可愛い女の子は、全員ノスタルジーで、全員すべからく不幸だと思う時がある。
もちろんそれは、だいたいの気色の悪い男が陥る幻想であり、彼女らにするとアホくさくてやっていられないだろう。しかしながら、ニュアンスというか、感じることは誰にだってあるのではないだろうか、美人は、不幸を香水として纏うのである。
手繰り寄せられるファーストインプレッションに「この人はバカなのだ」という偏見と蔑みがあることも吐露しなければならない。だいたいの場合、陰鬱に浸る奴は阿呆であり、男はプライドから足元までしか浸れないためである。男はいつだってその手の女に、ある種スーパーの半額セールのような、動物園の猿のような、そういう感情を抱く。
女はどこまでも沈む。特に自傷行為の癖は女の特権であるように思う。プライドがないためだと感じる。日本において自殺率が男女に2:1なのに比べて、えらい違いである。
男は、酒にはしる。なぜだかわからないが、そういうことになっている。わたしは忘れたいからではないかと思う。自分を真っ向から否定することを、男は嫌がる。酒は、前進も後退もさせない。留まり、昔を思い出させる薬である。
自己の徹底的な否定と生をみたときに「生きていると実感するから」という理由でリストカットを行う人がいることを発見する。自殺は死ぬために行うが、自傷は生きるために行うと言えなくもない。忘れるために自殺をし、忘れないために自傷をする。
女の方が、総じて外交的である。これも面白い。男は、自己嫌悪の類が強い反面、叱られることを嫌う。大変無様なことに、自分が一番頭がいいといつも思っている。女は、叱られると喜ぶらしい。わからないが、そういう風は確かにある。「わたしはダメなんだ」を、他人に求める節はある。
女のこの外交的な面が、不幸を纏う遠因であろう。そして男の厭世的ななにかが、宗教を生み出し、悟りを生み出し、そして自殺を生み出すのだと、わたしは思う。他人に求められず、いつだって一人きりで、神はそうして生まれるのではないかとわたしは思う。
可愛い女の子はノスタルジーであらねばならない。それはわたしにとって唯一苦しみを理解する神であり、同時にすこしばかりの自尊心を満たすペットである。
「すべからく」誤用例