はてなキーワード: ショップとは
しつこくてゴメン。
適切なサイズの下着はすごい楽だよ。
特に見られて困るわけでなければ、ショップで計ったもらった方が良い。
ショップの人も見ないように触らないように計ってくれるから。
私も下着好きな友達に説得されてやっと計りに行ったクチ何だけど。
音楽に詳しくなりたいと思いながらオリコンのヒットチャートくらいしか知らなかった。
無料音楽配信サイトやインディーズ系のサイトを覗いて片っ端から試聴して、
自分の服装がいかにダサいかがわかった。
ファッション誌を買い漁った。入ったことのないショップに勇気を出して入って
顔を真っ赤にしながらスタッフの人と話をしてコーディネートを教えてもらった。
金がないことがわかった。
未経験の自分を雇ってくれる会社はどこにもなくて派遣に落ち着いた。
派遣先はWeb制作会社。HTML、CSSの知識はあってサイトの運営もしたことがあるから
なんとかなるだろうと思って決めた会社だった。
実践力がなにもないことがわかった。
派遣のくせに何も知らないのかと毎日怒られた。
ストレスに負けて、家で何回も吐いた。本当に悔しかった。
タグ辞典を読みながら来る日も来る日も真似をした。
時間がないことがわかった。
無駄を省く方法を毎日頭をひねって考えて、思いついたら即実践した。
何回も失敗して散々怒られたけど、成功も何個かあって
半年後には月の3分の2は定時にあがれるようになった。
勉強と遊びに使える時間が増えていい感じになったところで
人間としての面白みが失われていることがわかった。
運気が少しずつ上向きになってきたことに浮かれて自慢話が増えていた。
自慢話を自重して、昔のその場を楽しめる会話へと舵を切り替えた。
友人から「元に戻って安心した」と言われた時は嬉しかった。
セルフ千本ノックは要するに恥をかくことだ。
「本当は僕は○○だから」という逃げ道を消して、
本当に笑われるくらいに必死に自分にノックを課した。
思い描いている自分はここまで必死にならないとなれないとわかった。
ほとんどレンタル+きわめて特殊な方法で音楽を聴いている俺が久しぶりにCDを買おうと思った。オンラインショップで。
モノはSandi ThomのSmile...It Confuses People。
どうせ国内盤3000円、輸入盤は1500円前後だろう、と思って探したらさ、どうしてamaozonもtower.co.jpも輸入盤で2,800円とかしてんの!!!!111これって輸入盤規制のアレが響いてんの???
しょうがないからhmv.co.jpで1800円ぐらいで買ったよ。前から買おうと思ってたOasisとGreenDayのBestの輸入盤と一緒に。(3枚以上輸入盤を買わないとこの値段になんない。)まぁ結局使った金は高くなってしまったが満足度はこっちの方が高かった。
ふざけんなよ。輸入盤なんでこんな高いんだよ。
あと、音楽配信系サイトの視聴がことごとくasx/WindowsMediaだったもんで、Switcherとしてはかなり萎えた。WindowsMediaPlayer for Mac OS X は何かうまく再生してくんねーし…色々探してFlip4Mac入れて聞けたからまぁいいけど...
それと、hmv.co.jpは動作がかなりもっさりしていて泣ける(07/4/23 23:00頃)ので、もう少し改善を望みたい。
http://anond.hatelabo.jp/20070417112839
花屋さんに売ってる。盲点といえば盲点。
だけど、百均やカトラリーショップ(要は金物屋・雑貨屋さんね)のほうが探しやすいかもしれない。
でも、やってみるといいと思うのが、何でもいいから適当な瓶を見つけてきて生ける。瓶そのままだと流石にアレなので、アルミホイルやラッピングペーパー(レインボーセロファンなど)、リボンを適当にアレンジしてくるんでやる。花束っぽい即席花瓶のできあがり。こいつは倒れやすい場合があるので、そこだけ注意。
何故そういうことを言うのかというと、花の入ってない花瓶はことさらに淋しいからだ。普段はドライフラワーでも差しておけばいいだけの話ではあるが。
ケータイのCMに使われてる、ブラックっぽくてジャズっぽい曲あるじゃん、Dragon Ashの。
あの曲いい曲だなーって思って、欲しいなぁって思ったのね。でももうCDショップとか閉まってる時間だし出かけるのめんどくさい。そもそも歌ってるのがDragon AshだってのはCMに出てるから分かったけど曲名は分かんないし。
そこでテキトーにDragon Ashで検索して、一番上に出てきた曲を視聴。ああ、この曲だって思ってぽち。
このことを東大の情報工学博士号持ちの彼氏に話して、すごい便利だよねーこれがWeb2.0ってやつ?って聞いたら、即座に「違う」ってつっこまれちゃった。
は、なんと言っても眼鏡である。
ある日鏡を見たときに、なんとなく物足りなさや違和感を感じて、
「そうだ!眼鏡を買おう!」と眼鏡屋にダッシュ!
でも、眼鏡屋って冷やかしで入りにくいんだよね。
入って眺めてると店員さんがやってきてワンツーマンな接客対応。
最終的には「とっておきの1本」が決まっちゃうのでもう後には引けない、
っていうか、もうこれしかないぞモードに自分もなってるのでむしろ引かない。
で、後日引取りに行ったときに、あー、またやってしまった…。という事になる。
いや、気に入っていることは確かなんだけど、普段使いに出来ない。
普段使っている眼鏡はもう7年物になる。フレームだけで4万くらいしたけど元はとったな。
で、普段使いに出来ない眼鏡が溜まってくると維持管理が大変になる。
普段使いの眼鏡は1年に1度はレンズを入れ替えたりしてるので、度がぴったしなんだけど
他の眼鏡は基本的に作りっぱなし。度があわない。使えない。
店員さんがそれほど積極的にこないので、わりと気軽に入れる。
気軽にふらっと入って何本か試して満足してそのまま出てくるみたいなことが出来てなかなか良い。
いや、店にとってはよくないか。
「このは」という名前の猫を飼っていた事がある。
秋口にイチョウの葉で埋め尽くされた公園に捨てられていたから「このは」と名づけた。
性別はメスで、茶色のシマネコだった。
メスのくせに全然おとなしくなくて、拾った時はティッシュの箱から全部引っ張り出して滅茶苦茶にしたり、ここだと爪とぎする場所を教えても壁でバリバリと爪を研いだりした。
餌も馬鹿みたいに食べて、それでも食事していると頂戴と言わんばかりのくりくりの目でこちらをずっと見ていたりした。
僕の実家は子供の頃から動物を飼ったことが無くて、最初の頃は本当に苦労の連続だった。
でも日に日にこのはが可愛くなってきて、しばらく経つ頃には僕はこのはを溺愛していた。
いなくてはならない、何にも変えがたい存在と言っても過言では無い有様だった。
僕は結婚していないからわからないけど、親ってこういう気持ちになるんじゃないかなとふと思ったりもした。
バイトに行っている間もずっとこのはのことばかり考えていて、猫缶の新製品が出たと知ると近所のペットショップであれもこれもと買ったりした。
首輪もこのはに似合う色を選んだり、それなのにまた新しい物を買ったりした。
ある日、このはが下痢をした。
飼ってから健康そのもののこのはだったのでビックリして抱きかかえたら、このはのお腹がぱんぱんに張っていた。
このはの体はいつもよりずっと温かくて、そこで僕は初めて異変に気づいた。
夜間にやっている動物病院をタウンページでさがして電話したのだけれど
その時、初めて自分がぶるぶる震えているのに気づいた。
眠そうな獣医が電話に出て、それでも今から連れてきなさいと言ったので、慌ててこのはをキャリーケースに入れて車で病院に向かった。
このはは、そのまま死んでしまった。
猫伝染性腹膜炎だと言われた。
獣医がなにやら説明をしていたけれど、僕の頭はまっしろになってしまって右耳から左耳へと獣医の言葉は流されてしまっていた。
とにかくわかっていることは、このはが死んでしまったと言う事であり、それは変えることのできない事実として僕に突きつけられてしまった。
このはを拾ってからたった四ヶ月。
すっかり冷たくなってしまったこのはを抱きかかえながら運転して家まで帰った。
部屋に戻るとこのはが大好きだったおもちゃや、このはのトイレや、このはのごはんが目に飛び込んできて、僕は泣いた。
夜遅くてご近所に迷惑がかかるだろうなぁ、なんて頭の片隅で思ったけれど、とまらなかったからわんわん泣いた。
冷たいこのはを力いっぱい抱きしめながら。
このは、このは、って馬鹿のひとつおぼえみたいに、ずっとこのはの名前を呼んだ。
でもやっぱりこのはは冷たいままだった。
ちょうど、1年前の出来事。
今でも押入れの中の段ボールの中にこのはの首輪やおもちゃが入っている。
見るとまだ涙が出てくるから、押入れのずっと奥底にしまっていたけど、今日出して改めて見てみた。
やっぱりまだ泣いてしまう。このは、本当に大好きだったんだよ。ありがとうこのは。
http://anond.hatelabo.jp/20070304233637を見て、書こうと思って止めてたこと書いてみる。
今日(3/4)、ホワイトデーの準備を仕込んだ。といっても社内の義理のお返しだけど。本命なんてないんだけど。
10日前って流石に早いとも思ったけど、まんがいち来週末動けなかったら間に合わなくなるので念のため。
日頃チョコレート好きを標榜しているので、たとえ義理のお返しといってもちょっとこだわりたい。自分が食べておいしいと思ったものを贈らずにどうする。というわけで、気合いを入れまくるならば、シガールチョコといういまや幻となってしまった絶品チョコがあるのだが、今回はそこまでする気にはならない。デメルとかも切り札だけどそういう常道を行ってもなんだか。無論、スーパーやコンビニに置いてあるようなホワイトデー向けのパッケージ商品など犬にも食わせられまい(自分で食う)。今住んでる地元で頑張ってる企業ということでメリーチョコレートというのも考えたのだけど、まあ(自分的に)普通すぎる気もしてやめた。
向かったのはディスカウント系のショップ。輸入食材なんかも結構扱ってたりする。ここにお気に入りのドイツチョコがあることはわかっていたので、他には目もくれず探す。今思えばギリアンあたりで手を打ってもよかったかも…。残念ながら私の一番好きな型番はなかったのだが、5種類ぐらいみつくろって購入。くれた人は2人なので2個ずつ。実を言えばその5種類全部実際に食べてみたことがあるわけではないのだが、まあ間違いはないだろうということでちょっと妥協。¥2000が飛ぶ。
パッケージをどうしようか、ということで、オリジナルを練ってどうこうという気力もないので安直に文具屋でラッピングバッグを購入。¥1000が飛ぶ。ただ、これはもう袋にどさっと突っ込んで口を結ぶだけでいいので、センスとか一切気にしないですむ。中身で勝負。勝つも負けるもないけど。
正直、自分でも、そこらへんで見繕った義理チョコにここまで、という気はしなくもないのだが、一応3倍返しぐらいのことにはなっているだろう。バレンタインだホワイトデーだという流れのなかでまずい菓子が世の中に氾濫するのは許せないから、せめて自分ぐらいは、自分の舌で選んだ良品を世の中に回したい。これは最早、”男だてらにチョコ好き”の意地でしかない、笑うなら笑ってくれ。
昔はパソコン雑誌がたくさん発売されていた日で、これは8日もそうであった。たいてい、その前日や前々日に秋葉原の某ショップへ行くとすでにその月の号が並んでいて、それを買ったものだ。
当時は、今よりも給料が安かったのだけれど、家族もいなかったせいか、可処分所得は多めで、今みたいに領収書などもらわなくてもぜんぜん平気だった。ガンガン買った。
本を買ったあと、その足でいくつかのゲーム売り場を周り(ファミコンなどのゲームではない。もちろん、パソコンのゲームだ。もっとも、MSXやらそんなものだが)、一度に2つも3つもゲームソフトを買ったものだ。
とはいえ、ほとんどのソフトは、数分遊んだくらいで「なんかつまらないな」と辞めてしまっていたものだ。
ゲーム好きではないくせに、ゲーム好きでありたいと思っていたという自覚は当時なくて、当然のように、自分はゲーム好きだと信じていたんだ。そんな体たらくなくせに、だ。
それでもそこそこ、ゲーム業界で生きているということは、地頭の良さがあったせいだけれど、もう疲れた。
ゲーム、つまんないじゃん。
と思う。
たぶん、そういう年代なんだろう。
暗い話にばかり、やたら詳しくなったもんだ。もんだ。もんだみん。もんだあんどぶらざーす。ブラジャーす。ブラジャーはしません、普通のときは。
蟹が食べたい。
- 元々は材木商である「佐久間屋」に由来して「佐久間町」と言う地名であった。材木商は大火のたびに莫大な利益を上げており、火除けの町秋葉原らしい縁起である。現在でも秋葉原駅東側に「神田佐久間町」、「神田佐久間河岸」という地名が残っている。
- 後にこの地に勧請される「鎮火社」を人々が秋葉社と呼んだことから秋葉原(あきばはら、あきばっぱら)と呼ばれるようになる(上記参照)。
- 1888年 - 秋葉社が松が谷に移転。
- 1890年 - 日本鉄道の鉄道線(現在の東北本線)が上野から秋葉原まで延長。当初は旅客の扱いは無く、秋葉原貨物取扱所として駅の南を東西に流れる神田川から駅東側に割り堀を引いて水上貨物輸送への窓口となっていた。駅名をつけたとき「あきはばら」と誤植されるが訂正されずに今に至る。
- 明治中期から大正時代にかけ、秋葉原周辺は鉄道・都電など交通の便が良く、そのため、特に卸売業が発達し、秋葉原駅近辺に青果市場も開かれた。
- 1925年 - 秋葉原駅~東京駅間の開業により東北本線が東京駅まで開通。
- 1932年 - 御茶ノ水駅~両国駅間が開業し、秋葉原は乗換駅になった。
- 1935年 - 神田青果市場が設置される。
- 1936年 - 鉄道博物館(のちの交通博物館)が東京駅から中央本線万世橋駅(のちに廃止)の駅構内に移転する。
- 戦前から戦後にかけて - 地下鉄(銀座線)・都電・国電と付近で多くの鉄道・軌道路線が立体交差をしていたことから、鉄道・交通に関する子供向け絵本に、未来都市の象徴として秋葉原が描かれることがあった。
- 1945年の第二次世界大戦後 - 神田地区の闇市で当初電機学校(現在の東京電機大学)の学生のために販売していた真空管やラジオ部品など電子部品の店舗が総武本線ガード下に集まって、今日の電気街の基になった。
- 1960年代 - 高度成長と連動する形で、テレビや洗濯機、冷蔵庫など家電製品の販売店が多くなり、大阪日本橋のでんでんタウンと並んで日本有数の電気街の地位を築く。
- 1980年代 - ファミコンの普及に伴って、各種コンピューターゲームソフトを扱う店が増え始め、ゲーム関連の専門店も登場する。
- 1989年 - 神田青果市場が大田区(大田市場)へ移転。跡地は駅前広場・駐車場を経て現在の秋葉原UDXビル・秋葉原クロスフィールドとなる。
- 1990年代 - 家電製品の郊外型量販チェーンストアの台頭で、家電売り上げが減少。その種の電化製品販売を縮小してパソコン及び関連商品を扱う店が増える。
- 1994年頃 - パソコンパーツ(いわゆる「自作PC」の部品)を扱う店舗が増え始める。
- 1990年代後半 - コンピューターゲームの中で、美少女やアニメを扱ったものに人気が特化していき、秋葉系・オタクといわれる存在が注目されはじめる。
- 1997年7月 - 秋葉原駅前広場を会場にコンピュータ関連展示会「インターネットショーin秋葉原」が開催される。以後2001年まで毎年開催され、1999年からは「AKIBAX」の愛称がつけられるなど、秋葉原の夏の一大イベントとなる。
- 2000年頃 - メーカー製コンピュータの販売が縮小し、代わってアニメ・同人誌系などの店舗、いわゆる「オタクショップ」が増える。
- 2002年頃 - 秋葉原駅電気街口周辺にアダルト関連グッズ(AV・おとなのおもちゃなど)を販売する、いわゆるアダルトショップが進出。
- 2002年6月 - 安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例(通称千代田区環境保護条例)が制定。秋葉原のほぼ全域が路上禁煙地区に指定された。
- 2005年8月24日 - つくばエクスプレス秋葉原駅が開業。同時に、同駅東側に車寄せや駅前広場も整備された。
- 2005年9月16日 - 秋葉原駅構内の、旧貨物駅跡地にヨドバシカメラマルチメディアAkiba・タワーレコード秋葉原店が開店。
- 2006年3月9日 - 神田市場の跡地に秋葉原UDXビルが開業。秋葉原クロスフィールドがグランドオープン。
- 2006年5月14日 - 交通博物館が閉館。博物館は2007年、さいたま市に鉄道博物館と改称して移転予定。跡地の今後は未定。
- 2006年6月2日 - 仮称TX秋葉原駅開発ビルが着工。阪急電鉄がつくばエクスプレスから同社の駅周辺の用地を借り受けて建設・運営するターミナルビルである。2008年4月に開業予定。阪急系列のホテルremmがテナントとして入店予定。
- 2006年10月16日 - 都内で初めての区営有料トイレがJR秋葉原駅にオープンした。
- 2006年12月22日 - 2002年以降休止していたAKIBAXが「AKIBAX2006」として復活開催。
- 2006年12月31日 - JR駅ビルにあったアキハバラデパートが閉店。
http://anond.hatelabo.jp/20070210230240
「男オタはキモい。精子臭い」なんていうのは昭和のキレイごとなのか。きょうは社会と自分の意識の変化に気づかされる小さな事件があった。
秋葉原の裏通りは同人ショップで埋まり、露骨な性描写が堂々と店の軒先に並んでいる。はてな匿名ダイアリーでは女性らしき人がエントリーを書き込んでいた。私に当然彼女?を知らないので、文体や文中ににじむアタシ倫理観で判断するしかないが、年齢は20代半ばから30代ぐらいか。エントリーにはエロゲ好きの友達という人が登場している。文中を読む限り、男性の性欲への嫌悪感をむき出しにしているようだ。
このエントリーに気づいたのは、この一般ぴーぷる側(と、振舞おうとしているであろう)の女性が「一般的な人間はそういったものを秘め事として扱っていて、美だとか性欲だとかいうものは奥ゆかしく嗜むのだと思う。」「白昼堂々ズリネタを求めて歩き回る姿を許容している街がある、というのは何とも。。。」などと、かなり大きな声で話しているのが耳に入ってきたからだ。どうも自分の考えているキモオタを糾弾して秋葉原を浄化させたいらしい。
ここまで嫌味っぽく言われると、まったく関係ない第三者の私だってちょっと気分が悪い。すっかり眠気が覚めてしまった。はてなIDを持っている私がエントリーを書き込めば、もう1人ぐらい誰か賛同のトラバを送ってくれるだろうと思ってキーボードをたたこうとした瞬間、ランドセルをしょってバンダナを頭に巻いた若者が口を開いた。
「あんたさぁ、はてな匿名ダイアリーでそんなエントリーを書くぐらい空気読めるのに、秋葉原の裏路地ぐらいスルーできないの? それっておかしくない? 秋葉原駅前にあるのはサトームセンとヨドバシカメラであってメッセサンオーとかあきばおーじゃないだろ? こっちはこれから年に4回しかないサンクリに行くところなんだよ。だいたいさぁ、「奥ゆかしさを見せて欲しいなぁ」と俺らに求めるくせにおまえは「精子臭い」だの「ズリネタ」だの美のかけらもない言葉使ってるの分かってる? 俺があんたみたいな女じゃないから少女コミックレベルな性描写のゆるい基準なんてもらえなくて、優雅にやおい語りなんてやってられないんだよ。秋葉原の裏路地で肩身狭くぶるぶる震えることしかできないんだよ。とにかく奥ゆかしく嗜みたかったら上野の現代美術館に行けよ」
細部の表現は覚えていないながら、こんな感じ。オタオタしているように見えるキモオタの意外な発言に正直言ってビックリ仰天した。「オタクは教室の隅の席でガタガタ震えてましょう」とか「ここ晴海のコミケ会場には10万人の宮崎勤がいます」などというキレイごとを聞いて育ってきた世代の私にしても、彼の言っていることは正論に聞こえた。あたしって壊れてきているのかな? 浮かせかかった腰を再び降ろしちゃったよ。1人の一般ぴーぷる側(と、振舞おうとしているであろう)の女性は凍りついたように黙りこくり、はてな匿名ダイアリーから消えていった。ほかのブログに乗り換えたのかもしれない。