はてなキーワード: デザイナーとは
最近服に関しては使用している繊維と製法元を重視してる。
すると日本製ってのはほぼ無し。
繊維で言うと天然使用もあまりない。動物性は特に。
あっても化繊と混合されていたり、例えばカシミヤコート!と書かれていても配合は5%だったり・・・。
色々と有名なブランドはあるけれど材料と製造を見ると化繊で日本除くアジア製でがっかりした。
勿論ちゃんと製縫してあるものもあるが(有名ブランドであるほど高い)
例えばデパートに店舗入れてる店で買った万単位の物が一ヶ月で糸ほつれで裾が駄目になったり。
(案の定去年製造国偽造で勧告受けてた)
勿論天然より日本で製糸された化繊の方が農薬だのの問題考えたら良いのかもしれないし
以前の日本も今のアジア各国のように衣服の製縫元だったこともあった。
しかして個人的に繊維は肌触りがどうしても駄目なものがあったり、冬は死活問題に近い。
(その点ユニクロは確かにそこそこな素材と製縫だなとついつい利用しがちに。)
更にそこへファッション性(体型カバーする、肌に合った色、機能性)を求めると、ほぼ理想の服なぞ存在しない罠!
今売られている服のブランドを見てみると、重要性が「デザイン性>>越えられない壁>>素材>製縫国」で
製造自体は安く仕上げて、いかにデザイナーのライセンス的料金が上乗せされボッタくられているのかと切なくなる。
しかもファッション系通販サイトはブランド名検索あれど、素材で検索は無し。
ちゅうわけでデザイン性を取って脆さだの肌触りだのを捨てるか、素材と製縫を取って妥協するか常に迷っている。
http://anond.hatelabo.jp/20091217224219
つづき。
「なんでまた、そんなところを」
ぼくはガイドブックから視線を上げて、うれしそうにする彼女を見る。
彼女はラオスのガイドブックを開き、ぺージをめくりながら、つぎつぎ指さす。
「やっぱりメコン河ですかね。特にこのシーパンドーン、四千の島という意味だって書いてありますし、あとはボーラウェン高原、すごくきれいなところなんです。さっきFlickrでチェックしたら、みんなバイクで。やっぱり取らないといけないですかね、免許」
ぼくはぽかんとする。
「あー、いや、1人あたりGDPとか、総人口とか、交通の便とか、そういうのを調べないと。それじゃあ、観光目的だよ」
はっきりと言う。
彼女のいまの夢は、観光目的でラオスに工場を建てるということ。
一見すると私益と社益の混同ではあるのだが、社益を私益にFIXさせることが出来るようになると、あんがい会社勤めは悪くないと思い始めたようだった。
「ラオスをバックパック旅行したいと思っていたんです。でも、それだといろいろ心配しないといけませんよね? でも工場建てて、そこに派遣されれば、全部解決だって気付いたんです」
なんとも途方がないことをうれしそうに言う。
確かに製造業は生産拠点を東南アジアに工場を移転しており、その中でもラオスの特に南部は穴場ではあるのだ(北部は中華系が占拠している)。いまは無理でも、3年後ぐらいなら、けっこうよい投資環境が整っているかも知れない。
「ね? いい考えでしょう?」
「え、ああ、筋はいいかも……」
「だから、いまのうちからラーオ語勉強しなくちゃ」
「はあ……」
こんなことをわざわざ言い出すまでもなく、多くの日本人は会社の夢と自分の夢を重ねることにより夢を実現させている。それが出来るようになれば、リスクは会社に背負わせたまま自分の夢を実現することが出来る。
彼女のようにそれがたとえ観光目的であったとしても、それが社益とFIXされれば、そのような夢や情熱を持つことは推奨される。
そのために同僚と夢を話し合い、共有し合い、仕事をこなして認められ発言力をつけ、いくつものプロジェクトを成功させ実力をつけなければならない。会社が夢を見ないなら、そこに自分のビジョンを植え付ける、たきつける。会社に絶望したのなら実績だけ作って、自分を別の会社に高く売りつける。
なんともたくましい。
半年ほど前、彼女がしきりに仕事を辞めたいと言っていたのを思い出す。
もう何度目かの作戦会議のあと、まだぐしゃぐしゃになってぼくのところに投げ出されていない別の案件で行き詰まっているらしく、彼女は言う。
「わたし、もうこの会社やめたいんです」
「え? なんで?」
「はあ」
「それに、子供の頃からの夢があるんです、わたしデザイナーになりたいんです」
それはよくある現実逃避で、ほとんどの場合上手くいかないことは保証できるのだが、彼女の場合、それが根深いように思えた。
「みんながなりたいものに、生活を掛けてしまうと、とってもつらいですよ?」
「ああ、よく聞く話ですね。競争者が多くて誰もがなりたいところは自然に過酷な労働環境になるって」
「作家なんかだと、たいてい仕事を持っていて、作家業が軌道に乗るまではその仕事をつづけるのがほとんどですし。本業の年収の倍を作家業で稼げるようになってから、作家業を本業にするなんて、よく聞く話で、それに」
ぼくは、言うべきか、言うべきでないか迷う。
それに気付いた彼女は、視線で続きを促す。
それなりに痛いことではあるのだ。
「本業にしてしまっていたときがあったんです、プロのカメラマンだったんです、昔」
ぼくは、彼女に話す。
進学校に入りながら、大学受験をやめてカメラの専門学校に入ったこと。それから、先輩のつてをつたってプロの端くれになったこと。下積み時代は長くて苦しくて、それでもある分野ではそれなりに認められるところまでは行ったこと。しかし、生活は激務で荒れ果て、収入は底辺に近いところだったこと。
それを彼女は静かに聞く。
「それで辞めたんです。先行きも暗いし。これをつづけても意味がないって」
彼女は首を傾げる。
「なんで辞めたんですか? カメラ」
「いえ、辞めたのは、カメラで生活することで、カメラは辞めてません」
ああ、なるほどと彼女は頷く。
「ぼくはカメラは好きだけど、カメラで生活することは好きじゃないって気付いたんです。実際のところ変わらないんです、カメラで生活していようがしていまいが、カメラすること自体は何ら変わらない。それが仕事である意味はないって気付いたんです」
「それで製図屋さんに?」
「ええ、この業界はニッチなんです。みんなきっとずっと製図ばかりしているのは退屈だろうと思うんです。なので高給で、仕事が楽で、専門性が高くて、安定しているにも関わらず、あまり多くの人がなりたがらない」
ぼくは笑う。
「そのとおり」
彼女が遠慮がちに聞く。
「どんな写真を撮るんですか?」
「え? ああ、自然が多いですかね。アマゾンとか一度撮ってみたいかなぁ」
結局のところとぼくは思う。
誰もが思いつきやすい夢というのは、非常に環境の厳しい実現しても不幸になりやすい夢であると。そこにあるレッドオーシャンを目指すよりは、誰も気付いていない未開のニッチのブルーオーシャンを目指す方がいい。
しかし、そんな南の楽園への道は紆余曲折が待っていて、それを探すためにそれほどハードではない仕事とのダブルスクールをすることは悪いことではないと。むしろ、そっちの方が、自分の可能性が多様になり、レッドオーシャンの血みどろの戦いに振り回されることなく、自分のやりたいように出来るのだと。
レッドオーシャンの嵐の中では船はコントロールさえ失ってしまうが、誰もいない大海原では、自分が取りたい進路を選ぶことができると。
そして、多くの日本人はもっと楽ちんな、会社に自分の夢を実現させるために、会社と自分の折り合いをつける選択をしているのだと。
いままさに、彼女がしているように。
「というわけで、ラーオ語覚えてくださいね?」
「え?」
「だって、そうですよね? うちの会社がラオスに工場を建てたら、製図屋さんも派出所をラオスに作らないと、契約あるんだし。そのときあなたが派遣されるためには、ラーオ語が話せるのはあなただけという状況になっているのが、望ましいんです」
「はあ」
なんとも、深慮遠謀な話だ。
「しかし、ラーオ語って、なんともニッチな」
「だからこそ、ブルーオーシャン、でしょ?」
ああ、それでラオスかと得心がいく。ラオスにほんとうに工場が建てられるかどうかはともかく、その夢のために情熱的に生きれるのであれば、それはよいことなのだ。
「計画にはぼくも入っているんですか?」
「え、だってあなたがいないと不便なんです、いろいろと。それに、あなた、わたしのことどう思っているの?」
伏し目がちに聞く彼女を見て、ぼくはどきりとする。
さんざんに曖昧だ、曖昧だと揶揄されてきただけに、その曖昧さを維持したいのだということは言えそうになかった。
たとえば、結婚してもいいというと、結婚のネガティブな面に意識がむき、それはどうかなと思い始める。同じように、恋人になりたいというと、恋人が出来たときのネガティブな面に意識がむく。
彼女はきまぐれだから、そのきまぐれに、その言葉の定義が合わなくなったとき、たとえばその気まぐれには恋人であることが不都合であったとき、その関係性を疎む、という性質があるのだ。
なので、彼女のきまぐれにいつでもつきあえるように曖昧にしておく。
ぼくはとてもストライクゾーンが広く、そして彼女はボールゾーンがおもいっきり広い。
なので、なるべくそのボールに球を投げないように、細心の注意を払う。
でも、ほんとうのところはそんな他人が作った言葉の定義は、いわばレッドオーシャンで、ぼくと彼女だけにしか適用できそうのない、ニッチなブルーオーシャンを探したいと思っている。
それはいったいどういうものなのかというと、それはぼくにも分からず、そのときどきに都合のよいように、彼氏にも、友達にも、相棒にも、変化するなにかだと思うのだ。
ときには問題を解決したり、ときにはいっしょに遊んだり、ときには恋愛物質に翻弄されたり、ときには抱きしめたり。
ようはぼくは彼女と一緒にいたくて、いろいろなことがしたくて、そこには好きという気持ちも、愛しているという気持ちも、一緒にいると楽しいという気持ちも、悪ガキのように作戦会議をするのも楽しいという気持ちも、彼女のあらしの側にいるとこっちも活性化するのでうれしいという気持ちも、ごっちゃになって含まれている。
「ねえ、どうなんです?」
「ラーオ語、覚えます。ひょっとしたら会えなくなる可能性を消しておきたいんです」
「また、曖昧」
彼女は不機嫌そうに眉をしかめた。
(それはきまぐれなあなたに合わせるためなんだけどなぁ……)
それでも、彼女はよしと意気込み、ラオスに工場を建てる計画の推進をはじめる。
その姿があまりにも眩しくて、ぼくはそれに見入ってしまう。
彼女の飛躍するような自由奔放なあらしの側にいると、こちらまで、もっと高い理想と夢を追わなければならない気になってくる。
彼女は停滞を嫌う。
それがぼくに向くときに、うわ、頑張らなくっちゃとなるのが嬉しかったりするのだ。
(しかし、ラオスか……、途方もないなあ……)
そこそこ名前の通るIT企業でデザイナーとして働いているんだが、就職活動中の大学の後輩からメールが来た。卒業して10年経ってるので見ず知らずの後輩だ。ちなみに地味な美大で専攻はデザインではない。俺にメールしてきた理由を聞くと、うちの専攻出身で教授が知ってる限り現在会社員として働いてるの俺だけだったんだとか…マジかよ…。
ただし恐ろしいことに俺は決して勝ち組ではない。なぜなら「会社員」は基本的に負け組だからだ。うちの専攻ヒエラルキーは、
アーティスト>大学講師>>>>>>中学・高校の美術教師しながらアート活動(これが一番多い)>フリーターしながらアート活動>美術と関係ある就職(俺ココ)>>>>>>美術と関係ない就職
なので、院にも行かず4回生の時点で会社員になりたいという子は、4年弱に及ぶ大学生活で完全に同級生の才能的なものを目の当たりにして「自分は芸術家にはなれない」と心をバッキバキに折られた奴だな。そんなバッキバキメイトである俺に、「負け組の○○さんがどうやって○○社さんに就職したのか教えて下さい(意訳)」と。
これはもう残念ながら「運」としか言えないんだわ。そもそもそういう専攻なので、就活してたのは俺ひとり。就職課ないガイダンスない情報ないコネ全くない就活の方法分かんない。完全に手探りでリクナビ登録してみたりとかして、ダダすべったりしてたわけです。
ところが、諦めかけたそんな時、俺が当時地味に運営してた全国美大コミュニティサイトみたいなののBBSに今の会社の社長が投稿してきたと。
「デザイナーに美大出た子を雇いたいんだけど、どうしたらいいかな」
「オッスオラ管理人!俺どうすか」
↓
内定\(^o^)/
そんで入社したんだけど、その時はマンションの1室でやってて社員4名だったんだよ。それが10年で社員が増えてITバブルでそこそこ有名になっただけで、そんなの入社時に予想してなかったっつうの。
これノンフィクションなのでもうほんとアドバイスのしようがないというか。今週末その後輩と会う約束してるんだけど、俺なんて言ってあげればいいんだろう。話すことを整理したくてこうやって書いてみたけど、俺はひどく運がいいことが判明しただけだ。
ところで明らかに男の名前であるこの後輩、実は美少女だったりしないだろうか。俺の強運を持ってすれば、それぐらいあっても不思議ではないと思うんだ。
自称デザイナー集団が運営するとかいうレストランに行ったんですよ。
パスタを頼んで途中で赤ワインが欲しくなったから「お願い」ってオーダーして、
パスタと一緒に食べようとして待ってるのにワインが全然来ないんですね。
カウンターずっと見てたら女性店員がのそのそと赤ワインを冷蔵庫から出してきてはいるのですが
ずっとカウンターのイケメン常連客らしいデザイナーっぽい兄ちゃんとしゃべってて、手が進まないんです、もう!
早く欲しいからってウェイトレスに頼んだけど、返事はするもののカウンターの女性店員はこちらを
チラ見しながらも、無視してくっちゃべる。さらにイケメンの兄ちゃんと携帯のメール交換してるんです。
おいおい。
15分くらいしてようやうコルク抜こうとしたら、今度はコルク抜くのが下手くそで手間取ってさらに10分。
コルクなかなか抜けないから、周囲の店員も手伝いだしたんです。
ようやく、赤ワインが来たけどなんかワインはぬるぬる、パスタはパサパサになってしまいました。
どうして、コルク抜くのが下手なら最初から取り掛からないんだと憤慨したんですが、なんかカウンターの
兄ちゃんが明らかにこっちを見下して「そんな事で怒るのかよって」鼻で笑うんです。
大人の対応しなくちゃと思って堪えましたわ。
やっぱりデザイナー集団が粋がって料理店なんか経営するべきじゃないです。
30後半の童貞男が一人で行って損しました。
多分ポイントが違うんでないかな。
されてるのは子供の頃の話で、少なくとも俺の子供の頃もゲームを作る人=プログラマーだったし、
デザイナーだのプランナーだのコンポーザーだのって存在のことなんて考えもしなかった。
俺も子供の頃
「ゲームが好きで好きで仕方がない。だから自分はゲーム会社に勤めてゲームを作るのが向いているはず」
と思っていた事があったが、あれと同じ。
ってのは、小説が好きだから小説を書けると思っている人間に、それと同じ幼稚な短絡さと、実力を伴わずにそう考える(しかも実行に移す)身の程知らずっぷりが感じられるって言ってるんじゃなかろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20090907161737
「気分はわかる」の増田だが。
それは勇気がないのではなく、野垂れ死ぬ権利がないのではないかと思う。
元増田の書き込みには「デザイナー以外社会貢献なんかできねえよ。諦めろ」と言われたとある。
つまり、今現在の元増田の心の中では「デザイナーを辞める」=「社会貢献なし」となっている。本人も納得したと言っているのだから、何か心当たりがあるのだろう。パソコンのこちら側からはうかがい知れないが。だから「デザイナーを辞める」=「野垂れ死ぬ」になってしまうのだが、そこがイコールで結べるかどうかは置いておいて、デザイナーを辞める権利は元増田にあるか? という問ならば「ある」と答える。
なぜならば、人は自分の責任において自分の行動を決める権利があるからだ。
結果、社会貢献が出来なくなる場合もありうる。社会貢献が出来ないこと自体は、モラルに反する責められるべきことだ。しかし、選ぶ権利はある。「モラルに反すると責められること」まで、込みで覚悟をする気(これを勇気と私は言った)になれば会社を辞めるほうを選択することも出来る。
単に「社会的責任から逃れたい」と元増田は言っているわけではない。その仕事を続けていて体を壊したと言っている。そんな無理を続けるのは、社会的にもよくない。病気になったらいたわられる社会であったほうが良いと私は考える。
増田が言っているように、社会貢献しない人は徐々に社会から除外されていく。除外される覚悟が出来るのなら、何をしようと自由だろう。最後は独りぼっちでどこか橋の下で息を引き取っているかも知れないが、それもひとつの生き方だ。
20090908追記
http://anond.hatelabo.jp/20090908154332
申し訳ないんだが、読解力が追いついていかない。整理させてくれ。
2、養育期間が終わった人は、なんらかの社会貢献をして、受けた恩に対して報いるべきだ。
3、恩に報いるという義務を果たすために、なんらかの仕事をするべきである。
この3点については、お互いに同意でよろしいか?
4、(私)だが、その仕事が「その人」を脅かす(健康をそこなう、もしくは精神的苦痛を伴う)ものであった場合は、義務を果たせなくなったとしても仕事を辞める権利がある。
(増田)義務は放り出してはならない。仕事を続けたせいで死ぬ可能性があっても辞める権利はない。
と、4番目が分かれていると考えてよろしいか?
異議がなければ、止めにしたいのだがどうだろう? お互いに自分の考えは提示した。あとは元増田がどう受け止めるかの問題なので、論争はここで終わり、でいかがかな? 何か言い足りないことがあるかい?
芸術的才能が一切なくても作り出せるものばかり。
でも、その馬鹿デザイナーのおかげでその会社の製品が作られててやっぱり小さくてもその馬鹿デザイナーは貢献してるんじゃないのかな?
自分の人生、方向性を決める権利は常に自分にあるんだと勘違いしていたけど、そんな事なかったみたい。
私は頭が悪く、何も考えずに生きてきたため、普通に就職をして普通に結婚して子供を育てておばあちゃんになって死んでいけばいいんだと思っていた。
でも本当は生きていればいいなんて事はなく、真っ当に生きていればいいなんて事はなく、私が今まで2○年間生きてくるためには、全く知らない見ず知らずの人の社会への貢献が努力があって、そのおかげで生きてこれた。
だから2○年も生きてしまった私は、もういい加減、全く知らない見ず知らずの人の「役に立つ」事をしなければならない時期にあって、自分の生きたかった「普通」の生き方などできない事を知った。
幸か不幸か、就職はできたが、頭の悪い私には困難極まりなく俗に言う「バカデザイナー」でいるために、生きるために、必死に必死に頑張ってきた。
精神病にかかった事で、この職業が自分には這いつくばって努力してもやっとついていける程度の「継続が難しい職業」だと痛感したので、きりのいいところで辞めるという選択をするつもりだったし、それを選んでもいいんだと思ってた。
でも「人は見ず知らずの人の社会貢献によって生かされてきて、その循環を繰り返すために社会に貢献するべきで、お前が貢献できるジャンルはもうデザインしかない事を諦めろ」と言われた。
ああ、こういう事を言うから精神病にしちゃうんだよ、なんて思いながら一方で納得してしまった。
とりあえず、困ったな。納得しちゃったな。
いつでも引き返したり、方向転換したり、戻ったりしてもいいんだ、なんて思ってたからあちゃーと思ってる。
辛いけどなんか決めるしかないみたい。
なんか、お父ちゃんお母ちゃんはホントすごいなぁって思うね。
友達のデザイナーに有名ななんとかコンペ入賞クラスの優秀なデザイナーがいて、彼のデザインはどれも教科書的。
理論立ててデザインがされているのがよくわかるし、説明してくれる。
安定した良質なデザインを提供してくれるから、こちらとしてはありがたいけど、時々見かける「教科書的でないけどすばらしいデザイン」にはまだ到達できていない。
当人が書きたいものが見えたら、今のスキル生かしてかけれるようになるんだろうなーとは思ってる。
守離破の流れやね。
早くそうなってほしい。
デザインが良い、て雑誌とかで言われる商品はそれなりにデザインが良いけど、結局その雑誌とかを見る人の中では標準になるんだよね。超つまんね。
ファッション誌の言うおしゃれは、一般人との差をつけるおしゃれであって、そのファッションをする人たちの中でのおしゃれじゃない。
ま、あれだ。
基礎のデザインの勉強やらである程度良いデザインはできるようになるし、そういった教科書的なデザインほしがるクライアントはいる。
で、それ以上に自分的なデザインしたいなら、悶絶葛藤憤死しなさい。
ちなみに基礎ができてすらいないデザイナーの糞作品は0.5秒でわかるから気をつけて。即破り捨ててるよ。
ここが理解出来ない。
「良いデザイン」の「なにが・なぜ・どう良いのか」さえ理解出来れば、それ以上そのデザインに拘る必要はない。
良いデザインの物を持つのが目的なんじゃなくて、良いデザインの物に触れて、「なにが・なぜ・どう良いのか」を学び、自分のデザインに「良さ」を取り入れることが目的のはずだろ?
俺の周りにも、自称「デザイナー」気取りで、カラーイメージもろくに覚えていないのに「感性でデザインする」とか言っちゃってるヤツがいるけど、感性だけで通用するのは天才だけだ。
絵画の勉強するのと同じで、基本から学んで、いろんな作品に「ただ触れる」だけじゃなく、「なにが・なぜ・どう良いのか」を考えながら見て、吸収するのが大事なわけで。