俺は大変腹を立てている。お前にだ。
好きだった、嫌いだった、共感できた、できなかった、で済ませればいいところをお前はいちいち正論で武装しきって周囲に不快感を撒き散らしてやかましい。
お前は一切の金を払うことなく視聴した映像に対して、あーでもないこーでもないと理論をこねくり回して、勝手な癇癪を起こしている。
そして俺もまた、一切の金を払うことなく、お前の意見をいくつも読んでは、こうして勝手な癇癪を起こしている。
あれを見て購買意欲が湧くか。と言われたら俺も全く湧かない。
だがそもそも、広告の効果(販売数だけじゃなくて)なんて、あれを作った人間たちが、意図通りに広告できたかを後に計測するだけの話で、俺やお前が知ったり顔をして効果云々を発言する事には何の意味もない。
今後牛乳石鹸を買いたくなくなったのなら、買うのを止せ。お前の使う石鹸ぐらいお前の好きな基準で選べ。
あれを作った人間が誰かも知らないが、多分俺だ。
平日は朝家を出る前の数分程度しか家族と顔を合わせず、家族が寝た後に帰宅して一人で飯を食う。
週末は、強烈な睡眠欲と戦いながら、妻と、まだ幼い2人の子と、買い物をしたり遊んだりしている。
週末に出かけることを渋ったり、睡魔に負けたり、子供と接しなかったりすると、妻が癇癪を起こす。
妻が家庭や日々の子育てのことで多大なストレスを抱えているだろうということも想像できる。
だがそのストレスが、嫌味な言葉や態度となって俺に向かってくると、俺はやり場のない怒りと悲しみに包まれることもある。
仕事がうまくいっているときは良いが、トラブルに頭を悩ませている時に敵意を向けられると、家に帰るのが億劫になる。
体調が良かったり、家族の機嫌が良かったり、仕事がうまくいっているときは、
週末の家族アドベンチャーが、とても幸福で充実したものと感じる。
妻や子への愛情も実感する。
俺は焦燥しているのだと思う。
俺は困惑しているのだと思う。
家族を養うことと、家族とたくさんの時間を共有することの難しさに。
年齢だけ重ねていく自分の未熟さに。
多分俺は今、過渡期にいるのだと思う。そうであってほしい。
なので、勝手ながら、もうしばらくはモラトリアム父親でいさせてくれるよう、妻にはお願いしたい。
お前にも、こうして癇癪を起こしたことをキュートな上目遣いで詫びつつ、気を沈めてくれることを求める。
さ、洗い流そ