「ルッキズムが駄目なら学力やスポーツによる選別も駄目だろ」という理屈、よく見かけるけれどどうも違和感があって、それは何故なのかずっと考えていた。
容姿による選別が、学力やスポーツによる選別とは違う点はどこにあるのか。
学力は努力で何とかなるから?いや努力でどうにもならない地頭の差はある筈だ。
スポーツも容姿と同様に遺伝による先天的な差が非常に大きい筈だ。
私が思うにルッキズムが他の要素による判断とは決定的に違っている点は、他の諸要素を無効化するだけの影響力を有するからだと思う。
例えば、勉強や運動の場合、それぞれの要素は個別に判断される。
「勉強はできるが運動はできない人」も、「運動はできるが勉強はできない人」も、一長一短として、長所もあるけど短所もあるよねという評価を受けるのだ。
しかし容姿の場合はそうではない。どんなに優秀でも「でもブスじゃん」で無効化されるし、どんなに無能でも「可愛いから許す」と言ってもらえる。運動ができても、できなくとも同様。運動神経の良いブスは「最強女子www」などと笑われるし、鈍くさい美少女は可愛い可愛いと持ち上げられるのだ。
つまり、勉強や運動は個々の要素を独立して判断してもらえるが容姿に限っては他の長所や短所を全否定するだけの影響力を持つ。この点でルッキズムは学力や運動神経による選別とは全く異なる。
「女性の社会進出」が進まない理由にも、ネットの普及により容姿を晒されてあれこれ言われる事が増えたというのもあると思う。
どんなに優秀でも、「でもブスじゃん」で無効化されるから、目立つのが怖くなって容姿に自信がなければ女性リーダーに立候補できない。仮に美人でも年をとったらBBAと嘲笑われるので若い一時期しか活躍できないし。
最近の東大女子には美人が多いというのも、親から優れた頭脳と容姿を受け継いだからという理由もまああるかもしれないが
それ以上に注目されて容姿を笑われ無効化されるのが怖くて、容姿に自信がある女以外はそもそも必死に勉強する気も起きないというのが大きいと思う。
有能なブスとして人目に晒され、「でもブスじゃん」と言われるよりは無能なブスとして身近な人々にだけ笑われている方がまだマシというものだ。
目立つブスになるくらいならば目立たないブスの方がまだマシなんだよ。
という訳で「天は二物を与える」ではなく、容姿の美しさという「一物」を持っている事が、学力という「二物」を取得するための要件となっているのではないかと思う。
……でも、これって女の場合に限られるんだけどね。どんなに有能でも容姿が悪ければ全てを否定されたり、どんなに無能でも容姿が容姿がよければ全てが許されたりするのって女だけ。
男の場合、容姿が全く見られないという事はないものの、あくまで総合評価だ。容姿の悪さは確かに不利には働くものの他の要素との総合評価でいかようにもカバーする事は可能だ。
男にとってルッキズムは皆無とは言わないもののあくまで一要素にすぎないから、「学力やスポーツだって同じだろ」などと軽く言えてしまうのではないだろうか。
ちょっと逸れるけど女芸人の容姿をdisるやつと笑うやつはどっちがルッキズムか?