世界標準や白人社会がどうかは知らないが、少なくとも日本の謝罪にはルールが有る。
少なくない日本人が、罪には相応の罰を求める。
悔い改め更生することではなく、罰することを求める。
そして罰とは、「罪」が正しく認定された結果だと感じている。
刑務所は更生施設であるので、裁判所は「本人の発言や態度」をみて「更生期間」を調整する。
これは、逆転させると、「本人の発言が、裁判において重視される」と言える。
そして、間接証拠(物的証拠等)よりも直接証拠(目撃証言や自白)が重視される。
「血と指紋の付いたナイフ」は、「推認させる」だけであって、直接的なものではない。
「被告人の自白」は、「犯行の事実を直接示す」わけで、直接証拠となる。
(自白が信用できる/信用出来ないという話になるのは、それが重要だからだ)
物証がいくら積み上がろうとも、自白がなければ犯罪の認定は難しいし、
罪を認め、罪を悔い改め、罪に対して許しを請う。
自白とは犯行を直接示すものとして、間接証拠(物証)よりも重視される。
そして、謝罪したことに対して、許すかどうかは、謝罪を受ける側に決定権がある。
peachpear
こういう謝罪の時いつも思うのだけれど、「迷惑をかけたこと」を謝罪してるだけで「誤った事実」を謝罪してるわけではないんだよな。
「誤った事実」を謝罪した場合、その罪に対して罰を求めるだろう。
日本において「何か抗弁したい場合」は、絶対に謝罪してはならない。
謝罪したが最後、それについて無条件に罪を認めたことになり、なんら抗弁の機会は与えられない。
(謝罪以外の発言や態度は、反省していないとして、司法制度上ですら罪が重くなる)
政治家の謝罪が、ピントを外している、判っていないと言われることがある。
逆なのだ。非常に良く解っている。
「本人の発言や態度」は、日本において司法制度上も重要視される。
例えば、未成年がTwitterで飲酒自慢をした時には、絶対に「未成年の飲酒」について謝罪をしてはならない。
それは罪の告白であり、罪に対しては罰だ。しかし、本人の態度は重要だ。
だから、「世間を騒がせたこと」や「タイムラインを汚したこと」を謝罪し、その許しを請う。
「世間」は存在しないし、騒いだのは世間なので、結果的にその罪には問えない。
そして、前提でも述べたとおり、「自白」以外で、犯罪を認定することは非常に難しい。
飲酒自慢をした相手が、飲酒をしていたと証明し、警察に捜査をさせ、公判が維持できると検察に判断させることは、相当に難しい。
(何度も言っているが、「自白」していれば、物証は殆ど無くても裁判所は犯罪を認定できる)
罪を認めた場合、刑事もしくは民事の責任を問われる場合、無条件に受け入れる必要がある。
ただし、「本人の発言や態度」は裁判所でも重視されるので、謝罪や反省の弁は重要である。