何の気なしに大きなスーパーのエスカレーターに乗ると、前にJKが居ったわけだ。
エスカレーターは上にあがって行くわけだから、目線の先にJKちゃんの脚が来ることになる。当然の成り行きである。
ここで脚を見るのは下策中の下作である。
エスカレーターの壁面の多くは、みなさんご存知の通り鏡張りになっておることが多く、このスーパーのそれも同様である。
それがJKであるか否かを問わず、鏡があると、人ってのはふと見てしまうものだ。
ここでJKちゃんのアトラクティブで健康的な脚を凝視した場合、鏡越しに彼女にそれが露見する可能性が極めて高いのである。
後ろの六角精児に似た不健康そうな男が自分の脚をまじまじを見ていることに気付いたとしよう。
私はそれを想像するに堪えられない。
さて。ではどうするか。
私は腕を組み目を瞑る。
JKちゃんに「私はあなたの脚を見ておりませんぞ!」ってことを訴える。
そして思う。思うのだ。
思え。ありったけのこころでおもえ。想え
彼女は東京の6大学に行くかもしれないし地元の教育大学に進学するかもしれないし、専門学校に行くかもしれない。
あるいは就職するかもしれない。
体つきから多分高校3年生と思しき彼女もいわゆる「進路」に悩み、一つの選択をして高校を卒業して行くのだろう。
多分、近くの図書館で勉強を終えてスーパーに立ち寄ったのだろう。
ああ。
高校時代というものは、人生の中でもかなり面白い時期だった。大学も面白かったけど、高校は高校で面白かった。
でも当時はその面白さを客観的に考えたり、他の人生の時期と比較して評価することは出来なかった。当たり前だけどね。
JKちゃんもそうかもしれないし、あるいは私の考えとは思いもよらないことに実際はなっているかもだ。
いずれにせよこれから制服を脱ぎ、色々な世界に触れることだろう。辛いことも楽しいことも、色々あるだろう。みんなそうだ。
誰もが色々な形で自分の能力がどれくらいか? と考えさせられたり、あるいは、能力の限界に気付き始める時期だ。恋愛でも。勉強でも。友人関係でも。
そして自分の身の回りの楽しい世界が永遠に続かないのではないか? と思い始めるのもその時期だ。
そのことは切ない。とても切ない。そしてその切なさは大人になってもふとフラッシュバックするものだ。秋である。
ああ。
これが「増田文学」ってやつなのね