これらの制度・文化については、個人の自己決定権を侵害しがちという観点でどちらかというと批判的でしたが、最近わからなくなることがままあります。
これらの共同体は、差別を内包していたり、人権に対する制約を課していた一方で、弱者をすくいあげるセーフティネットとしての機能もあったと思います。
そもそもが相互扶助のために成立してきたものなので、セーフティネットとしての機能があるのは当たり前といえば当たり前ですが。
そう考えると、弱者の救済、もっと広く言ってしまえばリベラル的な目的意識に対して、イエやムラの枠組みって、もちろん各論では噛み合わない部分はあれど、手法としては普通に選択肢に入りうるのではと。
ただ、はてなをざっと観測している限りだと、子育て世帯やシングルマザーは救われるべき、恋愛弱者も包摂されるべき、という論調がある一方、
イエやムラ制度に対しては、解体について歓迎こそすれ危機感を持つような論調はみられないように感じられます。選択的夫婦別姓の件とか見てても特に。
これは乱暴に言えば、「セーフティネットの解体」と、「弱者の包摂」を同時に主張する矛盾とも言えるのかなと。
もちろん、弱者の包摂をもっと良い手段で実現すべきだ、という発想が前提なのでしょうが、そこに例えば家制度の改善と維持(差別を軽減し、相互扶助機能を維持するような方向性)が選択肢として挙がってこない(ようにみえる)のは、何故なのでしょうか?
意見もらえると嬉しいです。
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個人的にはイエ制度やムラ社会については、母と姑との関係性や父が地域社会で苦労していたのを見てきた経験から、良い印象は持っておらず、手放しになくなればいいと思っていました。
ただふと、リベラル風を気取っている割に、セーフティネットの一つを捨てることに手放しに賛成してたんだなあと気付き、こういった増田を書くに至った次第。
無自覚な全体主義なだけだぞ 国に救済を求めてるんだから あと姓は合体しよう 増田 佐藤 益男 に
反応ありがとうございます。 現代のリベラルが個人主義と全体主義、自由と平等のバランスを目指すものだとするなら、偏りに無自覚になってる時点でダメなような気がしますね。
「イエ・ムラ制度を維持しましょう」って言っても、政策で実現するのかなり難しいんじゃない? 2世代同居してたら住民税減らすとか? 居住の自由を認める限り、よっぽど強烈な政策...