真木よう子の冬コミ参加に対するバッシングは、理性的に擁護できるものではない。
http://b.dlsite.net/RG11464/archives/52529122.html
コミックマーケットとは何か? 同人誌とは何か? というのを歴史的に詳しく紐解くのは難しいのでしない。
が、これらの意味が本質的に「アニメやゲームの二次創作」に限られないのは明確なことである。実際コミケにはまだ評論や文学、実写といった分野が生きている。
しかしながら、コミケにおけるオタクの大半は「アニメやゲームの二次創作」に興味があるし、実質的にコミケや同人誌がそういうものと同値である、とするのはもはや否定できない。
そして、今回真木よう子が出展しようとしていたものは、「アニメやゲームの二次創作」ではない。
考慮すべきは、コミックマーケットや同人誌というのは、初期の形からとっくに変質しつつあるということである。
オタクの興味がアニメやゲーム文化の隆盛とともに移り変わり、オタクの興味の代名詞が同人誌として現れているだけに過ぎず、その意味はけっして多数派が「アニメやゲームの二次創作」に興味があるから、というだけで済まされるものではない。
コミケや同人誌というのは、もっと広い範囲を許容する形式だったはずだ。
今回の真木よう子の一件は、多数派のオタクが、「今の自分のコミケや同人誌の定義や主義にふさわしくないもの」と勝手に決めつけた結果起こった悲劇に違いない。
一般のマジョリティから排除されたオタクたちの楽園がコミケであるとするならば、今のコミケはオタクのマジョリティに支配されつつある。
今後も、「アニメやゲームの二次創作」以外は、コミケのスタンスにそぐわないとか、あるいは単に売れないから、という情報や言い訳や批判が飛び交い、淘汰される危険にさらされている。
多様なジャンルの新参が二の足を踏むような状況を作ってしまえば、今勢いのある「アニメやゲームの二次創作」の有名サークルが同人誌からいつか撤退したとき、そこに何かが残るだろうか?