はてなキーワード: タブー視とは
インパクトあるのは、字面だけじゃなくって。
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52072297.html
いや字面のインパクトが大半だとは思うけど。
一応、連載漫画のほうはいちどたりとも読んだことがないので(タイトルじたいはじめて知った。山田恵庸先生の「エデンの檻」でいいんですよね)、「あの一ページをみたときのインパクトの理由」という話ということで。
あそこからものすごく強烈に発せられるある種の「童貞感」というか、「童貞的イタさ」がインパクトに少なからず寄与しているんじゃないかなあ。もちろん、童貞的イタさなんていまさらありふれているし、ほとんどみんなウンザリすらしている。でも、あそこの構図は「女の子が、男の子に」なんだ――これがひどく目新しい(つまりさっきの用語も、「処女感」「処女的イタさ」のほうが正確かな)。
大急ぎで補足しておくと、どこかのコミュニティでは処女的イタさなんてありふれているかもしれない。でもそれって、「童貞」つまり男の子から女の子へのそれと比べて、非常に目立たないところにありませんか。男性の「童貞キャラ」、「もてないキャラ」なんてリアルウェブ問わずありふれているのに、女性のほうはいないとはいわないけれど……強いて近いところをいうなら負け犬キャラ? でも彼女たちは処女ではないでしょう。つまりなじみのある部分(童貞的イタさ)と、新しい部分(それを少女が発した)との、ギャップなのか相乗効果のかわからないけれど連携、みたいなものがあったんじゃないかなあと。
「処女感」「処女的イタさ」みたいなものがタブー視されているとか、隠蔽されているとか、そういう大げさなことはいわない。でも、なんていうか非常に新しい手触りなのだけれど、かいだことのあるにおいだけは漂ってくる、みたいな感触をあの一ページから覚えた。実際、これは本来よくないことなのかもしれないけれど、なにか「見てはいけないものを見てしまった」なんて一瞬思ってしまったぐらい。
なんて。今度単行本読みます。
子供が出来たから(仕方なく)結婚する、という意味でのデキ婚と
子供が出来なかったら結婚しなかったが、できたから結婚する、という意味は
本人同士にとっては限りなく遠いけど、
周囲がその差を理解するのは難しいよ。
色々言われるだろうけど、身内以外に理解を求める事自体、無理なんではないだろうか。
大体がまだまだタブー視されているし、元増田も踏んだように様々な地雷があるんだから、理解を得ようとする行為自体が難しいと思う。
仕事は大事ですが、子供の為ならばある程度は仕事を減らすのもやむをえないと思っています。一方、結婚しただけで今の仕事を外されるのは御免です。そして、今の職場だとその可能性があるんです。結婚して、旦那さんが待ってるんだからはやく帰りなよとニヤニヤしながら言われるくらいなら、子供が出来てからゆっくり定時退社したほうがマシです。
元増田がこれだけ思ってても、
って思考の人もいるし、兼業主婦っつっても、主婦業の大半をやらなきゃいけない人だと、嫌でもそうなっちゃう。
理解がありそうなら上司くらいには考えを話してもいいかな、と思うけど、元増田は既成事実化が大前提だから、子供できるまでは無関係だし、できちゃったら定時で帰る方を選ぶつもりなんだよね?
なら、「理解を得る」必要がある相手なんて、実質身内以外にいないでしょ?
ただし、何でも事前の根回しは必要よ。
結婚式…は所詮自己満足だから適当にするとしても、おなか大きくなってから、とか、安定するまで、とか、仕事を回していける環境は大切。
うちの会社は、妊婦に対して全く気遣いない上に、本人もキャアウーマンな自分大好きが多かったから、デキ婚じゃないけど、一人は入院、一人はいきなり吐血した。
幸い、どっちも無事出産したけど、おなかに良いわけないと思う。
今のご時世、どこも余裕のある仕事してないと思うから、そこはがんばれ!
いくつかの系統に分けられると思う
学問的に遺伝とかそんな話を研究するのはタブー視されてるけど、
実際、つきつめて考えればもう努力なんかじゃどうにもならないレベルで個人に差がありすぎる。
根性論のようだけれども。
行きつけの床屋のおっちゃん曰く、「俺は事故で鋏が握れなくなったとしたら、土方をしても何しても女房と子どもは食わせていく」とのこと。
仕事のえり好みをしていたり、勇気が無いとか甘えだとか言われる部類。
世の中には俺たちを搾取する巨悪がいるんだよ!!
「な、なんだってー!」的な人たち。根本的にバカ。
危機感なんて感じてないよって部類
こんなとこか。
こんなこと書くと総スカン食らいそうだが、多分起きたら書いた事も忘れてると思う
というわけで焦るな。ゆっくり自分を磨け。
恋人に求める条件みたいなものってけっこう考えたりする。
実際恋愛をしたら条件なんてどうでもよくなるのはわかってるけど、こんな子いないかなーと妄想。
でも自分のブログに書いたりはしない。条件に合わない人をはねるだけになるし。
男。30歳。イラストレーター。年収は200万前後。持ち家なので一応やっていけるが将来は不安。
結婚願望はそれなりにある。子どもは欲しいが実子でなくてもよい。
稼ぎがないのもあるけど、共働きが当然だとおもっているので。年収は高ければもちろん嬉しい。
・好みの職種
医療、福祉、教育、保育、風俗などが好き。同業やライター、デザイナーでも。
金曜の夜や土日に遊びに行くとかアホらしすぎるので。
・長女
自分が末っ子なのと、今まで付き合った女性が全員長女なので。末っ子と聞くとそれだけで微妙に引く。
・オタ
ライトノベル、ハードボイルド、エロマンガ読み、TRPGなど。
マンガとアニメはジャンルが細分化していて難しいが、好みが重なった方がいい。
その他つらつら思いつくのは、
・酒が飲める
・食べることが好き
・嫌煙者ではない
・非処女
・セックスが嫌いではない
・性に関する話題をタブー視しない
・馬鹿じゃない
・宗教を持っていない
・巨乳
・子どもが好き
体罰は、体罰の名を借りて殺人を犯す奴が必ず出てくるから禁止しておいた方が「マシ」だよ。
当時は70年代の「スパルタ教育」に対する否定的な声がある程度一般化しており、そんな中であえてタブー視されている「愛の鞭」が、むしろ尊しという声も少なからずあったため、行政より咎められるほどの批判には至らなかった。
特に団塊の世代にとっては「古きよき時代」の言葉に代表される懐古趣味を暴力行為の是認とオーバーラップさせる傾向が強く、これは現在も変わっていない。
その結果同スクールの行為は訓練生(1983年・事件当時13歳)を舵棒(角材は誤報。しなりのある角材よりもより硬い)などの凶器で殴打し殺害するにまでエスカレートした。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B8%CD%C4%CD%A5%E8%A5%C3%A5%C8%A5%B9%A5%AF%A1%BC%A5%EB?kid=71497
当時は70年代の「スパルタ教育」に対する否定的な声がある程度一般化しており、そんな中であえてタブー視されている「愛の鞭」が、むしろ尊しという声も少なからずあったため、行政より咎められるほどの批判には至らなかった。
特に団塊の世代にとっては「古きよき時代」の言葉に代表される懐古趣味を暴力行為の是認とオーバーラップさせる傾向が強く、これは現在も変わっていない。
その結果同スクールの行為は訓練生(1983年・事件当時13歳)を舵棒(角材は誤報。しなりのある角材よりもより硬い)などの凶器で殴打し殺害するにまでエスカレートした。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B8%CD%C4%CD%A5%E8%A5%C3%A5%C8%A5%B9%A5%AF%A1%BC%A5%EB?kid=71497
http://anond.hatelabo.jp/20081120235822 を元に検討
これはあくまで私見なんだけれども、
って認識になってるんだと思う。
よくも悪くも「なぁなぁ」の馴れ合いでマターリと暮らしている人にとって
無用な争いの元になるものは不要であり、邪魔なものとして意識から回避されているのだと思う。
政治的な主義・主張を大々的に語るのも同様の理屈で嫌われていると考えられないだろうか?
政治的主張を押し出す(押し付ける)人をキモいと評価してはいないだろうか。
現状に不平不満や不安がある者ほどしがみついている感はないか?
実際問題、いろんな問題があると言われるが、
無用な変動は求めていない。
この平穏な状況を脅かす危険因子として
タブー視され、回避されるのが
安定した生活を送る者にとって不要となった
上の文中では「セクハラ以外のなにものでもなく」と強い語調で非難されているが、果たしてそうなのか? もしそうだとすれば、いったい誰に対するセクハラなのか?
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コメント欄より
「男性同士が抱き合っている・キスをしている」などの絵を猥雑であると感じる人間にとっては「環境型セクハラ」であると考えざるを得ませんが、この投書者の立場は「子どもに対する影響を心配する親」らしいので、セクハラという言葉は不適切ですね。
百合百合なレズものエロ小説を大量に開架に置いたとき、それに《性的な羞恥心やとまどい》を《意図に反して感じさせられる》人が一定以上いることは普通に理解できると思う。「レズになんてエロを感じないわ」という純粋培養的100%ノンケな方(それ自体余りノーマルな存在ではないと思われるが)以外は、それが性的行為の一種であることは理解されるし、『そういうことはこっそりやりなさい』といういらだちやとまどいを感じるのは当たり前だと思われる。
それに対して「そういうとまどいを感じるのは、ホモフォビアだからじゃね?」という返し方をするのは、それ自体二次的なセクハラに近い、大変タチの悪いやり方だと思う。今回の堺市の市民の方にもしケチをつけるなら、それは「性をタブー視すること自体についての是非」という文脈でであって、同性愛者差別の文脈でではないはず。
(追記)
世界を滅ぼすような力を想定するとパワーバランスがめちゃくちゃになるから、
腕の一振りで10人ぐらい、何の力も持ってない、「普通の人」を殺傷できる程度の力。
魔法の力は生まれつきで、基本的に普通の人から生まれてくる。人数は、日本国内で10万人ぐらい、
少し大きな町であれば、必ず何人かは魔法使いで、見た目は普通の人と区別がつかない。
魔法はたしかに強力だけれど、少数派。普通の人が銃を持ったり、あるいは集団で向かってくれば、やっぱり勝てない。
世界には今と同じく政府があって、利害関係と多数決が政治の流れを決める。
最初のうちは、政府はもしかしたら魔法使いの存在それ自体を認めないかもしれないけれど、
「魔法というものがある」ことが認識されたら、今度はきっと、魔法に規制をかけてくる。
魔法は銃刀法みたいな規制を受ける。一般市民に魔法を行使したら犯罪だし、それ以前にたぶん、
魔法使いであることそれ自体が抑止力になってしまうから、一般市民に魔法を見せること自体もタブー視される。
魔法使いは「危険な存在」という認識が為されて、外から見てそれと分かる格好を強制させられるし、
それに従わない魔法使いは罰せられる。
取り締まったり、罰したりする「警察」の側にも、たぶん一定の割合で魔法使いが就職する。
もしかしたら警察組織は、魔法使いにとっては能力が生かせる貴重な職場になっている。
一般市民に挑発されても、魔法使いは手も足もでない。魔法を使えば取り締まられるし、
魔法使いを取り締まって、その人を罰するのもまた、「仲間」であるはずの魔法使い。
「事件」の始まりは、いつも「力なき一般市民」。
くだらない挑発行為が繰り返されて、追い詰められた魔法使いが、仕方なしに魔法を行使する。大騒ぎになる。
市民は口々に「被害」を訴えて、魔法が使える警察官が動員される。
娯楽に飢えた一般市民に見せ物を提供するためだけに、魔法使い2人が、市民の前で殺しあいを演じさせられる。
警察の魔法使いは強力だけれど、「勝った」ところで気分は晴れない。
欲しがって得たわけではなかった、それでも最初の頃はうれしかった「魔法」の能力。
「よい市民」の通報を受けて、「悪い魔法使い」を倒す。みんな喝采する。口の端には品のない笑みが浮かんでる。
自分が倒した「悪い魔法使い」にだって、たぶん言い分はあったはずなのに、魔法を持っている、能力を持っている、
その能力を、「よい市民」の前で行使したことそれ自体が罪と断じられて、自分に倒される。
能力を生かすために、一般市民を守るために警察に入って、結局のところ、自分たちは、
その中の「最悪」の連中に、娯楽を提供することしかできない。
戦う。倒す。市民はますます興奮して、もっと強力な「娯楽」を求めて、別の魔法使いを挑発する。
また倒す。「魔法の恐怖」が喧伝されて、「よい市民」は娯楽を求めて、自分たちの「よさ」を確認するために、
「安心できる社会を作る努力が感じられない」なんて、警察を叩く。
ある日刑事部長が失踪する。強力な魔法使い。「魔法警察」を代表していた人物。
「よき市民」が倒される事件が相次ぐ。犯人の手がかりは全くないけれど、警察側の魔法使いは、
それをやったのが誰なのか、みんな分かっている。
刑事部長にあこがれて警察の門を叩いた新人魔法使いが、今度はその部長を追いつめて、
部長は倒される。あるいは、倒されたかったのかもしれない。
2008年4月3日。韓国・済州(チェジュ)島では60年前の悲劇を哀悼する祈りの声が響いた。
1948年4月3日に始まった「4・3事件」。2万5千人??3万人という島民が虐殺された事件である。韓国建国前夜、アメリカ主導で進んでいた南朝鮮の単独選挙に対し、南北分断につながるものとして抵抗した島民が警察署を襲撃したのを機に、全島に広がる弾圧に発展した。これまでは、「アカの島」でおきた「共産暴動」と烙印(らくいん)が押され、韓国内でもタブー視されてきた。
しかし、民主化後の韓国で歴史の「見直し」が進む中、2000年、事件の真相糾明と犠牲者の名誉回復を図る4・3特別法が制定。2003年には公式の調査報告書がまとめられ、ノ・ムヒョン大統領による政府の謝罪が実現。そして現在、遺骸の発掘と犠牲者の認定調査が進んでいる。調査は日本国内、特に済州島出身の在日コリアンが多く住む大阪でも進められ、これまで不遇をかこってきた肉親のルーツに関心を寄せる二世三世の若者たちにも波紋を呼んでいる。
番組では、60年の歳月を経てようやく本格化した済州島での調査の動きを追いながら、国際政治の力学の中で、なぜ“悲劇”が起き、そして拡大していったのか、を浮き彫りにし、朝鮮半島分断の“起源”を見つめ直す。
出演:作家・金石範(キム・ソッポム)
語り:広瀬修子
>>ブラックジャックは、今は認められない描写があちこちにあるけど、思春期に読んだときは感動したし。
昔、近所の本屋さんが手塚治虫フェアをやったとき、店員さん個人所蔵の
少年チャンピオンの一話が立ち読みできるようにされてあったのよ。
ところが雑誌掲載時には話が違っていて、ロックが多指症で、それを切除するためにBJが呼ばれたのよ。
一口知識みたいので、イギリスでは多指症は珍しいことではなく、貨幣の12進法もここが起源かもしれないと書いていた。
BJ爆殺もロックの指示。
ラストはコミックスでは「交換した指の骨にBJのサインがある、友情を確認して別れる」だけど
掲載時はBJが切除した指を警察に送り、手術の跡と合わせて有罪が確定、BJは新聞報道を見て終わり。
俺もこれ読んだときは、さすがにこれはやばいんじゃない?と思ったよ。
ところが映画「覇王別姫」で主人公の女形は子供の頃多指症が原因で一座に入ることを断られ、母親に包丁で切られる描写があったし、
ヤンマガで連載中の「センゴク」も秀吉は多指症として描かれていて、タブー視が減ったようなんだよね。
だからあなたが「感動した」ってのには同意するんだけど、
「今は認められない描写があちこちにあるけど」てのがもう手塚作品の改変後の歴史後っぽくて、
どっかの誰かさんたちの術中に嵌っているんじゃないか?てな気がする。
先ほど、すごいことを発見しました。それは、「政権が長期政権かどうかは、首相の学歴にズバリ、比例する傾向にある」ということです。この学歴問題を引き合いに出すのは「タブー」になっているのですが、歴代首相を論じる以上は首相の出身大学について語らないわけには行かないのです。
=======
安倍晋三 成蹊大法卒 会社員(+成蹊学園(小学校・中学校・高等学校))
==========
これを見て分かることは非常に多い。まず気が付くのは、宮澤喜一首相を最後に東大出身の首相がいない、ということです。ここ数代は、慶応と早大のたすきがけ的な形で続いています。
そして、一般的な「偏差値」が高い大学を出た政治家は首相になると「長期政権」になるということです。これは、上の履歴書をみると明らかです。
調べるまでは、まさかそんなことは、と思っていましたが、「政治家における学歴差別」は歴然として存在するのです。これで、なぜ安倍首相が不人気なのか、信望がないのかがよく分かりました。偏差値の高い大学出身の首相は、まわりに似たような学歴の政治家がたくさんいるワケです。そうすると「同窓会ネットワーク」の層が厚い。
同じ大学の仲間意識で皆が支え合うという意識があるわけです。これは、アメリカにおいても同様で、ブッシュ大統領はあれだけバカだと言われていますが、しっかりエスタブリッシュメント大学のイエールを卒業し、しかも、エリートクラブ出身です。それを考えると、安倍首相は哀れなくらいに学歴が低い。いや、学歴が低いといよりは、彼の場合には「受験を経験していない」のです。
受験を経験していないということは、「忍耐力がない」「修羅場の経験がない」という風に一般的に判断されます。しかも、安倍首相は小学校からのエスカレーターです。普通に受験して成蹊大学に入っているわけではない。これは非常にマイナス点です。
日本では、東大受験に成功することが最高のステータスシンボルであり、東大は一時期までは総理大臣を供給する大学でした。アメリカのジャパン・ハンドラーズの研究には「東大」の研究書もいくつもあるんです。東大は官僚制度と政治家にネットワークを持つ。これが日本の最大のパワーだったわけです。
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最も有名なのはチャルマーズ・ジョンソンが共著で加わっている以下の本。ハードカバー版しかない。表紙の「東大」という文字が笑えます。
An Empire of Schools: Japan's Universities and the Molding of a National Power Elite (Hardcover)
by Robert L. Cutts (Author), Chalmers Johnson (Introduction)
Table of Contents
Foreword
Preface
Ch. 1 If There Is a God, He Went to Todai
Ch. 2 First Principles: The Society
Ch. 3 First Principles: The Individual
Ch. 4 The Ivory Basement
Ch. 5 A Tale of Two Citizens
Ch. 6 The Leisure Class
Ch. 7 Who's on Top: The Women Elites
Ch. 8 Family: She's Got the Whole World in Her Hands
Ch. 9 Weapons
Ch. 10 Making It
Ch. 11 Fifty Ways to Lever the Governed
Ch. 12 Reform: No Exit
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同様に、早稲田大学は在野の精神で早大雄弁会を結成し、これも政治家供給源になってきました。慶応大学もどうように政財界に太いパイプがある。小泉前首相と綿貫国民新党党首の共通項はともに慶応出身というところです。意外なところで接点があって、それが情報交換のきっかけになったりする。
慶大出身の綿貫氏
そこに行くと、大変失礼なのですが、成蹊大学出身の有力政治家というのはほとんどいません。政治家の仲間がいないということは、つながるネットワークが少ない、ということ。安倍首相のネットワークは「安晋会」のようないかがわしい人たちの集まった後援会組織だったり、父親の晋太郎の時代からのサポートスタッフです。
安倍晋太郎は、病気で早くに亡くなっており、これを継ぐ形で晋三が政治家になっています。安倍家には、東大出身の寛信という三菱商事・中国支社のエリートビジネスマンもいましたが、なぜか彼ではなく、晋三に白羽の矢が立っている。
そうなると、何にも自分だけの基盤がないエスカレーター学歴の彼には、父の周辺の後援会に頼るしかなかった。そうなれば、晋三はいいなりです。広域ナントカ団だったり、地元の土建業者だったりがまとわりついてくる。それをさばくのは側近たる秘書なのでしょう。
こうなると、なぜ東大出身の寛信氏が後継者にならなかったのかが気になります。順当に東大出の晋太郎が総理大臣になっていれば、晋三が後継者になることはなかったのではないか、と強く思います。しかも、晋三氏には「南カリフォルニア大学」在学時の学歴詐称疑惑で騒がれたこともあります。結局、卒業はしていないということだったようです。民主党の代議士の学歴詐称を追及している段階で噴出した問題でした。
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上のリストに戻りますが、小学校卒業の田中角栄内閣は、やはり短命政権でした。しかし、彼は安倍首相と違い、たたき上げで、一級建築士の資格も持っていた。だから、それなりにポイントは高かったのだろうと思います。鈴木善幸首相もやっぱり短命政権。宇野宗佑首相も、羽田孜首相も・・・・。みんな“ポイント”が低かった。
これを法則化して理解した上で他の首相をみていくと、細川護煕首相、上智大学出身。細川政権は約一年しか続いていません。早大出身の海部政権は約三年続いています。この事実から、キリスト教大学である上智大学は、首相になる場合の「持ち点」が少し低い、ということになるでしょう。ちなみに政治家では野田聖子さんが上智出身です。村山元首相の明治大というのも微妙なところなのでしょう。
そこに行くと、面白いのは、故・三塚博さんと小渕優子さんです。三塚さんは、派閥の領袖も務めた大政治家です。彼は、東京獣医畜産専門学校(現日本大学生物資源科学部)を経て早稲田大学第一法学部へ学士入学し、1951年に卒業。在学中は雄弁会に所属しています。わざわざ早稲田に学士入学しています。これは雄弁会に入るためでしょう。雄弁会というのは、今は威光もかげってきましたが、それでも現内閣では山本金融大臣を初め出身者が多い。森元首相、竹下元首相も雄弁会ネットワークです。三塚さんは学士入学で早稲田に入って持ち点を上げようとしたわけです。残念ながら、その努力は報われませんでしたが、閣僚にはなっています。
同様に、早稲田大学に社会人になった後に入学したケースとしては、元首相の娘さんである小渕優子さんの例があります。彼女の場合は大学院です。小渕さんは、羽田首相と同じ、成城大学出身です。この大学は意外に政治家が多い。しかし首相になったのは羽田さんだけです。しかも短命政権でした。
そこで小渕さんは、女性なので雄弁会には入れないのですが、早稲田大学に政治家をやりながら入学するという「奇策」に打って出ました。これは凄い。さすがは政治家の娘です。政治感覚が鋭いなあと思います。成城大学では幾ら政治家として頑張っても総理大臣はなれない、と冷酷に判断したのでしょう。早稲田に入学したということは、早稲田出身の政治家のネットワークの末席に置いてもらえる可能性がある、ということです。それでもなかなか首相への道は厳しいでしょうが・・・・。なんだか応援したくなりますね。
そう考えると、小学校からのエスカレーターの安倍晋三という人が首相になっていることは、国際的な一大スキャンダルである可能性が高いのです。安倍首相が国際的に影が薄いのも早稲田や慶応のネットワークに入っていないからかもしれない。そう考えると、一応、外国の政治家の経歴を調査する情報機関の間では、東大、早稲田、慶応の当たりの大学は評価されている、という見方も出来そうです。これが安倍さんが慶応幼稚舎出身だったらもう少し違ったのかもしれないですね。
そのようにしながら、日本の政治家を出身大学別に持ち点でプロファイリングしていくのも面白いと思います。同じ慶応や早稲田でも、政経学部か文学部か(例:石橋湛山)、第一部(昼間)か第二部(夜間)かで大きく違うのでしょう。私の出身は早稲田の一.五部と言われた社学出身なので、政治家的には微妙なポジションでしょう。
こういう当たり前のことは差別になるといってタブー視されていますが、やはり安倍政権は坊ちゃん政権だったのです。周りに大学のネットワークがないから、変なおかしい団体が支援者として食っ付いてくるわけです。そう考えると、やはり安倍政権、長くないでしょう。
ここでどう考えるべきか判断に苦しむのは、ポスト安倍の麻生太郎外相の扱いです。学習院大学政経学部政治学科卒業とあります。その他、スタンフォード、ロンドン大学に留学しているようですが学位があるかどうかは分かりません。学習院というのはどういう扱いになるか。彼は皇族の血が入っていると同時に、カトリック教徒です。クリスチャン政治家では、大平首相がいますが、これは短命政権に終わりました。(病気だったからかもしれないですが)学習院出身の首相はいないので、これが持ち点が高いのか、低いのかは分からない。ただ成蹊大学出の安倍首相よりは間違いなく麻生外相の方が持ち点は高いはずです。
そこへいくと、同じように微妙なのが東大出身の谷垣禎一元財務大臣です。彼が首相になれば久々の東大出身総理となります。しかし、彼は消費税を上げたりして、短命政権になるでしょう。その後に、つまり消費税上げをやった後に、民主党政権が出来るかもしれない。
つまり、大蔵官僚が、自民党に責任をおっかぶせて自分たちは民主党政権をコントロールするという考え方です。官僚を統制しているのは一部にはアメリカです。今の官僚制度をコントロールできる角栄のような政治家がいないので、官僚制度も政治家同様、アメリカに目を向けて指示を仰いでいるんでしょうね。
そう考えると、安倍首相がやたらと左翼思想を批判したり、「美しい国」というようないかがわしいタイプの保守思想を喧伝したがるのも、東大学歴に対するコンプレックスなのかもしれないですね。安倍家、佐藤家には東大出身が多いですからね。東大といえば、左翼思想、丸山真男、というわけです。「家庭の事情」で教育改革をやられては非常に困るわけですが・・・・。
まあ、政治家の価値は学歴だけで決まるというわけではないでしょうが、実際に統計的に結果が出てしまっているのは隠せませんね。
私は子供が嫌いで苦手だ。
そして困った事に、私はその子供を産む「女」なのだ。
26にもなると、周りの友達や知人は結婚して行って子供を作る。
毎月のように妊娠しただの出産しただののメールが私の携帯へ届く。
そして決まって「是非見に来てね」と言う言葉と共に生まれたて赤ん坊の写真が添えられている。
添付された生まれたてのほにゃほにゃの物体の写真を見て私は大きくため息をつく。
駄目なのだ。
どうしても可愛いと思えない。
けれどそれを人に言うことはタブー視されているようで(特に女が言うことは厳禁と暗黙のルールで決まっている雰囲気がある)
私はあまり人に言ったことが無い。
このあたりはカミングアウトした所で、そうなんだー、私もだよ、なんて軽い返事が帰ってくるのに
「人間」が嫌いだと言うと世にも奇妙な物を見るような目で見られてしまう。
いや、私だっておかしいと思っていた頃もあった。
いつか結婚して子供を作るのだろう、その図式に自分が嵌め込まれていることが到底想像できない。
これはきっとおかしい、私はどこかおかしい女なんだ。
悩んでどうにか打破しようとしてみたけれど、やっぱり駄目だった。
過去に悩んで人に打ち明けた事がある。
その人はケロリと笑って
「出来たら可愛くなるかもよ?」
と言った。
ガツンと頭を殴られたようなショック。
そんな馬鹿な。
出来たら可愛くなる?
100%の保障が無いのに、そんな博打みたいな事が出来ようか。
じゃあもし、もしも、いざ出来て産んで、やっぱり私の気持ちが変わらなかったら?
私はその子供にどう接していけば良いのだろうか。
子供は親を選べない。
私は子供が嫌いで苦手だ。
とりあえず今の所、変わる兆しは見られない。
深く深く考えて泣きそうになる事もあるけれど、どうしようも無い事実なんだ。
昔性欲というものがタブー視され押さえつけられてた反動なのだろうか、
やけに開きなおってセックスセックス言ってる気がする、最近の世の中。
そりゃまあ結婚するまでお互い清い身でいるべきとかそんなこた個人的には思わんけど
それにしたってオープンすぎるというか…
結局盛ってるだけなのに、やたらにそれを美化し、正当化する世の中ってのもなんか不気味だ。
なんでもかんでもあけっぴろげにすりゃいいってもんじゃない
セックスは罪悪なんかではないが、かといって所詮セックスはセックス、ってなもんで…
それ以上でもそれ以下でもない。そこに変に意味を見出し美化しようとする人間の弱さが嫌だ
そのままを受け止めろよって思う。変に美化正当化しないと受け入れられないのかね
タブー視≠気持ち悪いという感じもするけど、概ね納得できました。
自分は性欲と恋愛欲とを結びつけて考えないんですけど、
世の中の大半の人はその二つを結び付けているから、
「買春が許されるのは江戸時代までだよねー キャハハハハハハ」
っていう状態になってしまうのかな。