2015-10-05

説明台詞がつらい

Aパートであらゆる陣営からの怒涛の説明台詞が続いて、こりゃつらいなと思ったんだが、あまりそう思わなかった人も多いらしい。

状況説明があっていいね!とか、世界観自然台詞提示できてていいね!という意見が多々ある。

ナレーションを使わなかったので説明的にならなくてよかったという意見まであった。

よくないだろ。自然でもなかったろ。説明台詞を使うくらいならナレーションの方がいいだろ。

登場人物がなぜその状況でその発話に至ったか、受け入れられるだけの場の空気を作ることに失敗してしまえば、それはもはや自然発言にはならない。

自然発言にならないということと、観客に情報提供をする役割台詞に持たせようという思惑が重なってしまうと、どうしてもその役割けが浮いた、説明台詞と呼ばれるものになってしまう。

なぜわざわざ若者が普段から愚痴ってるであろう上司への不満を仲間内で詳細に確認し合うように言い合うのか。

なぜいきなり母との会話で父の態度への不安を口にするのか。

なぜいきなりメイドに自分地球行きの決意を学級委員みたいな言葉で語りはじめるのか。

なぜ背中の突起の詳細に話題が進んでいくのか。

キャラクター性質関係性が視聴者に把握されるのを待たずに、できの悪い舞台作品のような台詞応酬が続いていき、世界観提示をしようという意図けがくっきりとしていく。

ところで説明台詞回避はなにも脚本だけの仕事ではなく、台詞以外で補完できるはずのコンテクスト映像やらなにやらでその場で提示する演出絵コンテ仕事でもある。

映像によって発話に至るための場の空気のようなものが出せれば、説明台詞もより受け入れられるものになってくる。

すなわちキャラクターたちの行動や、仕草や表情といった演技に関する部分だ。

説明台詞はどうしたって作品設定を理解するのに必要なのだから、それを説明くさく感じさせないようにするしかない。

その点富野監督アクション以外のパートでも見応えのあるように画面をしっかり構成していた。

半裸は最高!

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