめでとう」パチパチパチで「そのままの姿でここにいる自分の全肯定」として話がきれいに収まったんですよ。それをよしゃあいいのに、劇場版(97年の)なんか作って「あるべきコミュニケーションのあり方」に話を膨らませちゃったりするから、「あれ、本当はこんなコミュニケーションのあり方はいけないんじゃないかな? 本来のコミュニケーションのあり方ってどんなのかな? 今の僕たちは本来のコミュニケーションのあり方から疎外されてるんじゃないかな?」みたいな方向に考えを向かせる契機を作っちゃうわけで。もう「そのままの自分まるごと全肯定」でいいじゃん。マルクス先生が「宗教はアヘンだ」って言ってるってことは、マルクスが失効した時代には文化的アヘンで疎外感を麻痺させて心の安寧を得ることもOKってわけですよ。アヘン超OK、全能感超OK!(ちょっと古いか。)

 なに、そんなのはまやかしだって? おいおい、「現実」に目を見開いて「本来のあり方から疎外されたこの社会を何とかしなくっちゃ」なんて操作主義的な観点に目覚めた人がこれ以上増えたら、一億総ポルポト化ですよ。日本全国隅から隅まで「ドキッ!ポルポトだらけの粛清大会 ──(頭蓋骨ゴロリもあるよ!」になっちゃいますよー。

 ポルポト文化大革命を呼び込みたくなければ、そんな疎外論チックな発想はさっさと捨てちゃって、身の回りの小さなことに幸せを見つけていきましょう。そうすればほら、きっと水さんだってきれいな結晶を作ってあなたの心の美しさを祝福してくれますよ。おっと、非科学的だなんてツッコミは無しですよ。「科学的に正しい世界観を持った国民」というのだってやっぱり“本来的なあるべき像”なんですから、そんなものを持ち出したら途端に「君の世界観はあるべき科学世界観から“疎外”されている、再教育しなければ!」なんてことになってポルポト化ですよー。

 ……結局のところ、何かしら広義の「啓蒙」的なこと、つまり人々の精神知的要素が無知蒙昧の「闇」に閉ざされているところへ「光」をもたらそうという時系列進歩の考え方は、どうしても「光」の比較対照物として「闇」を必要とするし、また「闇」の比較対照物として「光」を必要とします。社会のよりよき状態を想定するところでは、その対照物として「よりよくない現在=闇」が、「光から疎外された状態」として持ち出されますし、現状を批判する場合には、それの比較対照物として仮定された「よりよき未来=光」が、一種のイデアとして持ち出されるわけです。「啓蒙」と「疎外」は、そういう意味でコインの裏表のように、切っても切り離せない関係にあります。

疎外論」を完全に回避しようとすれば、結局のところはよりよき方向への変化という考えを完全に捨てて、「あるべき姿など無い、世はただあるがままにある」という考えに徹するしかないのでしょう。税制改正の提言は「よりよき税制度から人々が疎外されている」という現状認識の現われだし、著作権を巡る議論は「よりよき(ry」だし、そういうのを全部回避するとしたらもう、時系列的に制度などが変化した部分については「ああそう、変わったのね、まあそんなもんでしょ」、変化しない部分については「ああそう、変わらないのね、まあそんなもんでしょ」と等閑視するくらいしか手はなくなります。スピノザあたりがそんなことを言っていたような気がしますが。ニーチェ運命愛もちょっと似てるかも。

 ……でもこれって、

「“人はあるべき姿から疎外されている”なんてことを考えて現実を直視しようとしない連中世界観は、人が本来的に持つべき物の見方から疎外されている!」

という主張にはならないのかな? それとも、「“あるべき姿”の主張がマルクスの論点に基づいていればそれは疎外論でありポルポトだが、マルクスに基づいていなければ疎外論ポルポトではない」という前提でもあるのかな。もしそうだとしたら、悪の大魔王マルクスの「悪のカリスマ」性の長命ぶりには驚くべきものがありますな。それとも、冷戦終結によって魔王バラモス(=マルクス)が死んだと思ったら、その背後で真の黒幕である大魔王ゾーマ(=真・マルクス)はしっかり生きていたという、ドラクエ3型のオチなのかしら。早乙女ジジイ

 ……この「反疎外論シリーズ、いろいろ応用がききそうだな。

 例えば、

「やい臨獣殿! “強い者が世界を統べることこそ本来の姿、その本来の姿から疎外されたこの世界を変えてやる”なんて言って人々を苦しめるなんて、このゾワゾワのポロポロ野郎!」

「なーに言ってるのよ、あんたたちこそ“本来の獣拳は正義の拳、いまはそこから疎外されている状態だから臨獣殿を倒してあるべき姿に戻す”なんて言って、力ずく正義押し通すポルポトじゃないの。文句があるなら実力であたしたちをねじ伏せてみなさい、このカクシターズ!」

とか、

「おばあちゃんが言っていた、俺は天の道を往き総てを司るってな」

「天の道という“本来あるべき道”のイデアを前提して、万人をそこから疎外された者として見下すとは、君も愚かな男だな。社会においてもっとも重要なこと、それはパーフェクトハーモニー……完全調和だ」

「そう言いながら俺をつけ狙うのも、おまえの言う中和だか調和だかのうちか」

ライダーは二人も要らない」

「一人のライダーに率いられた組織の完全調和……そこからはみ出した俺は疎外された存在ということか。おばあちゃん、いやポルポトは言っていた、そういう存在は完全調和のイデア世界には不要だとな」

貴様、俺を疎外論者に仕立て上げるつもりか……だが俺は貴様を倒す。そうしなければ、俺が俺でなくなってしまう!」

「やはり“本来の俺”か……おまえは天の道を外れた」

(去っていくザビーゼクター

「!……待ってくれザビーゼクター、戻れ、戻れ……戻れぇーーーー!」

(半年後)

「もう疎外論も物象化論もないんだよ。影山、俺と一緒に転向しよう……。天道、おまえはいいよなあ、どうせ俺なんか」

とか。

2008-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20080610123623

同感。

でもこういうこというと「そんなメリットデメリットで考えるなんて……」って凄く悪いことしてるように受け止められるんだよね。どんなことであれ、基本的に皆メリットデメリット考慮していると思うんだけどね。何かどこか無機質なような感じがして嫌らしい。子供という神聖なものに、そんな俗世間的な価値基準、計算を持ってくるなんて、みたいな視線をビシバシ感じる(てか似たようなことを言われる)。

最早宗教に近い。

あんまり皆考えてないんじゃないか?

動物なんだから子孫を残さないと、って思考停止している。

だってみんなそうしているからそういうものなんだろう、って思考停止している。

結構皆、そんな程度の理由で産んでるような気がするよ。

「どうして子供産んだの?」「どうしてって、結婚したらそうするもんでしょ?」みたいな。

子供なんて別にいらなくないか、って考える人は、多分、「考えすぎ」なんだろう。

考えちゃいけない所なんだよ多分。人を殺してはいけない等の根本的な倫理や、なぜ自分は生まれてきたのか?など考えてもある意味どうしようもない哲学的問題のように、「そんな事をいちいち考え出す方がおかしい」って認識なのではないかと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20080610031946

言いたい事はわかるけど、もちっと相手の人格を尊重すればいいのにと思ったとか。

そんでさ、「無意識の苛めっ子」とか都合のいいもん定義しないの。

そんなのみんなそうじゃん。万人に当てはまる結果導き出して納得させるスイーツ向け占い師かよ。


事象を追っかけていったら、たまたま万人に当てはまっただけでは?

心理学を応用してる占い師インチキアドバイスとは違うでしょ。

>みんないじめに間接的に加担してることくらいビシバシ感じてるっつーの。

って自分でも書いてますやん。

2008-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20080325183420

>どうも元増田は、理由付けとか、損得とか、アタマで考えちゃうタイプのようだからある程度形のきまったライブに行くというのはどうだろう。

ハロプロとか。

最初ちょっと笑ったけど、案外ナルホドかもなぁ。

俺みたいな自意識過剰野郎は、フリープレイよりビシバシルール決められた方が逆にやりやすいのかな・・・。

で、またなんだけど

これって何かに似てないか・・・?

男と付き合った事の無い女がジャニーズV系に走る傾向が多いという事に。

増田

2008-01-19

はてなブックマークコメントって

なんていうか大抵「偉そう」なんだけど、それは、100文字(だっけ?)しか書けないからなんだろうか。

100文字しか書けないから、「それはそうだけど、どうかな、僕はあまりそう感じないけど…でもそういうのもありかもしれない、それでも……(以下省略)」とかそうやってgdgd書けないんだよな。こんな感じの意見だと、ブックマークコメントでは「有り得ない」とか、タグで「あたまおかしい」とかやってみたりになっちゃうわけだ……それに、一応は「自分のためのコメント」であるという名目だから、ブログコメント欄のように「相手の事を考えてコメントする」ってことがない。良くも悪くも。

でも、それにしては、ブログの記事とか書いた人にとっては、簡単にブックマークコメントを見れてしまう。その案外近い距離感が、「偉そう」と感じさせるんだと思う。なんてーか、ブックマーク意味からすると、エントリと個人ブックマークコメントってのは「遠い」存在なんだけど、でも、物理的には非常に「近い」、その誤差が、後味悪くする。コメント書いてる方は、エントリ書いた奴が見るかどうかなんて分からないから結構何でも書いちゃう。それこそ、芸能人が見るかどうか分からないけど、辛らつな意見ビシバシ書いてしまう2chとかに近いノリで。でもそんなノリで書くには、あまりにコメントと著者が近すぎる。ブログコメントとほとんど近しいのに、書いてある意見2ch的なノリ。著者に対して言うんじゃなくて、裏で……悪く言えばコソコソと言うノリ。

廊下を隔てて、本人のいるすぐ近くで本人の事を言う感じに近い。噂してる方は廊下があるから聞かれてるとかあんまり思ってないけど実は本人はしっかり聞いてる。2chの場合だと、違う学校の噂をしているような感じ。絶対聞こえない。本人がわざわざやってこない限り。

ひそひそいいたいなら、本人の目につかないところでやれよと思う。

そうでないなら、ブログコメント欄にかけよと思う。

ブログコメント欄には書かず自分には反論させず、でも、著者が見ようと思えばワンクリックで見れちゃうような場所に書く。そんな行為がぶっちゃけちょっと陰湿臭い。まぁ僕も滅茶苦茶ブクマ使ってるんだけど。でもエントリとかブログとか書いてるほうにしたら、嫌だろうなあと思った。反論できないのが一番嫌だろうな。いや、できなくもないんだろうけど、したらしたで、「何こいつ、わざわざ自分にされたブクマ見て、わざわざそこから引用して反論?どんだけだよw」みたいな過剰反応さを笑われそうな……ってまぁ僕ブログやってないから想像だけれども。何にせよブックマークコメントって、僕みたいな小心者にはうってつけなんだけどw(反論されずにすき放題いえるから)、でも、相手はいやだろうなあと思った。これからはコメント欄になるべく書くようにしよう……それが礼儀だよな、たぶん。

2007-12-29

なんつーか見てて思うんだが……

増田にいる女性ってさ、一般女性平均値より、かなり貞操観念強いよな。そんで気持ち悪いほどクソ真面目。道徳観とか滅茶苦茶強い。

融通利かない、メガネかけたクソ真面目優等生って感じ。

あとなにかというと「妊娠リスクが」を持ち出してきたり、性犯罪がどうこうを持ち出してきたり。

男が大嫌いなんだろうな。という感じ。もう男が何言っても「ああ、全然あなたたちわかってない。私達にはこんなリスクが(以下略)」って感じだもん。話合う気もなくすわこりゃ。なんかもうさ。男は性犯罪予備軍としか捉えていない感じっつーの?そういうバリケードが文章の端々からビシバシ伝わってくる。こういうエントリが来るともうダメなんだ。何言っても無理。何を言おうが伝家の宝刀妊娠リスク」等で私達は苦労している、で終わりだもん。そういう主旨の話じゃないのに、話は何も進まない。

色々嫌な目にあってきたのかもしれないけど、正直こっちだって嫌になるよ。

2007-07-11

ID:tasoiの、kurotokageさんとの話の続き。

このエントリに対する、

http://anond.hatelabo.jp/20070707022857

 

kurotokageさんの応答に対して、再応答という形ですー。

http://d.hatena.ne.jp/kurotokage/20070709/1183911740

 

細かいところから、kurotokageさんのレスに対して、順を追ってレスをします。

全体に触れれるまで長くなりそうなので、というか長くなってるので、

気長に見てもらえれば嬉しいです。

 

長すぎて読めるかコラー!というひとは、スルーしてくださいスミマセン(汗

でも、最後の段落は読んでもらえると嬉しい・・・(好きな漫画の紹介です)

 

 

1.

対話の手法について語ることと、ネガティブ言及の両立について

 

>「他人の思いを汲み取ることが必要」といったような繊細な対話の手法について語りつつ、

>他人のセンスをバカにするような表現をおこなって

 

『ある程度、他人の気持ちを汲み取るのも大事だよね』ということと、

『いくらなんでも憎悪渦巻く表現が満載のバナー群がずらりと並ぶと、ヒクんじゃない?』

というのは、両立すると思う。

すごく短く言えば、そういうことで。たとえば

 

↓対話例

たそ「このアレバナーは何さー?(汗」

亜門「これはその法律とかに対して、よっっっぽどムカついたからやってんだよ」

たそ「うーん、そうなのかあ。丁寧に書いた方が伝わるんじゃないの?」

亜門「放っとけバーカw」

たそ「(`Д´)放っとくよバーカ」

 

こういう感じに、普通に対話できるんじゃないかな。

kurotokageさん、割とさっくり人の言及を『嘲う』みたいに評してるけど、

その言葉、当てはまらないと思う。こっちに悪意がそんな無いもん。

 

他人のセンスを嘲笑する(対話する気がないと思わせるほどの嘲笑具合)、っていうのは

もっとアレなやつだよ。

「こんな(ピー)は苦しみにのたうち回りながら(ピー)ばいいのに」とか

「(自主規制)」とか・・・

もっと『悪意が満載』されてるようなやつ。

こんな罵倒の場合だと、会話する気無いなこいつ、みたいなのがビシバシ伝わってくると思う。

そういうのは自分と直接関係ないものでも、見るだけで嫌気がさしてしまいそうだと思う。

 

だからこそ、

エントリに挙げた関連例のように、

憎悪や悪意がむちゃくちゃ渦巻いてる様子に、ヒいてしまうようなことが起きる。

そこから感じる悪意・憎悪が凄いから。

 

で、こういう酷いのはできたらある程度否定されておいて欲しいんだけど

(完全否定じゃない、場合によってはアリかもだけど、敷居はそれなりに高くあって欲しい。)

じゃあ、『だからといってちょっとでもネガティブな要素の入る言及をしたらダメか』というと

違うでしょ。

そんなこと言ってたら、なんも言えなくなる。

 

これは『さじ加減、バランスの問題』なので、感覚を同一にしろとは言えないことだし、

油断するとすぐ極論にぶっ飛んじゃうので難しいです。

そんなわけで、ここが、kurotokageさんが極論に飛んでる点その1です。

 

(別事例を出して参考に書くと、

自分は、例えばmojimojiさんが『個人を対象にしたキーワードの件』で色んな人に対して示した、

あれほどの潔癖具合ではないです。あの感覚はすごく解る部分があって、何度もうなずいてはいたけど。

・・・で、一方、

“明らかに集団で弄り回す目的キーワード作ること”に何の逡巡も覚えないほどモヒカンでもない。

なんかそこらへんに着地点があるんです。言葉にしづらいけど。

言葉にしづらいから、いっぱい喋って伝えようとしてる。)

 

それと、『度の超えた行為はやめた方が』、という言い方は、

特に身を慎みまくった聖人じゃないと言っちゃいけないってことじゃないよね、と思う。

 

自分について振り返ると、あまりそういう悪意むきだしにえぐい罵倒とかは・・・してないはず、と、

ひっそり思ってます。(そんなことやるとなんか損なうえにダメな気がするし)

→自分のブックマークコメント一覧 http://b.hatena.ne.jp/tasoi/

一応見てみてほしいです。

言行一致してねえじゃないか!ってところあったらツッコミください。

ポジティブネガティブ色々あるけど、一定ラインには収めてるつもり。

 

 

2.

コミュニケーションのやり方について

 

>単に自分自身の“感覚”とtasoiさんが共感する意見を並べただけ

 

うん、そうだよ。

感覚の問題だから、感覚を書く。

参考に見て欲しいから、共感した意見を書く。

そういうのが総じて、説明になっていく、と考えてます。

何か違う??

 

ちょっと、共感に頼りすぎてる?ぽいコミュニケーションの仕方かもしれないし、

いかにもアレで取っつきにくかったらごめん。

「これが好きだよ、これは少し嫌いかも、これはイイね、だからこういう風に思うんだよ、わかってくれ??」

っていう感じの話です。

 

>その感覚を共有しない私には「え?あ、そうなん…?」としか返すことができません

 

そんな感覚知ったことか!と言い切れる種類のものと、言い切れない種類のものがあると思う。

一番解りやすい境界線だと、自分オンリーの問題(前者)と、相手のある問題(後者)、とか。

あっさり全部、感覚を共有するギリは無え!的に切り捨てれるのが、ちょっと自分には意外だったり。

ここも、kurotokageさんが極論に飛んでる点その2。

 

 

3.

万人に○○なものは無い&どんなものも△△な可能性はある (←??? なんか既視感。)

 

>万人に好かれるものなどないのだから、どんなものでも常に“ヒかれる”可能性があるわけで、

>それを“程度問題”と称してして自分基準でバカにして良いものと悪いものを切り分けたとしても、

>到底同意はできません。少なくともその基準が如何に妥当であるかを主張すること無しには。

 

まず、程度問題っていう要素はすごくあるよ、断然として。

軽いブラックジョークなら許されても、無茶苦茶酷いブラックジョークは大概ヒかれるし。

その切り分けなんて、モロに程度問題だもん。

どのぐらいそういうニュアンスを含めるかという比率でも違うし、種類、質によっても違うかな。

(その説明は↓にも続きます。)

 

で、そういうのを総合的に見た結果だから、簡潔な説明が難しいんだけど、

今回の事例に則して自分の基準を言えば、

「相手を悪魔化しすぎ」

「一方的な解釈を前面に押し出してる比率が高い」

「善悪の判断を決めてしまう単語を入れまくり改悪とかナチスとか現代版治安維持法とか)」

のようなもので自分は判断してると思います。

そんな要素の度が超えすぎてると、これはヤバいって思う。

憎悪に取り込まれてる印象を受けるから。

 

たとえば、右翼っぽい人の例で言うと

人権擁護法案」「反対」とかのキーワードググると、いくつも出てくると思う、

そういう類の人が。

kurotokageさんは、割とさっくり、万人に??なものは無い、とか飛んでるけど、

個別に妥当性を見るという観点から真逆に遠ざかってると思う。

ここが、kurotokageさんが極論に飛んでる点その3。

 

 

4.

数の論理の取り扱い

 

数の論理で自身の主張を正当化しようとする部分。

>ある部分においてマイノリティーである私にとって、

>“数の多い意見が正しい”なんてのは到底受け入れることができません。

>まさか「多数決民主主義だ」なんて言いませんよね?

 

言ってないので多分知らないと思うし、興味とか持ってくれないかもしれないけど、

taso自身も色んな部分でマイノリティだよ。

性的趣味的出自的嗜好的、いろんなカテゴリのいろんな部分で割とオンパレードマイノリティ

でもあんまりそのことに、悪い意味での価値を置いてないというか、

「私はマイノリティだから、数の論理が許せない!」みたいな感情はあんまり抱えてなかったり。

(※ここの部分、最後の8でもっと書きました。) 

量が少ないだけで、kurotokageさんの感情そのものは解るんだけど・・・ね、

自分もそういう感情一応持ってることは持ってるよ(だから、引用された文中にも、『言いづらい』と)。

感覚的なものは伝えづらいけど・・・

とりあえず、

 >(たぶんだけど、多くの“一般人”も引いちゃうと思うわけ。言いづらいんだけど・・・)

の中の『言いづらいんだけど・・・』の部分の気持ちは、

できたら汲み取って欲しかったです。

(こういうやりとりで、感情とか心情とかそういうのまでちゃんと伝わるはず!と自分は信じてるけど

解釈に悪意が混じると大変なことになりそう。これについてはまた書きます。)

 

・・・で、話を戻して、

正直なとこ、数の論理って結構重いです。

でも。

それがもっと重要論理とぶつかった場合、その重要論理の方が優先されるし、

重要さ具合に応じて、数の論理もそのぶんだけ引っ込められる。

逆側から見ると、数の論理もある程度重要だから、ぶつかる側の論理も完全にそのとおりには通らない。

そんだけだよね?そういうさじ加減だと思う。

学問的な領域での話じゃなくて、そのほか一般の領域の話。)

 

そういう意味で、数も重要な1つだからこそ、

民主主義の根幹の部分に、話し合い&多数決っていう感じで数の論理“ も ”組み込まれてるんじゃないの?

今回、数のことも引き合いに出したのは、その手の憎悪渦巻く悪魔バナーとか、同じく悪意に充ち満ちた解釈群が

いくらなんでも度を超してるんじゃない?っていうことを伝えるための、要素の1つだからです。

煽りとかツカミの部分にマジレス返してるだけになってるかもしれないけど、

これは、重要だと思うのでちゃんと言葉にしてます。

 

(ここで、重要さってどう判断するんだよ!ってツッコミはもちろんあると思うんだけど、

なんでそこを細かく書いてないかというと、

そういう判断を明確にするには、実益とか数とか歴史的なものとか他倫理との兼ね合いとか、すごく色んなことを

意識的にしろ無意識的にしろ考慮しないといけないことなので、

文章にするととんでもなく拡散してしまって、書けないからです。

大概は、あうんの呼吸でそれなりに通じることでもあります。

今回は必要だからホントは書かなきゃいけないんだけど、そういう理由で、言い訳だけ書いてます。)

 

うーん、長すぎてややこしい。

よくネットでも話題になるような例を挙げると、・・挙げすぎるとややこしくなるかもだけど、

たとえば論理とか規範とか同士って結構ぶつかるよね。

表現の自由」っていう重要なものと、「人権を守る」みたいなのも、重要なもの同士がぶつかりあってる有名な例で。

その結果、あんまりな表現はほどほどに、でも基本的には自由も大事に・・ぐらいの玉虫色で収まってる感じじゃん。

 

kurotokageさんは、玉虫色って嫌いですか?

自分はけっこう好きです。

kurotokageさんが、数の論理への憎悪を持つのは別にいいし、何も言わないけど、

ほかの人にまで数の論理を過剰に低く扱うことを要求されると、困るときもあります。

長くなったけど、これがkurotokageさんが極論に飛んでる点その4。

 

 

5.

主張や宣伝の方法論について

 

>主張や宣伝はある程度声を大きく・印象を強くしなければ、誰にも聞いて・見てもらえません。

>しかし声を大きく・印象を強くすると、それに対して反発する人が必ず出てきます。

 

なんで??

ここはよく解らない。

声を大きくすること=>増大させまくった悪意で満載の主張をすること じゃないし、

印象を強くすること=>相手を悪魔化するような一方的な表現 でもないよ。

極論に飛ん(略)その5。

ひとつの方法としてあるにはあるかもだけど、デメリットだらけじゃないかな。

ワガママかもしれないけど、そういうのやって欲しくないし、やりたくもない。

ほんとワガママでごめんね。

 

ちなみに自分が好きなのは、ちょっと経緯とかを無視して出しちゃうけど、

http://d.hatena.ne.jp/meiwakoko/20070525

こういうのとかすごくいいと思うな。

>「経団連には興味ありません この中でニート派遣ワーキングプアがいたら私のところに来なさい」

なんという才能無駄遣い・・www

 

 

6.

自分の思うさじ加減、方法論の続き

 

>ではtasoiさんはどのくらいの“バランス”が良いと考えますか?

 

関連しそうな例その1に出してる教育基本法の例で言うなら、

ダメだなと思うのは、

「相手がこう思ってるに違いない」と悪意満タン勝手想像力を働かせ、悪意見えすぎな弄り行為を(特に集団で)行い、

さらにその行為に対し、やってる集団の誰もが疑問に思ってないような状態。

そういうの見ると、うわこれはヤバいなと思う。

 

だから、

構図が似たような別の事例でいうと、

“「チョンどもは日本を乗っ取ろうとしている」みたいなレスが集団で溢れるような一部2chスレ”には

『なにこのキモイスレ?』ぐらいのことはバリ思うよ。レスするのはもう疲れたから、わざわざしないけど。

(一時期はマジレスちゃんだったこともあった。いまはそういうスレそのものがもうあまり無いかなあ)

 

で・・・、

そんなのに対して自分に出来ることは、そんな種類は多くない。

方法の1つは、直接ガチレスること。きついけど。

次は、スルーすること。

もう1つは、(これがイイ!と自分では思うんだけど)

イイと思うから蛇足気味でもこういうの書いちゃうんだけど、

 

『そういう嘲笑するネタになるようなモノを、

どっちかというと軽い文脈(・・・こう、さっくり受け流せるような文脈)にして回収して、

“中和・無毒化”してしまうこと。』

http://blog.goo.ne.jp/tasoringo/e/5aacd4fdb86a526aafcc73d59b1ad6ee

自分のエントリだけど、これの4つ目の最後のやつがちょうど・・・。

そういう感じの意図です。

事実関係とかが間違ってたら指摘ください。すぐ直します。細かな事実関係重要じゃないのですぐ直せます。)

こんなのが積み重なっていけば、そのうちだんだんいい方向に転がっていくんじゃないかと夢見てたりします。

 

書いたときは特に意識もせずに、“こういう風な感じでバランス取った方がいいな”とてきとーに思って書いたけど、

言語化すれば、自分の思ってることは大体こういう感じです。

ちょっと話が逸れたかもしれない。

 

 

7.

蛇足気味な部分だけど、いくつか。

 

まず、

価値判断のときによく使う、『いくらなんでも』『さすがに』っていう言葉は、

レベル的にそこまで達したからこう言わざるを得ない」、っていうニュアンスだと思う。

「それに達するまでは、不適切ではあるかもしれないけど許容範囲だよ」、って意味も暗に持つ感じ。

なので本来は、「じゃあお前はどう思うんよ」と、ひとつひとつ聞かなくても、読みとって欲しかったかも。

 

>“謝罪に相当することをあえてやった”としか読めないので。

 

『これは言いづらいけど、言わないと伝わらない部分かなあ・・』と思ったときは

そういう風に書いてます。今回もそう。

その意味ではそのとおりなんだけど。。。あえてやった、とは似てても違う気がする。

 

>思うところをちょっと書こうかと思っていたのですが

 

せっかくなので是非書いて欲しい!

でも、あんまり悪く取ると、

「逃げるのはベトコンだ!逃げないのはよく訓練されたベトコンだ!フゥハハハー」

ってやつになりそうなので、気を付けないといけないと思う。

あ、tasoの書いてることで、そうなってる部分があったら言ってください。直す。

 

たかだか100文字以下のブックマークコメントが“会話”と言えるのですか?というのは置いておいて

 

100文字でも一応頑張って考えて書いてるよッ

字数制限があると、その字数制限に挑戦したくなるんだよね・・・人間心理かな。

ID:mindさんみたいな人は、上手くていいなあと思います。)

足りないときには、出来るだけエントリーとかコメントとかで補足したいなと思うし、

そういうときは、実際にそんなふうに実行してると思う。

今のこれも、それです。

 

 

8.

ここまで来たら全部書く。『マイノリティに対しての感覚』

 

↑の方で出たマイノリティへの感覚なんだけど、なんか書き足りてない、

引っかかりがあるので、

この際なので出来るだけ全部出します。

 

いきなり漫画のことで悪いんだけど、

自分のすごく好きな漫画家のすごく好きな漫画

「どうにかなる日々」(作者は志村貴子さん)

っていうのがあります。

(あ、エロ漫画なのでそういう表現もあるので見るときはすこしだけ注意です、たぶん大丈夫だけど)

 

オムニバス形式で、色んな人の色んな日常や心情を淡々と描く、という感じの漫画なんだけど、

その中のやりとりの1つ1つが、なんていうか、全体的にすごく素敵で琴線に触れる。

たとえば

その漫画の中で、こういう話があって

 

幽霊”の見える女の人が、自殺した幽霊の出ちゃう格安の部屋を借りるという話で、

もちろん案の定、さっそく若い男の子幽霊さんが見えるわけなんだけど、

 

幽霊さん「こわくないの?」

女の人「別に 見えるだけだし」

幽霊さん「見てしゃべってるよ」

女の人「見てしゃべってるだけだし」

幽霊さん「あーうれしいなあ」(大の字に、寝っ転がる)

女の人「ちょっと、そこじゃま」

 

こんな感じのやりとりが。

初めて読んだときは、この感覚がそのまんまソレすぎてすごく驚いたりした。

(同じ話に出てくる欠点?な部分もまんまそれぽくて怖いけど)

あと、他にもいっぱいあります、ゲイとかビアンとかAVとか思春期とかの話も、さらりとある。

マイノリティとかなんとか、そーゆーのに対して、だいたいこんな感じ。

 

わかってほしいなあ・・・

 

 

取り留めもなくなったので、ここで〆ます。

何かあったら追記するよー

改行の数を減らしましたー

こんなに改行が目立つとは思ってなかった。すみません。

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