2017-06-07

とある限界集落の末路

10年程前に、とある限界集落の取り組みが話題になった。

まり耳にしないかもしれないが、準限界集落とは、55歳以上の人口比が50%以上の共同体のことをいう。

巷でよく耳にする限界集落は、65歳以上の人口比が50%以上のことなので、準限界集落とはひらたくいえば限界集落予備軍といったところだろう。

そのとある村には私のお婆も暮らしているのだが、たしかに年々生活道路舗装や、店が閉まる、バスが少なくなるなどの話は聞いていた。

このままでは限界集落となり共同体としての機能が衰え、ひいては村の消滅にもなりかねないと考えた村長は、今でいうクラウドファウンディングを始めた。

はいっても、特に資源名産もないこの村では、村の住人達の書いた絵葉書写真それから直筆のお礼の手紙が返礼として届く程度のもので、実態としては全国から寄付で成り立っていたようなものだった。

内容も田舎のじじばばがいうような、「○○ちゃん、お金ありがとうね」「元気か?」「寒くねェか?」「あったかしろ」くらいの内容だ。

ところがその手紙が、田舎から届いた心のこもった手紙として、ひそやかに人気となった。

中部地方ということもあり、地方から出稼ぎが多い愛知から反響特にあった。

出稼ぎで来ている外国人から結構寄付があったことも意外だった。

今ではその手紙きっかけで、月に一度の散髪屋や生活用品移動販売者もくるようになったらしい。一度その現場を手伝ったことがあるが、ボランティア側の人達のほうが生き生きと楽しそうに仕事をしていたことがとても印象的だった。

この一連の出来事を通じて人や生き方というものについて考えるようになった。

ボランティアをすることや寄付をすることは、一見損で、なんの得もないと思いがちだが、都市部の人からしてみれば、自らが必要とされている体験として得難いものだったのだろう。

その行為で救われているのは、おそらくその村の住人だけではなく与えている方のように思える。

合理的コスパがいい生き方話題になることが多いが、いま必要なのは無償で与えるということなのかもしれない。

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