→それに対して反発する人がでてくる。
→さしたる解決策も提示されないまま不毛な争いだけが繰り返され、そのうち疲れるか飽きるかして大半の人の脳裏からこの話題が消えていく。
痴漢被害を訴える側も痴漢冤罪の恐怖を訴える側も主張内容は基本的にほぼ同じパターンが多い。
どちらも主張してる事はよく分かる。
現状の痴漢被害への対策や被害者保護は十分とは言えないし、かといって有罪、冤罪に関わらず痴漢で逮捕された時点で社会的な死という罰が加えられる可能性があるのはどうかとも思う。
どちらかが間違ってるという話ではない。
ただ、どうも気になるのが痴漢被害側でたまに見かける「痴漢で逮捕される人の中で冤罪のケースはごく少数である」という主張だ。
確かに少数派ではあるのだろう。
しかし、それは痴漢冤罪に恐怖を抱いてる人に取っては「あの銃は当たったら死ぬけど命中率が低いからそうそう当たるもんじゃない」と言っているのと同じではないかと思う。
痴漢冤罪を恐れる人が問題にしているのは命中率ではなく「当たったら死ぬ」という点だ。
たとえ千分の一、万分の一であっても一度疑われたら長期間拘束され、無罪を勝ち取る為には多額のお金も必要になり、大抵の場合仕事も失い、最悪の場合家庭崩壊の可能性すらある。
それがただ満員電車に乗っているだけで起こり得る。
想像力がよほど乏しく自分だけは大丈夫と無根拠に思い込める人でない限り恐怖を抱く方が自然だと思う。
その恐怖を可能性が低いという点だけを持って、とるに足りない問題とする(少なくともそういう風に見える)言動を取っていれば反発は当然あるだろう。
少々配慮に欠けていると言わざるを得ない。
その辺りに両者の主張が微妙に噛み合わない理由の一つがあるのではないだろうか。
こういう事を書くと「痴漢被害者への配慮は必要ないというのか」「彼らは恐怖を抱いているだけで実際に被害にあった訳ではないではないか」「実際に被害を受けているのはこちらの側だ」といった反発があるだろう。
だが、味方ではないかもしれないが少なくとも敵ではない人々をわざわざ敵に回して貴方達の目的は達成できるのだろうか?
目的は痴漢被害を無くす、可能な限り少なくする事であるはずだ。
ならば敵を増やすよりも味方を増やす事を重視した方がメリットは大きい。
「どうして被害者がそこまで気を遣わなくてはならないのか」というような声は出てくるだろう。
だが自分達の主義主張に沿って他者に動いて貰おうとする事は十分に政治的な行為だ。
政治的な行為である以上、他者からどう見られているか? どのような印象を持たれているか? という事が目的達成の上で非常に重要な要素である事を忘れてはならないと思う。
残念。もはや過激派同士の議論はそんな地点を通り越している。 「あいつらを火あぶりにすれば目的が達成できるのか?」という問いに対して、 「もう達成できなくていいからあいつら...
今回は実際に痴漢である可能性が高い事件をきっかけに痴漢冤罪被害が騒がれてる状況だからなあ。 他者からどう見られているか? どのような印象を持たれているか? って意識は痴漢...
たった一言でこの長文を要約できる。 「痴漢する奴がいちばん悪い」