あと1年とちょっとで30歳になる。
15歳から精神科に世話になり、双極性障害を患いっている。大人になってから軽度のアスペとADHDもおそらくあるだろうと医師に言われたことがある。多分それは間違いないと思う。
学歴も低く正社員として働いたこともないが、幸い趣味を仕事にすることで暮らすことができている。これがなかったら今頃本当に悲惨な人生を送っているだろう。
歳を重ねるにつれて生きづらさを覚えるようになった。人間関係に不満や、不信感をたびたび感じるようになり、興味を持って仲良くしてくれる人にも心を開けず自ら離れていくことが本当に増えた。いつか傷つけてしまうくらいなら関係を経つほうがお互いのためだと学んだからである。
恋愛もそうだ。出会って付き合うところまではできても、そこから関係を築くことができた試しがない。コミュニケーションがほとんどなく、相手は去ってゆく。そのことに限界を感じ、恋愛をすることをやめている。
生きづらさを知人にこぼした時、「好きなことで暮らせてるならそれ以上望むことはなくない?」と言われたことがある。満員電車に乗って出社しなくても済むことは大変ありがたいことだ。でも、じゃあ毎日朝晩いくつも薬を死ぬまで飲み続け、孤独に生きても仕方ないと思わなくてはいけない人生って、そこになんの価値があるんだろう。ブランドものを買っても、バカバカしく思えてすぐに売ってしまう。時々家賃を払ってまで暮らしている部屋に自分しかいないことが怖く、耐えきれず、逃げ出したくなる。何度家出したかわからない。最近はそれも病的だと感じ、なんとか我慢している。
年収も、300万程度だ。そこから経費を引けばもっと低い。旅行をしたり、趣味に打ち込んでみたいと何度か思ったが、1人だとそこに虚しさを覚えてなかなか実行までに至らない。
何故生きているのか。親より早くに死ぬことは自分にはできない。親が亡くなったら、生きる理由が無くなってしまうけれど、死ぬ覚悟は少なからずできる気がする。
友達がいないわけではない。でも、明日からもう二度と合わなくなったとしても、多分平気だろう。
仕事も、容姿がよかったら、外見を活かしてもう少し活躍できたかもしれない。とか、こんな仕事をしなければアンチに叩かれることもなかったかもしれないのに。とか、そんなくだらないことを考えたりもする。
生きるのは怖い。死にたいというよりは、いつ死のうかタイミングの問題だ。でも、死ぬ勇気はやっぱりない。死ぬのも怖い。いろんなことから逃げ続けた、逃げ場所が無くなってしまった。早く青い空が見たい。
先生斬らないで…