2018-01-09

都会に行くほどコミュ力が要らなくなる

もちろんコミュ力はあった方がいいんだけど、都会なら大抵は金で解決できるので必須ではない

田舎度が高まるほどコミュ力重要になる

当たり前っちゃ当たり前なんだよね

だって田舎は人が少ないもん

人が少ないとサービス業仕事として成り立たない

金を払う事でお客様っていう立場になることができない

個人個人の対等な立場で物なり労力なりをやり取りするならコミュ力必須

都会なら極力人付き合いを断って生きていくってこともある程度は可能だけど、田舎じゃそうはいかないよね

多分だけど田舎で人付き合いを断つってセルフ村八分みたいなもんだと思うんだよ

自分ひとりでなんでもできる様な人ならともかく、普通は何かと誰かの手を借りないと生活できない訳じゃん

都会ならお金を払うことで他の人にやって貰える事も田舎度が高まるほど隣近所の人の手を借りることになる

近所付き合いなくて面識すらない状態ではそういう時に助けてもらうの難しいと思うんだよ

もちろん大金を払えば別だろうけど、毎度毎度そういう訳にもいかないでしょ

こういう風に考える切っ掛けになったのは去年母方の祖母が亡くなった事

母の実家離島にある

一応葬儀場はあるんだけど、こっち(地方都市)なら葬儀屋さんにやって貰えることも自分達でやらないといけない

で、仕切りはそっちに住んでる伯母がやってくれたんだけど、料理作ったり葬儀から火葬場までの足を用意したりってのを伯母の友人や隣近所の人達がやってくれてた

それ見て断片的だけど実感できた

こういうのは普段の人付き合いが物を言うんだなって

祖母や伯母が普段から近所付き合いを絶やさずにやってきたからこれだけ世話をして貰えたんだなって思った

で、一度そういう視点を得ると自分普段生活にもそういう面があることにも気付く様になる

両親の友人や親戚、隣近所との付き合いにも大事意味があるんだって気付く様になった

翻って自分の交友関係を考えるとこれはアカンって思うようになった

極めて打算的な理由ではあるけど近所付き合い大事にしようと思うようになった

で、最近は時々近所のお寺の集まりかに顔を出すようにしてる

若手(といっても俺ももう30過ぎのおっさんなんだけど)が少ないから色々と重宝がられることも多い

行ってみて初めて知ったけど、ああいう集まりってそれなりに力仕事あったりするのね

完全に無償労働だけど、話に聞く消防団の大変さに比べればそこまでキツイ訳じゃない

それに人から感謝されるのって悪い気はしないしね

こういう人付き合いが嫌で田舎から都会に移り住んだ人って結構いると思う

どうしても人に関わりたくない、あいさつするのすら苦痛って人もいるのかもしれない

そういう人達の中には田舎の事を悪く言う人もいると思う

でも田舎には人付き合いを断って生きる人が生きていくだけの余裕が無いんだ

田舎であればあるほど生活していくのに人付き合いが必須になっていく

人付き合いを嫌悪する人が生活できる環境って人が余っててサービス業が発展してる都会にしかない

人付き合いの無さをお金で補う際のコストが安い都会じゃないとそういう生活を維持できない(石油王は除く)

都会から田舎移住した人のトラブルにもそういう面があると思う

それを田舎の閉鎖性や住民の質にだけ問題があると捉えると大きく見誤ることになると思う

  • 「一度そういった視点を得ると自分の普段の生活にも似たような面があることにも気付いた。両親の友人や親戚、隣近所との付き合いにも大事な意味がある。翻って自分の交友関係を考...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん