例えば緩い繋がりって宣伝された(ような記憶がある)Twitterも5年6年それ以上続けてるとそれなりの人間関係が出来上がってくるし、更新もされるもので、去っていくフォロワーや新しくフォロワーになる連中もいる。テレサ・テンじゃないけども、何年もそういう時の流れに身をまかせていたわけだね。
所詮ネットだし顔も見えないコミュニケーションだから大したことはないのはわかっちゃいるのだね、とはいえそこでなんというか、数年単位で付き合いがあるフォロワーっているわけだ、例えばお互いのいらない物の交換をしていたり、何ならよく食事する仲だったり、そういう地続きの友人と微妙に垣根の曖昧な仲ってのが出来てくる。そういうフォロワーをある日から見なくなって、アレ、Twitterやめたのかな。と思うと知らないうちにブロックされてるってことがあるじゃない。そうすると何が逆鱗に触れたのか全ッ然わからないっていう疑問が出てくるのね。面と向かってケンカして気に食わねえってなった幼少期からの友人などは人生で何人かいるし、これを読んでいる人にも多かれ少なかれいるでしょう。Twitterでちょっとした一言に噛み付いてきたのを煽り合いになってブロックされた経験のある人も中にはいるんじゃないかしら、少なくとも私はそれなりにある。
で、そういう原因のわかることなら良いのだね、納得がいく。問題は突如ブロックされてることに気がついたときだね、当たり障りない会話しかしていないとか、割と食事や遊ぶことがあるような関係までは発展した仲の人にあるかもしれない。言い換えたらネット外の姿を知っているから気味の悪さを覚えるのかもしれないね。
それで、話題を最初の方に戻すのだけれど、疲れてしまうわけだね、”所詮ネットだし顔も見えないコミュニケーションだから大したことはないのはわかっちゃいる”だけに、顔を見知った仲になっていたり、会話が少々お互いの人生に突っ込んだ内容まで話すような仲になっていたりするとさすがにたかがネット経由じゃないかとは笑えない気持ちにもなるね。
ここまでTwitterでの話題に限って来たけれど、それってのは私の主な活動場所がTwitterだからであって、例えばFacebookではどうなのかはわからない。登録してあって友達も過去の同級生だとか、仕事先の人だとかなのでロビー活動用と割りきって使っている節があるだけに余計にだね。個人的にはFacebookに書く方が気が楽というときはあるんだね。
じゃあTwitterやめれば良いじゃないかという御意見はたいへんごもっともなのだけど、なんせ数名からブロックされた程度で辞めるほど手狭にもやっていないし、この人とは仲良いと思ってたけど残念だなあと感じた数日後には新しい誰かがフォローしてくるような状況なので、ここまで書いといてなんだけど疲れは取れてしまうものなんだね。そういう、人間そのものを消費している感覚というのがあるのだけれど、あまり健全ではないかな。