今朝、電池持ちが深刻になってきたiPhone5をバッテリー交換プログラムに出してきた。ついでに、スリープボタンも診てもらおうと思ってシリアル番号が対象であると伝えたら、
動作は問題ないので、診断プログラムでより詳細を調べた上の判断になりますとのこと。
無条件で交換してくれるものと思っていたので内心がっかりしつつも軽い気持ちでお願いしたら、それから断りなしで40分以上放置された。
最初の5分を目の前の白い壁に目線でイラストを描くと、残りの時間は水底に主人公が落とされた処で止めたままだった本を読んで過ごした。
タンブラーを出して1人カフェ空間を作ろうかと思ったけど、さすがに止めた。
こんな時、脱ぐタイミングを忘れた身を包む少し裾が草臥れたスーツが少し頼もしくて、少し重い。
声を出せない主人公に気持ちがすっかり共感したころに隣のカウンターにおばあさんが腰かけた。
スタバには向かなそうなバッグから取り出したのは少し型式の古いMacBook Proだった。
Apple製品が老若男女に使われてることに、今朝並んだ整理券の列でも驚いたっけと、また意識を本に落とした。
……本の中の全く喋らない男の子と違って自分は喋る。だから、5分くらいの頻度で本から視線を外して深く喉奥で喘ぐ。一心不乱に読み進めるには重い話だった。
たまたま、そんなタイミングが重なって、先ほどのおばあさんと店員さんの会話が耳に入ってきた。
持ち合わせがないので、近くのビックカメラに問い合わせれば、電池の値段だけで大丈夫……
そんな流れでどなたの持ち物かと聞いたのは、マニュアル通りだったのだろう。
だから、店員さんも二度聞きしたに違いない。
「亡くなった娘のです」
このMacBook Proが3台目にあたるとおばあさんの漏らした言葉を聞いたあたりで感極まったようにずっと鼻を啜りあげながら、
父の17回忌の説法で聞いた話ですがと
形見分けとして使い続けること、そのためのサポートの案内など、懇切丁寧に説明していた。説明に熱が入り過ぎて出口を失って、ビックカメラへの道順が3度目の説明に入ったときは内心で笑ってしまったけれども、おばあさんが道に迷うことはないだろうと思う。
ネクタイの柄に、母を思い出したばかりだったから、なんとなく他人ごとに思えずに、最後までつい、そばだてたままの耳を戻せなかった。
iPhone5は、おばあさんが席を立ってさらに本に戻るまでの余韻をたっぷり残して帰ってきた。バッテリー交換のためにそこから20分時間がかかった。なんか、途中から諦めた。
初期化されて、2年ぶりにみたデフォルトの壁紙は雪山の背景に浮かぶ天の川のでとても綺麗だった。でもそれだけだ。
これが最後の携帯になったら嫌だと思う。iTunesを繋げて、センネン画報の、駄菓子の容器を透かしてみた世界に早く戻りたい。
これはまだ形見分けできない。