これでどうやってゲームを作ったり、検索エンジンを作ったりするんだとなってくる。
つまり言いたいことは、実際に動くアプリケーションというのを作りたいのにも関わらず
プログラミング入門書は、これで判定と繰り返しという基礎ができますと言うだけ。
これがもう滅茶苦茶イライラする。
検索エンジンを作るとしても、検索エンジンにも色々あるのだけど、仮にGoogleを作るとする。
そうすると、まずページランクの論文を読むのは必須だと思われるが、
論文読まなくても日本の大学の授業の内容などが公開されてるので、それで分かりやすい解説を探したとする。
そうするとマルコフ連鎖とか、少なくとも高校、大学学部の行列計算の知識は必須となる。
ここで受験勉強なんて何の役に立つの?といった詰め込み教育に反対していた人達は挫折する。
英語も数学も単なる道具であって、詰め込み教育というのは理由はともかく先に道具を持たせる教育である。
必要になれば必要性を感じるのだから、必要になってから学べばいいというのは往々にして遅い場合がある。
例えば、敵が襲い掛かってきてから初めて剣や盾の使い方の必要性を感じても遅いのである。
よく分からんが学校や塾で装備をくれるというのだから貰っておこう、と思えなかった人はここで脱落する。
プログラミング言語の本でよくあるパターンは文法の説明などで始まり、ファイル入出力などで終わるというのがある。
なぜ、ファイル入出力で終わるのか?
これはUnix哲学とも言えるのかもしれないが、現在になってもコンピュータの世界では、すべてをファイルと考える、というのがある。
と思う人がいるだろうが、それは半分正解であり、半分ちょっと違う。
文字とかバイナリと呼ばれるものが入っているファイルはファイルの一面に過ぎない。
例えば、ディスプレイに図形や文字を表示する、プリンタに出力する、別のコンピュータと通信するための仮想的なつなぎ口を作る、