2013-06-12

ミラーリング」は万能か?~その隠された危険

 昨日ゼミの先輩と学食バッタ出会い、とても久々の非ぼっち飯となったのだが、その際「(実名)くんは東浩紀と喋り方が似ている」とのご指摘があった。酒が入るとまんま劣化東浩紀だという自覚はあったが、素面かつ公の場でもあずまナイズされていたとは……。

 敬意や好意を抱く相手の言行と自分の言行とが似てくる現象には「ミラーリング効果」という名前がついているらしい。さらにはこの逆を能動的に解釈した「ミラーリング自分の言行を特定の対象と似せることでその対象の好意を引き出す)」というのがあり、これは対人コミュニケーション重要テクニックの1つとなっているようだ。「それらしい」解説サイトには、「(恐らく動物的なレベルで)自分と同じ言行をする人間を仲間だと思うから」という理由が附されているが、いくら無意識自我の及ばない領域だとはいえ、人間の行動の多くを司る知性を動物の水準にまで落とし、その点のみで理由を探ろうとすることもないだろう。確かにちょっとした言行(会話で応答の際にオウム返しを入れる、同じタイミングで足を組む、同じ物を注文する等々)はそのような理由から来ているのかもしれないが、思うにこれは「(意識無意識にかかわらず)自分のいいところ」が、心身ともに自分とは別の個体である他者の中に見出されたとき、その他者に対して「無意識に」好意的な感情を抱くことにより、理性の管轄外で自己承認を行うプロセスなのではないだろうか。

 だとすればその裏、すなわち「自分のよくないところ」に対してはどうか。シンタックス上は上記したミラーリング効果対偶に当たるので、ミラーリング効果が真ならば「好意的ではない感情を抱く」ということになるが、これだと少々不明瞭なうえ、シンタックス上の真偽は必ずしもセマンティックス上の真偽を保証しない。だが細かい部分を無視し、思い切って「自分のよくないところ」を「自分の悪いところ」に、「好意的ではない感情を抱く」を「嫌悪感を抱く」に置き換えてみると、おぼろげながら見えてくるものがある。「自分の悪いところを他者に見出しとき、その他者に対して嫌悪感を抱く」――これは同族嫌悪理屈を指していると考えることは出来ないだろうか。だとすればミラーリングは、一般に語られない重大な欠陥を抱えているということになる。相手が意識するせざるにかかわらず、「相手の悪いところ」をミラーリングすることで、相手が自分に対して同族嫌悪的な感情喚起する可能性があるからだ。

 そんなわけで、尊敬する人の前ではやや立ちふるまいを意識しなくてはな、と考えた次第でありますおあとがよろしいようで

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