2012-09-08

自殺について

今日はこんな内容ですか」

「うーん、私もあんまりよくわからないんだけど、自殺?について?」

「みたいですね」

自殺について?何を話すの?」

「わかりません」

「うーん、じゃあ自殺したいと思ったことはある?」

あなたはありますか?」

「私?わたしはー…死にたい!って思うようなことはたまにあるけど、自殺したいって思ったことはないかな」

「どう違うのですか」

「どう?なんていうのかな、落ち込んだ時とか疲れた時とかつらい時とか、なんとなく死んでしまいたいーって思うのと、自殺したいっていうのは違うじゃん」

はい

「でしょ?」

「具体的ではないということですか」

「そうかもね。本当に死ぬのは嫌だし」

「嫌ですか?」

「嫌でしょ?怖いじゃん」

「怖いですか?」

「うん、怖い。死ぬ勇気ないよー」

死ぬ勇気ですか」

「うん。自殺とか怖いじゃん。あと死ぬとかよりもっと楽しいことしたいし」

あなた健康健全なようですね」

「え?そうだよ?」


「では、自殺はする人は勇気があるのでしょうか」

「え、あるんじゃないの?怖いもの知らずというか、怖くないんだし」

「そんな人が死を選ぶでしょうか」

「うーん、わからない。じゃあなんで死ぬの?」

本能です」


「え、なにそれ?」

自殺は、勇気あっての行動なんかではないですよ」

「そうなの?怖くないの?」

「怖くない、というのとはまた違います

「じゃあ怖いの?」

自殺のものは、冷静だったら怖いでしょう」

「怖いのに死ぬんだ。でも勇気じゃないの?」

はい

「じゃあなんなの?」

自殺する人は、無意識自殺しています。」

無意識って?気絶してるってこと?」

「違いますけど、全く違うとも言えません」

「寝てたら死ねないじゃん」

意識的に自殺する人も中にはいますが、私の知っている人はだいたい無意識自殺しました」

ちょっとまって!そんなに知ってる人死んだの?」

「そんなに多くはありません」

「みんな自殺なの?」

自殺の人が何人かいます

「なんで自殺したの?」

「わかりません」

「…そっか。わかったら、わかってたら、わかってあげたり、止めてあげたり出来たかもしれないもんね」

「誰もわかりません」

「そんなことないよ!話聞いてあげたらわかったかもしれないし」

自殺する人の心情は、自殺する人にしか理解できません」

「それはそうかもしれないけど…ほら、止めたり出来たかもしれないし」

自殺を?」

「そうそう。なんか悩み事とか解決したら、自殺したいなんて思わなくなるかもしれないじゃん」

「どうやって」

「…それは、いろんな状況があるからわかんないけど」

「私の知っている人は、元々いつ死ぬかわからないような人で、いつ死んでもおかしくないような人で、誰も彼を助けたり、理解したり、止めたり出来るような人ではありませんでした。だから、いつ死ぬかも何で死ぬかもわかりません。ただ、何故か私に、私以外の人にもわかったのは、「この人死にそうだ」ということだけでした」

「なんでそう思ったの?」

「見ればわかります




無意識とか意識的とかなんなの?自殺と関係なくない?」

あなたは、冷静に死にたいと思いますか?」

「思わない、こわいもん」

「それが正常です」

「当たり前じゃん!もし死にたくなっても私には怖くて無理かなー」

「そうなんです」

「だから自殺とか出来ないと思う」

「それが冷静ということ、つまり意識であるということです」

「え?」

あなたは今冷静で、正常な状態なのです」

「うん。そだよ?」

「正常な状態では、人は死を選ぶことが出来ないのです」

「う、うん。よくわからないけど」

「人は生物です。生きて生涯を全うする事が目的です。自発的に死ぬようには出来ておりません。死んでしまえば生物としての役割を果たせません。ですから、正常な状態では、死を恐れるように出来ています。」

動物みたいだね」

動物です」

「そっか」

「人が死を選ぶときは、勇気がいるでしょうか。死が怖いでしょうか。」

「うーん、わかんない」

「人が死を選ぶときは二つあります

「二つ?」

「そうです。意識的か、無意識的か、です」

「どういうこと?」

はい。人は正常で、冷静な状態で死を選ぶことは出来ないようになっております。ですから死を選ぶ際には二つの状態があります。一つは正常でない、無意識である状態、もう一つは冷静に、生きているより死んだほうがましな状態、この二つです。後者は余程でないと訪れません。致命傷を負って、殺してもらうような時といった安楽死のようなケースが多いです。よほど生きることが苦しくても、意識が働いている間は死に対してのブレーキがかかります。それが恐怖です。生物とはそういうものです。冷静にそれを乗り越える覚悟は並大抵ではありません。切腹などはその代表でしょうか。昔の日本切腹日常茶飯事かのように描かれておりますが、よくよく考えると今の日本で、切腹出来る人、切腹覚悟政治活動なり経済活動なり出来る人は、一人でもいるでしょうか。そう思うと尋常ではない覚悟必要なことがわかります。」

「確かに。でもそんな覚悟死ぬならやっぱ勇気いるじゃん?」

はい。ではもう一つ、無意識の方です。生きているより死んだほうがましな状態が続くと、人体には不思議なことが起こります。頭がボヤケるのです。つまりブレーキを外そうとします。」

「誰が?」

「体がです」

自分で?」

はい絶望が積み重なると、体が自ら死を求めてブレーキを外そうとします。意識は死を恐れるため、意識をボカす。無意識になった状態でその人は自ら死んでしまます。自らの意思、ではなく無意識で、本能で死を選びます。これを私は何度も見ました。見たことがある人は知っています経験したことがある人は理解できます。それ以外の人は自殺についてあまりよくわからないでしょう。」



1.死ぬことに恐怖を感じられる人

あなたは基本的に大丈夫です。自殺の土台にも立っておりません。生きることに悩んで精一杯生きて、自分幸せを見つけてください。

2.いつ死ぬかわからないような人

あなた時間の問題です。付き合う人間を変え、生活環境を変え、生きることに対しての欲求が出るまで、生きることを思い出す作業に取り組んでください。同時に、瀬戸際を乗り越えられないよう、死への恐怖を思い出し、意識的な歯止めを育んでください。

3.無意識に死へ足が向かう人

まず入院してください。本人が自発的に入院するのも困難かもしれません。周りが良い病院を探して入院させ、まず無意識にならないよう、そこから始める必要があります

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