2014-09-04

日本謝罪にはルールがある

世界標準白人社会がどうかは知らないが、少なくとも日本謝罪にはルールが有る。

  1. 謝罪は、懺悔である
  2. 懺悔は、罪の自白である
  3. 自白は、犯行直接証拠である
  4. 直接証拠は、間接証拠よりも重視される。

少なくない日本人が、罪には相応の罰を求める。

悔い改め更生することではなく、罰することを求める。

そして罰とは、「罪」が正しく認定された結果だと感じている。

前提として、日本裁判について

刑務所更生施設であるので、裁判所は「本人の発言や態度」をみて「更生期間」を調整する。

これは、逆転させると、「本人の発言が、裁判において重視される」と言える。

そして、間接証拠(物的証拠等)よりも直接証拠(目撃証言自白)が重視される。

「血と指紋の付いたナイフ」は、「推認させる」だけであって、直接的なものではない。

被告人自白」は、「犯行事実を直接示す」わけで、直接証拠となる。

自白が信用できる/信用出来ないという話になるのは、それが重要からだ)

物証がいくら積み上がろうとも、自白がなければ犯罪認定は難しいし、

自白さえあれば、物証が少なくても犯罪認定は易しい。

謝罪は、罪の自白であり、罪人は文句を言えない

日本において、謝罪とは懺悔である

罪を認め、罪を悔い改め、罪に対して許しを請う。

罪を認めるということは、罪を自白したということである

自白とは犯行を直接示すものとして、間接証拠物証)よりも重視される。

そして、謝罪したことに対して、許すかどうかは、謝罪を受ける側に決定権がある。

日本において謝罪とは、罰を受ける宣言である

peachpear

こういう謝罪の時いつも思うのだけれど、「迷惑をかけたこと」を謝罪してるだけで「誤った事実」を謝罪してるわけではないんだよな。

「誤った事実」を謝罪した場合、その罪に対して罰を求めるだろう。

日本において「何か抗弁したい場合」は、絶対に謝罪してはならない。

謝罪したが最後、それについて無条件に罪を認めたことになり、なんら抗弁の機会は与えられない。

謝罪以外の発言や態度は、反省していないとして、司法制度上ですら罪が重くなる)

同時に、謝罪とは態度の表現でもある

政治家謝罪が、ピントを外している、判っていないと言われることがある。

なのだ。非常に良く解っている。

「本人の発言や態度」は、日本において司法制度上も重要視される。

まり謝意を示し反省の弁を述べることは重要である

しかし、「自白」は罪の責任を問われる。

例えば、未成年Twitter飲酒自慢をした時には、絶対に「未成年飲酒」について謝罪をしてはならない。

それは罪の告白であり、罪に対しては罰だ。しかし、本人の態度は重要だ。

から、「世間を騒がせたこと」や「タイムラインを汚したこと」を謝罪し、その許しを請う。

世間」は存在しないし、騒いだのは世間なので、結果的にその罪には問えない。

そして、前提でも述べたとおり、「自白」以外で、犯罪認定することは非常に難しい。

飲酒自慢をした相手が、飲酒をしていたと証明し、警察捜査をさせ、公判が維持できると検察判断させることは、相当に難しい。

(何度も言っているが、「自白」していれば、物証殆ど無くても裁判所犯罪認定できる)

まとめ

日本謝罪にはルールがある。

謝罪とは、罪を認め、サンドバッグになる宣言である

罪を認めた場合刑事もしくは民事の責任を問われる場合、無条件に受け入れる必要がある。

ただし、「本人の発言や態度」は裁判所でも重視されるので、謝罪反省の弁は重要である

まり責任を問われたくないことは謝罪せず、謝罪のものはする必要がある。

結果、責任所在曖昧な部分に対して謝罪をするのが、最も簡単である

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん