人の考え方は様々で、多種多様な考えをそれぞれが持っていて指紋のように全く同じという人を探すのは困難である。
1つの事例に対して、「良い」「悪い」という2択判断で一致する人はいても「場合によってはあり」「今後の事を考えるとなし」など人は曖昧にも判断する。
つまり自分がいる場所に近い事柄に対しては良いという判断をし、距離が離れると悪い物と認識する。
分かりやすい事例として政治の話題で使われる左翼右翼を距離として考えてみよう。
単純に数値として扱ったとして、左翼サイドを-1として、右翼サイドを+1とし、中道は0とする。
インターネット上では左翼だ右翼だとレッテル貼りをしているが世の中の人は0.1だったり-0.1だったりと微妙な立ち位置にいる人が多い。
左寄りの発言をする人だって実は-0.5程度で、逆に自分は右翼だという人でさえ0.5程度である。
大抵はこの範囲に世の中の60%が占めている状態だが、困った事に-1に近い0.6だったり、+1に近い0.7だったりと極端に思想が偏った方が40%程いる。
偏った20%ほどの左翼的な思想を持つ人と、偏った20%ほどの右翼的な思想を持った人だ。
さらにここから極左、極右となると中央から1に近い距離になる。
政府発表の政策によっては受け入れがたいと判断する人は、その政策が置かれた位置と自分のポジションの距離を測る。
その距離が受け入れがたい物であれば人は拒否反応を示し、距離が離れるほど大きくなるようだ。
ただ人によってその受け入れる距離感が違うという点を留意すべきだ。
なぜなら政策は多くの人を幸せにする為に立案されるが、多くの人であって国民全員では決して無いから。
その時にその法案の是非について考える前に、自分が置かれているポジションに対して考えてみるのも良いでは無いだろうか?
偏れば偏ってるほど苦しんでいるのでは無いだろうか?
偏り過ぎていないか自問し続ける事は大切だ。
本来は色んな偏りも含めて信条の自由は否定されるべきでは無い。とも思う。でも最近はポジション間での攻撃合戦が増えてて、人間同士の議論とは呼べない物が増えてるのも事実だっ...