Aパートであらゆる陣営からの怒涛の説明台詞が続いて、こりゃつらいなと思ったんだが、あまりそう思わなかった人も多いらしい。
状況説明があっていいね!とか、世界観を自然な台詞で提示できてていいね!という意見が多々ある。
ナレーションを使わなかったので説明的にならなくてよかったという意見まであった。
よくないだろ。自然でもなかったろ。説明台詞を使うくらいならナレーションの方がいいだろ。
登場人物がなぜその状況でその発話に至ったか、受け入れられるだけの場の空気を作ることに失敗してしまえば、それはもはや自然な発言にはならない。
自然な発言にならないということと、観客に情報提供をする役割を台詞に持たせようという思惑が重なってしまうと、どうしてもその役割だけが浮いた、説明台詞と呼ばれるものになってしまう。
なぜわざわざ若者が普段から愚痴ってるであろう上司への不満を仲間内で詳細に確認し合うように言い合うのか。
なぜいきなり母との会話で父の態度への不安を口にするのか。
なぜいきなりメイドに自分の地球行きの決意を学級委員みたいな言葉で語りはじめるのか。
キャラクターの性質や関係性が視聴者に把握されるのを待たずに、できの悪い舞台作品のような台詞の応酬が続いていき、世界観の提示をしようという意図だけがくっきりとしていく。
ところで説明台詞の回避はなにも脚本だけの仕事ではなく、台詞以外で補完できるはずのコンテクストを映像やらなにやらでその場で提示する演出・絵コンテの仕事でもある。
映像によって発話に至るための場の空気のようなものが出せれば、説明台詞もより受け入れられるものになってくる。
すなわちキャラクターたちの行動や、仕草や表情といった演技に関する部分だ。
説明台詞はどうしたって作品設定を理解するのに必要なのだから、それを説明くさく感じさせないようにするしかない。
その点富野監督はアクション以外のパートでも見応えのあるように画面をしっかり構成していた。
半裸は最高!