2018-10-17

毒親に育てられた自覚

毒親から逃げられた記念に書かせてほしい。

毒親エピソードはたくさんあるけども、一番大きなものは「ママが正解」の呪いだった。母は私を育てる上で「何事も自由に選ばせた」と思っているだろうし、表面上はそうなっている。しかし実際は母が望んだもの以外を選べばたちまち気分を害し、相づちがおざなりになり、もしその後私の選んだものに少しでもケチがつけば「やっぱりママが正解だった」と笑った。

この「やっぱりママが正解」は今でも私の根底に残っており、何かを選ぶ時(特にその選んだもの・ことを母に見せる予定がある時)には母の反応を必要以上に気にしてしまう。また、母の望んだもの以外を選択した時にはひどい罪悪感、人でなし感に襲われ、何かあると「やっぱり母の言うことが合ってたんだ」と思ってしまう。そんなの気にしなくていいと笑われるだろうが、幼少期から刷り込みなのでもう一生振り切れないだろうと諦めている。今となっては実害もないし。

そんな中で私が唯一幸運だったのが、「自分母親おかしい。そしてそれは周りの人に気づかれない方がいい」という自覚があったことだ。毒親という言葉もない時期に、早い段階でそれに気づけて本当によかった。無事に逃げられたのもそのおかげだと思う。というのも、大人になって気がついたのだが、私の母のような過保護タイプソフト毒親に育てられた人は一定存在する。ただ、それを口に出すかどうかで周囲からの印象は大きく変わっていく。

私が最も気の毒だと思ったのは、以前勤めていた職場40歳近い女性が「門限があるからごめんなさい」と飲み会への参加を断っていたのを見た時だ。ごめんなさいと言われた幹事男性は「◯◯さんちはお母さんが厳しいからなぁ」と笑い、女性は「そうなんですよ、もう」と困り笑いで返していた。

ごめんなさい、母が。

ごめんなさい、母が。

飲み会以外の話題でも、彼女は毎回毎回繰り返してきたのだろう。その結果、彼女職場で「少し変わっている」というポジションにおさまっていた(もちろん大人なので皆あからさまにはしないが)。

また、この女性は「映画を観に行ったら上映直前で母から電話があり、帰らなければならなくなった。しかたないか映画あきらめた」というかなりパンチの利いたエピソードも持っていた。それを笑い話として職場で話してしまうのもまた彼女の不運であったように思う。

私も毒親持ちとして、彼女の話にああ〜わかるわかると思ったことが何回もある。しかし、私がひそかに共感する部分でほかの人々は「えー!?」「それはやりすぎだ」と驚いていた。これは推測だが、彼女は母の話をして周囲から驚かれるのをどこか特別なことのように感じていたのかもしれない。

姉御タイプの同僚が時々彼女に言っていた。

「そろそろ独り立ちしなくっちゃ!」

軽い口調だが、それは真剣忠告だった。

しかし、私はそれを聞くたびに彼女がその忠告を受け入れて独り立ちすることはないだろうと確信していた。なぜなら、彼女の中には私と同じく、そしておそらく私より強く「やっぱりママが正解」の刷り込み存在しているはずなのだから

何かを決める時、親が基準になっていませんか?何かを断る時、親を理由にしていませんか?周りにいる人々は、あなたとおなじくらい親の話をしていますか?親子仲がいいのは悪いことではないし、毒かどうかの基準は人それぞれだ。職場彼女だって、望んで母親そばにいるのかもしれない。

それでも、自覚なく縛られ続けている人々が少しでも減ってくれればと思う。

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