長年疑問だったんだけど、最近ふと思ったのが、
男性が普段から多くの差別を受けていて、何が差別で何が差別じゃないか
分からなくなっているんじゃないかってこと。
差別の問題を考える上で、自分の身に置き換えて考えてみるというのは、
直感的で分かりやすい理解の方法なんだけども、差別されすぎて差別に
なれている男性は、これが上手く出来てないんじゃないかな。
女性「逆に置き換えてみろ!」
アメリカとかいってもさ、教養があって学歴もある(強者の)白人さんが
差別に敏感で気を使って対応してくれる一方で、その辺の通りにいる
汚い格好の(弱者の)黒人さんがイキナリ差別的な言葉を浴びせてきたりするよね。
あるいは話はちょっとずれるけど、毒親の元で育った人は子供との接し方
愛情のかけ方が分からなくて、自分も知らず知らずのうちに毒親化したり。
そういうのと似てるんじゃないかな。
例えば、女性に特定の服装をさせる(スカートとか)のは女性差別だと思うんだけど、
一方でじゃあ男性に多様な服装のあり方が許されているのかというと、そうでもないよね。
日常生活で大してバリエーションもない男性の服装のあり方を無自覚に強要され従っている男性に
スカート強制のダメさを理解できるのか?出来ないだろうなって。
ちょっと前にダサピンクみたいなのが問題になってたけど、女性に特定の色を押し付ける
ことが問題であるのは確かなんだけど、そもそも男性に自由に色を選び表現することが
良いことだというメッセージを社会(や女性)が送ってきたかというと……?
女性は子供を生むべきだみたいなのもさ、成人男性の生き方ってフルタイムで仕事をして働くしか