今回は裏サンデー
後半の漆原と心葉のやり取りがディスコミニケーションのお手本みたいで、不覚にも笑った。
円滑なコミニケーションにおいて重要なのは、多義に渡りやすい言葉の解釈を当事者たちで同じにしたり、軌道修正を細かにすること。
やり取りをする人たちで個人の事情だとか価値観だとか、前提の共有が成されている必要があるんだけれども、それをすっ飛ばすとグダグダになりやすかったり不和を生じやすい。
大雑把に言えば、伝える努力と理解する努力の両立が大事なんだよね(もちろん当事者たちがコミニケーションを求めていなければ話にならないけれども)。
漆原と心葉は互いのバックボーンを知らない上、その状態で話を進めたもんだから、ああなるのは必然だった。
モデルの件で心象が悪くなっているから、解釈の軌道修正をする余裕が心葉にはなくなっているし、漆原は言葉足らずなせいもあって逆なでするような発言を繰り返すし。
ラブコメっぽい感じは出しつつ、妙な警戒心を抱く描写がちょいちょい入るのは、あくまでスカしだってスタンスで読んでいいのだろうか。
穿った見方をするなら、ラブコメの差別化を図った結果よく分かんないことになっているのかと邪推してしまう。
そのあたりの方向性が定まっていないせいなのか、テーマと構成は一貫しているのに、表現だとか演出に何だかチグハグさを感じる。
当然、意図してさせているってのは分かるんだけれども、そのキャラがなぜそういう喋り方かっていう説明がないから軽薄だと感じてしまう。
例えば、吹き替えとかで日本の地方の訛りで喋っている登場人物がいたら、その役者や登場人物の元の喋りが訛っているが故の意訳とか、そういう妥当性はともかくにしても何らかの理屈が欲しい。