2020-08-03

頭使ってないよね?の視線が辛い。

家を建てることになった。

子供はまだいない。できるかどうかは知らない。

ただ、相続の都合その他諸々で早い方がよかったのと、猫を飼いたかったのと、色んな事情で先に建てることにした。

最初わたしも、子供ができてから…と思っていたが、時間をかけて悩み、先に建てることのメリットデメリットも考えての結論だった。

また、地元田舎で、家を建てることや車を持つことはかなり常識のようになっている。家を建てないのがおかしいと思っているわけではないが、わたしもその中で生きてきたので、なんとなく、結婚したら建てるものだと思っていた。

話は少し変わるが、わたし比較偏差値の高い大学に通っていた。旧帝大などではないものの、大学県庁所在地にあり、その県庁所在地出身の人もたくさん通っている。

県庁所在地電車が発達していて、車がいらない。一生賃貸暮らしの人も多い。土地が高いという理由もあるだろう。

その大学出会った友人Aは、生まれも育ちも県庁所在地で、特に頭が良く、「勉強をしたからこの大学入学できたこと」を誇っており、優秀ならば「論理的説明がつかないことをなんとなくで行うべきではない」と考えている人だった。結婚式の準備に本気を出す女性や、子供を持つのは当然と考えている男性を、常識を疑わないバカだと思っている。

そのAに、家を建てることを話したら、「なんで?子供もいないのに?」と聞かれた。相続の話などは少々しづらいため、一度考え、猫が飼いたいからと答えた。子供も使える部屋は作るが、その部屋は趣味の部屋にもできるし、子供が生まれなくて困ることはない。

それをAは、「何も考えずに決めたんだな」と捉えたようだった。常識を疑わず自分の考えた順序に従っているだけだと。

そのあと色々と説明はしたが、納得はしていないようだった。Aの中で、わたしは「特に何も考えず家を建てるバカ」になったようだった。

一方で、田舎である地元の友人たちに話した時は、何も聞かれなかった。「そうなんだ!いいね!」それだけ。友人たちも家を建てるのが当たり前の価値観で育ってきたから。

正直、とても楽だと思った。

建てたい。だから建てる。それでいいのだと思えた。

田舎の古くから価値観はよくないとか、今は選択肢がたくさんあるのだから古い選択肢に縛られず好きな生き方をしてもよいとか言われるけど、正直すごく面倒くさい。

わたしは古い価値観を選んだのではなく、わたしのしたいことを選んだのだ。それを古い価値観だと決めているのはわたしではなくまわりだ。

思考停止に見えるかもしれない。でも考えた結果選んだものが、考えなかった場合と同じだっただけで、どうしてわたしあんな目で見られなければならなかったのだろう。

でも、そんな目は気にする必要がないのもわかっている。

結局Aによく見られたいだけだ。賢いと認められたいだけだ。

よく見られた上に自分の考えも尊重できるなんて都合のいいことはないんだろう。誰かを諦めるしかない。でも疲れた

  • 地方国立はだいたい県庁所在地にあるよね 強調するってことは私立?

  • 愚行権の積極的行使

  • 論理的に説明がつかないことはするべきでない、って考え方は自分にも通ずるところはあれど、 個々の事情はあって当たり前。 感情の赴くままに行動するとか発言するのは真正の馬鹿だ...

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