記事の著者です。
一つ目については、そもそも私は「現実での被害を想定して」一連の記事を書いていないので、読解できなくて当然です。桜庭自身が「実在の人物への加害」と「評に文芸として瑕疵がある」=「あらすじに読みを断定で書いたこと」の問題は別だと言っている(https://twitter.com/sakurabakazuki/status/1430846588268670976?s=20)ので、オミットしました。「何が問題なんだ?」と問われたので、現実的な問題にも言及したまでです。「全く次元の違う話」なので「二つの水準で」と書いています。正確に読み解いてもらえて安心しました。ただ、私が両者を区別できていないと主張しているかのように読める文章なので困りますね。
「小説と現実を混同するバカな読者」という点についてですが、「自伝的随想のような(……)中編」にそういうシーンがあるという紹介を受けて、桜庭の人生史にそういうことがあったのかもしれない、と考える読者をバカと呼ぶのは難しいと思います。この小説を読んで「母は」「弱弱介護の密室で」「夫を虐/待」したと読むよりよっぽど合理的な読みだと思います。
また、乱暴な言い方をすれば、「間違いなく現実でこういうことが起きたんだ!」と考えてしまうバカな読者がいたとして、その混同の責任は読者にあると仮定しても、バカも読みうる全国紙の時評欄に「非合理的な読み」を「あらすじとして断定で書いた」批評家には、そのバカの混同によって生じうる現実的な被害について責任があると考えます。
二つ目については、最初の記事で「②解釈が「混同」されたあらすじは悪いのか」として項目を立て「その問題性を示」したつもりなので、「示せていない」と読むのは非合理的です。あるいは論証できていないという意味でしたら、私の文章にどのような論理的瑕疵があるか、具体的に引用などをして教えてください。
「どんな場合も問題がある」と論じたつもりはありませんが、「鴻巣の主張を成立させる上で問題が生じる」ことは示せたと思っています(それで十分なので)。
ちょうどいいのでまとめます。
①読みが合理的でない
②作品に描写されていない、(その合理的でない)読みによって構成した出来事をあらすじとして断定で書いた
まず②にフォーカスして一つ目の記事を書いたのは、桜庭が「誤読か否か」を(①を)別の水準にあるとして、そちらについての判断を避けたからです。②の点だけでも鴻巣友季子の行為は正当でないことを最初の記事「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」で示しました。その後、二本目の記事「続・鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」の「論点整理・集約版」でも別の形で示しました。
一つ目の記事に「誤読か否か」を問題視するコメントが多くあり、また、鴻巣友季子は②を正当化するにあたって「読みが合理的である」ことを必要条件としているので、①についても二つ目の記事で「鴻巣解釈の検討」と項目を設けて示しました。その後、三本目の記事「補・鴻巣友季子の時評は何が問題なのか:フェアな考察」でも示しました。
・「作中に描写がないこと」を「作品に書いてあるかのように読める断定で書いた」 ・「描写がある」「明示的な記述はなく」という仮定は客観性を持たねばならない ・「直接描写され...
記事の著者です。ごめんなさい、理解力がないのかもしれませんが、あなたの反論にすべて反論できてしまった気がします。 ・まず「「作中に描写がないこと」を「作品に書いてあるか...
私は「鴻巣の「あらすじ」のとおりだと読む」一人ひとりの経験的読者について、「「読み」が閉ざされた」と述べています 横だけど、一体それの何が問題なんだ? 「鴻巣の読みに影...
記事の著者です。二つの水準で問題です。 一つはおっしゃる通りで、実在の人物である作者の母親についての誤解が生じるという点で問題です。大問題です。 もう一つは、鴻巣の行為と...
一つ目については、小説と現実を混同するバカな読者の責任を批評家に押しつけるな。そしてそれは読みを限定云々とは全く次元の違う話だ。増田の書きぶりから「現実での被害を想定...
記事の著者です。 一つ目については、そもそも私は「現実での被害を想定して」一連の記事を書いていないので、読解できなくて当然です。桜庭自身が「実在の人物への加害」と「...
本当に著者なのかあ?よくこんな場末の増田で都合よく日記を見つけられらたもんやな タレコミがあったのけ?