世の中は悩んでいる人で溢れかえっています。
友人や部下も悩みを抱えていて僕は相談を受けるし、インターネッツの世界はそれはもう悩みの大洪水状態です。
僕は悩んで苦しむ人の気持ちが理解できません。
分かったとしても他人にまるっと相談している理由がわかりません。
悩んでいる問題に対して、その一部分がわからず、それを誰かに聞く事は理解できますが、
解決策の丸投げは理解ができません。
僕は相談されても、そうだね、大変だね、そいつは酷い話だよ!とお酒を飲みながら聞いてやるくらいしかできず、
どうすればいいと聞かれても、こんな方法もあるんじゃないかなー(平凡)くらいしか言えないです。
だって、その人の人生にとって重要であろう悩みに対して、僕がこうするべきなんて言えないです。
そういうネガティブな悩みって、問題の落とし所を探して妥協しようとしているだけだと思います。
無理やり自分を納得させているにすぎません。
でも僕はそれを口には出しません。まだ子供の頃にそれを口に出して大顰蹙を買った覚えがあるからです。
結局そのまま大人になった僕は、友人はもちろん、部下からの相談にもそんな感じで受け流しています。
でも最近、みんな話を聞いて欲しいだけなんだと思うようになりました。
本当に解決策を求めている訳じゃないんです。ただ聞いて欲しいだけ。
「今までの人生で異性と付き合ったことがあるか」が一番妥当なんじゃないか。
なので一時的なものではなく一旦リア充サイドに行くと人間皆ずっとリア充。
「異性と付き合う」の定義は「お互いが付き合ってると思ってる」くらい。
と、非リア充的に思う。
そこまでいくかはわからんけどその空気の読み方は間違っていないように思う。
2000年ごろからネット上で始まった朝鮮関連のウソを暴く流れは、その10年後にはネット右翼的なものを顕在させていった。
http://didisama.tripod.com/didi/page1.htm
↑この辺なんかがきっかけの1つだろうな。
が、ネット以外の世界では意外とその動きは広まらなかった。マスコミのアンケートによる「韓国に親しみを感じる」的な調査でもかなりの数が「親しみを感じる」を挙げていた。
2,3年前まではそうだった。ネットというのは広そうで狭い世界なんだろう。何年も前から、それを知ればほとんどの人が嫌悪感と復讐心を感じるであろう数々のウソは、それほど知られることはなかった。もちろん、トピック的なところは知られてはいただろうが、トピックが説得力を持つのはその中身、検証内容を知ってこそであって、トピックが示しているものの中身をじっくり見る人が少なかったということだろう。
しかしこの半年くらいで急に「その人たち」の心境に変化が訪れてる感がある。そっちへだだーっとなだれ込んだらこれは行くとこまで行くかも。という予感はしないでもない。