世の中で言われているFIRE(経済的自立と早期リタイア)と言われているものの価値がよくわからない。
他人の生き方や目指しているものを否定するつもりもないし、その人たちが嫌いというわけでもない。
ただ、自分はそれに価値を感じていない。ただ、それだけのこと。
「資産運用の素人がFIRE目指すのは危険だ」とか、「預金を切り崩して生活するとか考えられない」とか、そんなことを言いたいんじゃない。
人の目指しているものにいちいち横やり入れるような論調は、好きじゃない。
ただ自分は、本当にそれに価値を感じていないだけ。てか、本当にそれだけ。
今日、久しぶりに会った友人がFIREを目指していることを話してくれた。
友人の飲みものは、お茶だった。別にそれもかまわない。お互い自宅なんだから、自由なスタイルで参加すればいい。
最初はゆるい近況報告から始まって、会の流れの雰囲気で何となく友人のFIREの話しになった。
はじめはポツリポツリと乞われるままに話しを始めた友人は、質問が重ねられる度、徐々に熱弁をふるうようになっていた。
そんな熱弁を聞いていて、自分にはそれの何が良いのかよくわからなかったし、興味もなかった。
だから、ずっと黙ってた。
黙っていると、気を利かせた誰かがこっちに向かって話しを振ってくる。
いや、その気遣いは有難いのだけれど、返す言葉が見当たらないのですよ。
本当に興味も関心もないから、しょうがなく「うん、よくわからないけど頑張って」って言ったら、急に友人の機嫌が悪くなった。
たぶん、伝え方を間違ったんだろう。FIRE否定派論客の代表的な立ち位置になってしまった。
自分に興味がないからといって、相手が真剣に頑張っていることに対して単純に「興味がない」と伝えてはいけない。
相手は自分のことを否定されたと感じるだろうし、まあ不機嫌にもなるだろう。自分の気遣いのなさに、いつも愕然とする。
でも、あの時本当はどう言えば良かったんだろうか?
「君の生き方には価値を感じていないし興味もない。けれど何かの目標に向かって進んでいる人はカッコいいと思うよ」とでも言えばよかったんだろうか?
何か、それも違う気がする。
別にFIRE目指すこと自体をカッコいい生き方だとは思っていないし、やってることそれ自体に価値があるとは思えない。
ちょっとした贅沢もしたいし、美味しいものも食べに行きたい。長期休暇には旅行にも行きたいし、趣味に大枚はたいている自分も嫌いじゃない。
平日死ぬ気で働いて、週末の夜通し飲む酒に救われている今の人生を悪いとは思っていない。
おそらく自分は怠惰な人間で「将来自由に生きるために」とか「何かに依存しない自立した生き方を」とか言われると窮屈に感じるだけなんだろう。
「今を自由に行きたい」という価値観と「将来的な自由を勝ち取りたい」という価値観は、同じ「自由」でも相当意味が違うらしい。
でも、違ってて何が悪いのだろう?どちらの「自由」が正しいかなんてのは、アリとキリギリスの寓話の中だけにしてほしい。
本当のアリはキリギリスの生き方なんてものに興味はないだろうし、キリギリスだってアリの生き方には興味ないはずだ。
お互い、自分の生き方を全うすればいいし、互いに「なるほど、そういう生き方もあるんだ」程度に思っていればそれでいい。本当にそう思う。
そういう人間もいる。
ただ、それだけの話し。
よくもまあ 興味ないことをグダグダと 性格に問題あるんじゃね?
うん 増田の性格に問題があるだけの話やな
作り話