俺は漫画家(※)だが、アイデアが出なくなったら、むしろ沢山作品を作るね。
で、webをつかってなるべく発表する。
とにかく描く。描く。描く。
ガンガン描く。無心になるまで描く。
描き疲れて、気分転換に夜空の下でのんびり散歩していると、突然、『何かが変わったことに気づく』。
「あれ?俺行けるんじゃね?」と根拠の無い自信の火が灯ったら、
コンビニで2日分の食料と眠眠打破を買い込んで、精根尽き果てるまで描き続ける。
朝のチュンチュンに目を覚まして、ふと気づくと、机の上には、普段の自分が想像もできないクオリティの作品が、『ポン』と置いてあるんだ。
そうしてできた作品には、「え、俺が描いたんじゃなくね??」と不思議に思うものさえ、ある(けど、なぜかそういうもんのほうが売れるんだよね)。
『感度』が高まるんだ。
図書館とかに行って、今まで読んだことのない本に自然に手が伸びている。
先月はこのノリで『レトリックの記号論』を借りてきた。芸術系大学を中退した俺には全然関係ない範囲だが、しかしこれがめちゃくちゃ面白かった。
ある日はまた、津田沼の丸善の漫画コーナーで、ふと気づくと、『メンヘラちゃん』とかを買っていた(この作者の作品がWebで読める。読者を選ぶが、心地よい不穏感が独特の味になってる。俺には大ヒット)。
そういう横道が、作品のデェテェイルになっていく(と、俺は信じている)。
こう感じるのは俺だけかもしれないけど、
成功体験とか、誰かの承認とかで嬉しくなっちゃって、『意識高く』なるのが、破滅への登り階段の入口なんだと思う。
一度そうなると、意識の奥にある、創作エンジン(笑)にアクセス不可能になっていく。
創作って、もっと自分勝手で、制御不能で、根源的なもんだろう。
だから『意識高く』なっちゃったときは、全力でヒキこもって、駄作をたくさん作ることに精を出す。
これは本来、自分自身のためだけの創作だけど、しかし誰にも見られないとなると、(俺は)やる気を失ってしまうので(すいません)、一応公開する。
そんな作品を読んでくれて、肯定的なコメントをくれる人もいるけど、多くは総スルーだ。
クソ作品を読んだ読者の、無駄にされた貴重な時間には、お悔やみを申し上げる。済まない。だが君らは必要な犠牲なのだ。
増田文学にいっぱいブクマ(50ユーザーくらい)ついたので調子に乗ってもっと増田文学を書きたいと思ったんだけど、なかなかそんなアイデアなんか出てくるわけがない。 アイデアが...
俺は漫画家(※)だが、アイデアが出なくなったら、むしろ沢山作品を作るね。 で、webをつかってなるべく発表する。 とにかく描く。描く。描く。 ガンガン描く。無心になるまで描く。 ...