http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1807/31/news053_2.html
なんというひどい文章だ。
もともと日本人というのは、よその国の人よりも嫉妬深いのである。
これはなにも筆者がフィーリングで述べたことではない。お札にもなっているほど、近代日本最大の啓蒙家がそうおっしゃっているのだ。
学校の授業でも必ず習う「学問のすゝめ」のなかで、福沢諭吉は人間が生きていくうえでもっとも害となるのは「怨望(えんぼう)」とした。これは、他人と比べて自分を不満に思い、自分を高めずに他人を引きずり下ろそうという陰湿な心でここから猜疑や恐怖、卑劣が生じるとした。要は、「嫉妬」である。
そして、この「怨望」の分かりやすい例として、「大名の御殿女中」をあげた。ドラマや映画になった『大奥』を思い浮かべていただければ分かるが、「御殿」のなかで殿様にかわいがられた女中というのは、周囲からすさまじい「いじめ」に合う。私よりブスのくせになんであの女が。どうせ汚い手をつかって取り入ったのに決まっている。剛力さんが女性たちからボロカスに言われるのとまったく同じ構造だ。
そして、注目すべきは福沢諭吉がこのような日本人の「怨望カルチャー」を以下のように総括していることだ。
「試みに英亜諸国の有様と我日本の有様とを比較して、その人間の交際において孰かよく彼の御殿の如きを脱したるやと問う者あらば、余輩は今の日本を目して全く御殿に異ならずというには非ざれども、その境界を去るの遠近を論ずれば、日本はなおこれに近く、英亜諸国はこれを去ること遠しと言わざるを得ず」(岩波文庫 P120)
もともと日本人というのは、よその国の人よりも嫉妬深いのである。
これはなにも筆者がフィーリングで述べたことではない。近代日本最大の啓蒙家がそうおっしゃっているのだ。そう、福沢諭吉である。
「学問のすゝめ」のなかで福沢諭吉は人間が生きていくうえでもっとも害となるのは「怨望(えんぼう)」とした。これは、他人と比べて自分を不満に思い、自分を高めずに他人を引きずり下ろそうという陰湿な心でここから猜疑や恐怖、卑劣が生じるとした。要は、「嫉妬」である。そして、この「怨望」の分かりやすい例として、「大名の御殿女中」をあげた。
そして、注目すべきは福沢諭吉がこのような日本人の「怨望カルチャー」を以下のように総括していることだ。
「試みに英亜諸国の有様と我日本の有様とを比較して、その人間の交際において孰かよく彼の御殿の如きを脱したるやと問う者あらば、余輩は今の日本を目して全く御殿に異ならずというには非ざれども、その境界を去るの遠近を論ずれば、日本はなおこれに近く、英亜諸国はこれを去ること遠しと言わざるを得ず」(岩波文庫 P120)
ちょっとひどすぎませんかね。
なんのこっちゃという人のために要約すると、
・福沢諭吉はこう書いている。ムニャムニャ。
これはなにも筆者がフィーリングで述べたことではない。お札にもなっているほど、近代日本最大の啓蒙家がそうおっしゃっているのだ。
他にも、筆者の独りよがりな記述が多すぎる。文章の書き手として余計な記述が多すぎる。
よくわからんクレーマーもどきの読者を想定しているのだろうけれど、そっちばかり向いていて、興味がある人にとって非常に読みにくいし
なによりもそういうこころあたりが無い人間からしたら、厄介者されて不快なのである。
「ここまで読んだら不快になった、謝罪しろ!」「そんなに日本が嫌なら今すぐ日本から出ていけ!」といった怒りの声が飛んできそうだが
「そんなの福沢諭吉の妄想だろ! 日本人ほど他人に優してく、寛容な心をもつ民族は世界を見渡してもそういないぞ!」という怒りの反論が聞こえてきそうだが
理論武装をするのは立派なことだが、その武装をいちいちひけらかすのはチンピラっぽいのである。
読者に合わせる努力が無さ過ぎる。
内容についてはあえてスルーするが、まず文章がひどいと読む気なくすから! 読んでも不愉快な気分で読んでるとわけもなく否定したくなるから。