巷で議論されてるような「数学をどこまで義務教育で行うべきか」とか「数学は実社会にどう役立ってるか」とか、そういう話はここではしない。
私が感じているのは「数学は人生を賭ける程に面白いが、私の半径1mでは実際に役立てそうに無い」と言う事である。
私は数学が趣味の工学系修士1年の学生である。学部の頃はよく数学科の授業に潜り込む事などもしていた。
工学系に所属していながらも数学に興味を強く持っていたから、学部4年次での研究室配属では数学の役立つ理論系を選んだ。大学院入試は配属後直ぐにあるため、特に考えずに同大学の大学院進学を決めてしまった。今にして思えば、これがそもそもの間違いだったのかも知れない。
配属先の研究室の居心地はあまり良くなかった。端的に述べれば、当時の私の悩みは指導教員の数学に対する理解度の低さに起因していた。数学的な議論をしようにも、教員が曖昧な理解のまま進めようとするから議論がさっぱり通じなかったのである。東京大学などの優秀な環境であればこのような不満は無かったのかもしれないが、地方国立大学ではこのような不満は起こり得るようであった。
こういった悩みは単に有意義な議論が出来ない事だけだけでは無かった。寧ろ「数学を学べば学ぶ程に今の環境との乖離に苦しむことになる」といったジレンマが本質的な悩みであった。
この他にも様々な不満が募り、大学に通うのが困難になる時期があった。指導教員には「朝起きてから怠くて動けない日が続いている」と正直に伝えたが、「数学のやり過ぎで疲れているのではないか、少し数学から離れると良いと思う」と言われてしまった。これを言われたのは一度ではないし、文字通り失望してしまった。
教員が私を扱いにくい学生と敬遠している訳では無かった。寧ろ指導教員からは優秀な学生と評価されており、博士後期課程進学を強く勧められていた。私は学問が好きだから最初はその道も選択肢に考えていたが、どう考えても現在の環境のままの博士課程は考えられなかった。何らかの精神的疾患を患う事はある程度予想できたためである。
良い指導教員や熱意に溢れる学生に恵まれた環境が欲しかった。研究に関して議論し、切磋琢磨できる環境が何よりも欲しかった。しかし、これらを手に入れる事無く学生生活が終わろうとしている。就職活動の時期が来てしまった。
私の個人的な身の上話に終始してしまったが、私の愚痴を要約すれば「数学が好きで、実際に役立てる対象があったとしても、周りに理解されるとは限らない」と言う話だった。
遠山啓みたいに大学入り直せばよかったんでは 今からでも間に合うっちゃ間に合うけど
工学ってなんだろ。電子?暗号? 学会行って、話合うセンセを見つけるもんさ。企業の博士も発表してるから、その中にもイイ人いるかもしれぬ。 まあ個人的には博士課程勧める教員は...
意欲と少しの才能があれば上手くいくものなのかと思ってたけど、運や環境の巡り合わせが大きいよな
元増田。 久しぶりに開いたらコメントを頂いていたようで有り難い。 以下では近況を述べる。 まず私はM2になって就職活動は終わった。 最近の指導教官は事務作業に忙しく、「半年振...