二十歳くらいの頃、絵にかいたような「生きづらい」学生だった。悩むことに悩むみたいな、ある意味まっとうな若さを抱えていた。
だけどそれが自分でもしんどかったし、周囲の親しい人を疲れさせてもしまって良くないなと思ったので、
まずは自分の心地よさのために、自分の機嫌を自分で取れるようになりたいと思った。
そこで、主に社会人になってから意識的に振る舞い方を変えて、いろんな思考訓練をした。
落ち込みやすい出来事のポイントや苦手な人のタイプを観察し、避けられる摩擦は避けて、不要な傷つきは回避してきた。
その結果、学生の頃よりぐんとメンタルは落ち着いたし、毎日楽しく生きられるようになった。それはすごくよかった。
なんだけど、その副産物として、
今度は「あの人は、いつも大丈夫そうな人、頼ってもいい人」っぽく、周りから見られるようになっちゃった。別にそんなことないのに。
メンタルが安定している(ように見える)人って、感情の置きどころにされやすい。
とくにそれが、テキストコミュニケーションの場において顕著だと感じる。
私はTwitterにしろLINEにしろ、言葉をつかってコミュニケーションを取る場では、
日本語の使い方にはめちゃくちゃ気をつけて、言葉を発信するようにしているんだけれども、
そうすればするほど、はたからみると、一見「話を聞いてくれそうな人」になっちゃうんだね。どうやら。
最近ようやくわかってきた。受け止めてくれる人と、思われがちになってしまった。
「自分の感情をぶつけたい、発散したい。誰かに受け止めてほしい!」という気持ちが、
想像力があればあるほど、客観性を意識しようとすればするほど、引き受けるものは増えていくのかなー。
私にももちろん話を聞いてもらいたい瞬間はたくさんあるけど、それはごく親しい友人か、家族にしか向かないから、
「エッ、その純度の感情を!?この程度の関係性で、こちらにぶつけてくるの!?」っていう場面に出くわしたとき、まじで対処の仕方がわからない。
で、めんどくさいので当たり障りのないように流す。するとそれがまた優しさと勘違いされてしまう、みたいなループになってしまった。あほである。
ええかっこしいなところがもはや自分の首を締めてる気がしてるけど、
愚痴だけ拝聴してのらくらかわしてればいい 自分で解決するか時間でかいけつされるか 暖簾に腕押しだとおもってもう相談してこなくなる 底まで待てない場合 忙しいから今ちょっと無...
ありがと、ほんとそうだね。 めんどくさいとかいいながら、結局八方美人なところがあって、丁寧に付き合いすぎてしまったなー。 それでも最終的には向こうの都合で好きに離れてった...
たいへんだね。
よわってるから、げんかいなんだごめんね。りゅゆうにならないわかる。
最近、それはほんとうにおもう。 日雇いのわかりやすいしごとがあればな。
なんとかして、ちょっとでも仕事を難しくしようとするから それなら、お給料さげてください。
でもいちおう業界では記録をとるような成績もとったんだけどな。 業界選び間違えた。 今日めいわくをかけたひとごめんね。 時給800円ぐらいがしごと難しくなくてよかったのかも...
何でもいいからその臭い口を閉じろ