ネタバレあり。
小難しい事は他の有識者に任せるとして、最初の出だしで驚いた。
吉野源三郎の同名の小説は軽く読んでいたのでどう繋がるとか思っていたが、原作は全く関係なく亡き母からお薦めされた本程度の位置づけだった。
これは「君たちはどう生きるのか?」を読んだことがアダとなるミスリードだった。
数分先の展開が全く読めない。
これが細田守とか新海誠の作品なら(ああなって、ああなるだろうなぁ)と予測が出来、最終的にどうまとめるのか?のみに意識がいっていまう。
本作は、これからどうなるのか?どうまとまるのか?が全く読めず、駿監督まだまだいけるやんと思ってしまうほどだった。
見ていたら気づくが駿監督が作ってきた作品のシーンに似たオマージュがいたるところに出ていた。
もうワザとやってるだろう?と思うくらいに露骨に出していた。
作品の最後まで行くと、作品から駿監督が本気で引退を考えているのがヒシヒシと伝わってきた。
・大叔父は自分の仕事(塔の管理)を任せられる程の人材を欲していた
・穢れなき13個の積み木のパーツは駿監督が人に邪魔される事無く作れた大事な作品の意味
・インコの王は最終的にそれらパーツを適当に組み上げて壊す(ジブリの崩壊)
結局この作品は、「(俺はもうすぐジブリからいなくなるけど)君たちはどう生きるのか?」と言うジブリの中のクリエーターに向けた諫言に他ならない。
最初は、視聴者に対して「(俺の作品を今後みれなくなるが)君たちはどう生きるのか?」言っているのかとも思っていたが、監督の作品を見れない事は悲しいがそれが「どう生きるのか?」と言う問い繋がるとは思えなかったので。
ただ別のところで視聴者に対しても皮肉っている所があった気がした。
・何の意思も無い亡者が、魚が取れた旗が上がった時に近づいて魚の配給を待つところは、旗が上がる=映画宣伝が行われる、配給を待つ=映画館に並んで観ると掛かっていると思う、更に魚(餌)の配給と映画配給もかかっているだろうことは予想に難くない。
・最後にアオサギが言っていた、向こう側のものは持って来てはならない、でも持って来てもその内時間の経過と共に忘れてしまうだろうはまさに作品に対する視聴者の感情の遷移を全部言わせていて最後の捨て台詞としては最高だったと思います。
自分的には面白かったけど人にはすすめられません。そんな作品です。
にしても、これ作っていた時のスタッフの心情はいかにって感じだよね。
あ~俺らの事言われているなぁって思いながら仕事していたんだろうか?