洒落怖など現代型の怪談の話では、事故や犯罪の被害者・自殺者・病人・貧困・被差別者など、社会の弱者が死後何らかの祟りで生者に危害を加える、というパターンが多い。精神異常者や知的障害者による凶行、祟りによる奇病、呪われた「家」や「血筋」や「地域」でおこる悲劇とか、怪談以外のジャンルだと問題になりそうな設定が許されているのは不思議だ。
虚構と現実の区別云々という反論がありそうだが、怪談はかならず実体験として語られる以上、フィクションよりも認識へ与える影響は大きい。「この話に出てくるアレってどこそこの…」とか邪推する人は普通にいる。
ついでに気になった事を言うと、怪談の根本原因というのは企業(大規模建設)・自治体(ダム、区画整理)・国(戦争、軍)のどれかに集約されるケースが多い。にも関わらず、こうした大本の原因に対する祟りや復讐はあまり描かれず、むしろ現場の作業員やたまたま訪れただけの無関係な人がいつも犠牲になっている。
怪談というジャンルに流れる思想は「暴力は強者から弱者へと流れる」「弱いものや差別されている者にはそれなりの理由がある」という強者の論理だけでしかないように見える。