周回遅れ。
女性はその他の属性がどうあれ「女性というだけで」労働、教育、政治、性犯罪など社会の多くの場面で不利益を被ることがある。一方で男性の性別が不利に働く場面は女性と比較すれば限定的だからでは→女性が弱者
男女同一賃金の原則は労働基準法に明記してあるし同一労働同一賃金もごく最近適用された。違法企業でなければ労働の不利益はないといえる。
教育も、ジェンダーギャップ指数の高等教育就学率の男女比0.952など高い。医大の点数不正など女性に不利益な行為があれば大きく報道されるため、逆に言うと仕組みとしての男女格差はない(あったら問題視される)ことが前提といえる。
政治に関しても、同様に法律など仕組みとしての男女格差はなく、あったら問題視される。
性犯罪被害率は女性が高いが、性犯罪に限らないと犯罪被害率は男性がはるかに高い。
これだけ「仕組みとして」格差をなくす取り組みがされているのは、「風潮として」まだまだ女性が不利益をこうむっている事実があるから。その風潮はなくしていくべき。
一方で、風潮から外れて不利益を被った男性個人に対しては救済する仕組みも整っておらず同情される風潮もないため見過ごされることが問題。男性全体を平均した利益/不利益と、それぞれの男性個人の被った不利益は別の問題である。
女性であることが弱者要素じゃないと思う人は、この記事を読むと良いよ。→https://www.huffingtonpost.jp/2017/03/14/man-signed-work-emails-using-a-female-name_n_15352470.html
女性が頻繁にそのような嫌がらせや蔑視をこうむることは心から同情するし、そういう侮辱行為をおこなった男性を非難することの正当性は全く否定しない。
しかしながら、一度もそのような行為をしていない男性を、男性と言う属性だけで彼らと同一視したり、男性はみな内心女性を侮蔑しているはずと決めつけることには徹底的に抵抗する。
ネットで女性に攻撃的なことを書いている人と弱者男性を同一視するのにも反対する。だからフェミニズムへのカウンターという言い方も好きではない。
「女性に攻撃的なことを書く」と「フェミニズムへのカウンター」が類似したものであるような言い方も謹んでほしいと思います フェミニズムへのカウンターは純粋に論理性のみに基づ...
言いたいことはわかるし個人的に攻撃だとは思っていないが、スポーツの分野で攻撃に対する反撃の意味でよく使われる「カウンター」という言葉が読み手によっては誤解を招きやすい...