http://anond.hatelabo.jp/20130224011240
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20130228/1362046536
http://d.hatena.ne.jp/toshi_suzuki/20130301/p2
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20130304/1362393613
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超適当に要約すると、撮り鉄はアスペの話題で盛り上がり以下の流れ
差別用語は使われ方によるので変えればいいという考察→差別語は使われ方によるので言葉自体を変えることに意味が無いという意見→差別語を適宜変容させていくことこそが言葉そのものにとって意味のある変化であるという反論
差別語が生まれる流れはいくらでも考えられるし、たしかにその全てに対処していれば不効率が起きて問題が起きる。
コレは間違いがない。
例えばノビーという愛称が侮蔑語になり差別語として使用が禁止されれば池田信夫を呼ぶときになんて呼べばいいのかわからなくなり日本中が混乱するだろう。
そういうどうでもいい部類の穢れ方は小学生の口論でも生まれるし老人ホームとかでお年寄りも日々大量に生産してたりするかもしれない。
つまり、上の記事の中でも言われているように言葉なんていくら変えてもきりがないし生産性を下げるだけなのだ。
けれど「ご飯」という単語がある日突然悪いイメージを帯びてしまったらどうだろうか?
たとえば何かの超大作映画かメガヒットドラマで「ご飯」を連呼する気持ち悪い男が登場してあまりの印象の強烈さで「ご飯」という単語を使用したために
翌日から「ご飯」という単語を聞くだけで相当な人々が気分を悪くしてしまうのだ。
アスペやノビーならまだいいが、「ご飯」という単語は我が国の主食である。それが気分を害する言葉に変化してしまえば人々は食事のたびに気分を悪くしてしまい
まどろっこしくて面倒くさい語り口で文章を書いて疲れたので、簡単に言ってしまうが差別語が差別語になるのは差別される側の影響力次第だと思うのだ。
どれだけ世間に向かって自分たちが差別されることが不利益かアピールできるか、それが差別語が生まれる分水嶺じゃないだろうか?
ノビーという愛称を差別語にしても全体の効率性を下げるだけだが、差別語にして全体の効率性が上がる言葉もきっと存在するし、それは積極的に差別語にすべきなのだ。
では、そこら辺の判断は誰がするか?
きっとそれは世間ってやつなんだと思う、だから、自分たちが有益で影響力があり価値があると世間にアピールできれば自分たちへの悪口を差別語に登録できるし、力がなければそれが出来ない。結構現状のシステムはそうなっているように思うし、このままでいいのではないかと思うのだ。