わたしの親は親ではなかった。
ただ同じ屋根の下暮らしているあかの他人といったところだった。
いうなればネグレクトに近かった。
育児という育児は受けてこなかったし、子供に似合わない家事の出来ようやしっかりした態度だったと思う。
ここ数年、「アダルトチルドレン」や「機能不全家族」といった言葉が少なからず注目を浴びていると思う。
どういった背景でそういう状況が生まれたのか。このような現代になってしまったのかわたしには分からない。
ただ最近思うのは、権利擁護や心の問題に過干渉過ぎるのではないかということだ。
アダルトチルドレンや機能不全家族というのが悪いとは思わないし、少なからず問題ではあるとは思う。
ただ、人間というのは不思議なものでそれなりに適応して生きていくと後から振り返って思う人も少なくないと思う。
わたしの主観ではあるが、少なくともわたしの育ってきた環境というのは世間的に見て相当ひどかったと思う。
ただそれでもわたしは「それなり」に生きている。
この「それなり」というのは案外重要だと思う。
どんな人間でも少なからず問題は抱えているし、その問題の大きさや苦しさというのは他人の尺度では測れない。
他人から見て大きな問題に見えることも何もなかったように過ごす人もいれば、小さな問題で死を覚悟する人もいる。
要するに人生や幸せなんてものは測れないし、案外気にするほどのことでもないのだ。
この日本に生きていれば、少なくとも道端で倒れて死ぬことはそうそうない。誰かしら声をかけるだろうし、それなりの手当てもあるだろう。
エヴァ的な話になってしまうが、世界の見え方なんて角度次第でいかようにも変わる。
そしてこの現代には世界を知るだけのリソースはいくらでもある。
今この記事をアダルトチルドレンかなんかで検索したどり着いた悩める人たちに厳しいことだが言いたいと思う。
少なくともあなたは検索して調べてきたならキーボードを打つだけの手もあるし、理解するだけの頭がある。
ならば1歩外へ出てみよう。
それは物理的な外出でもいいし、自分の世界の外という意味ならネット上でも何でもいい。
それが出来ないのであれば、あなたは一生そのことを悩み続けるただの頑固者なだけだ。
医者でも何でも直せない。
うちも相当な機能不全家族だったんだなって思う 小学生の頃から夕食作っていたし親に甘えるって経験がない 中学の頃に対人恐怖症を発症して なんで自分は普通の人と違うんだろうっ...