はっきり言って、
罪を犯したのに行政やマスコミから不自然に擁護され庇われているっていう点で山口敬之も飯塚幸三も同じだと思うし
どちらも同じく上級国民に対する忖度として反発を受けて当然だと思うし、私人が言論の自由の範囲で批判するならそれは正当な批判だと思う。
それが名誉棄損などの犯罪や不法行為に該当するならばその事実のみが責められるべきであって、「感情的」である事自体がさも悪い事みたいに言われるのって意味不明。
「感情的」で何が悪いんだよ、感情的っていうなら加害者の家族が可哀相っていうのだって感情の問題だろーが。
なのに前者を批判し問題視する人達に限って、後者に対しては加害者批判をさも異常な事かのように言って言論の自由を制約しようとする傾向があるという。
こっちは裁判官でも検察官でも国会議員でも何でもないし何の権力もない一般市民なんだから、文句を言ったところで判決に何ら影響を与える訳ではない。
家族に直接電凸したりするのはそれはそれとして別個の話だし、ネットでただくっちゃべってるだけなら井戸端会議と同じで何の影響力もないじゃん。何故それが許せないんだ?
つーか加害者家族へのバッシングっていうなら過去にもっと酷い例が沢山あったけど、その都度いちいち記事が上がってたりはしなかった訳だけど。
山口敬之も飯塚幸三も、どっちも擁護側が権力追従(右翼)、批判側が反権力(左翼)じゃないの?
なぜか後者を擁護する人達がパヨクと叩かれるのも意味不明。体制側を盲目的に擁護し私人による批判すら許さないのは明らかに右翼だと思うんだが。
普段は格差を問題視するような事を言ってる人達が「上級国民」批判をさも異常な事であるかのように言うのも謎なんだけど。世襲議員とかと違って自分でもなれるような立場だからか?