小田嶋隆の発言を見ていて、闇雲に「イジメをなくそう!」「イジメ反対!」という人達は「戦争放棄!」「戦争反対!」を唱える9条信者と同じ臭いがしちゃってどうにも馴染めない。人間社会の摩擦を思考放棄した何の創造性もないポジショントークだと思ったので初増田。
言葉や演技で笑いが取れない場合、番組企画は「公開処刑」か「ドッキリ」に行き着く。
おっと末席でエンタメに関わっている人間としてここは聞き逃せない。そこに創造性を持って挑むのがエンターテナーだと俺は自負しているのだが。舐めてもらちゃ困るぜ。 「パニックに陥った人間が見せる滑稽な仕草」以外どうやって笑いを取るんだい?もっと言うなら「パニックに陥った人間が見せる滑稽な仕草」から以外どうやって人の感情を晒すんだい?涙も感動もここから以外生まれないよ。
大津の事件なんて昭和からつづく安心のお約束パターンだからみんな安心して叩けるだけだろ。楽勝のポジショントークだもんな。そして同じくお約束から抜け出せないマスコミを安心して叩くネットの識者さまたちにはほとほと頭がさがる思い。テレビやマスコミという反撃しづらい相手に対して、彼らが見せる「パニックに陥った人間が見せる滑稽な仕草」を「公開処刑」しているのがこの一連の発言だと思うんだがな。
あるよ、需要。形は違うがね。「痛いニュース」というタイトルのまとめサイトが下手な新聞社よりも読者を持ってる時代。いじめ反対なポジションの人達の文脈から言うと「痛い」って言葉が既に嘲笑の意味を含んでいるイジメの入口。(引き合いに出してごめんね。痛いニュースさん)
21世紀のバラエティーにおいて、最も確実に笑いが取れるのは、「誰かが心底からおびえている姿を、大勢で取り囲んで笑っているシチュエーション」
そして昔からこの構図は同じだぜ?語り口調や切り口が違うだけでな。もうひとついうなら「いじめ」も「反逆」もやってることの本質は同じだぜ。ポジションが違うだけで。創造性ってのは文脈の問題。使い古されたお約束を踏襲するものは飽きたと言われる。まだ見たことがなくて新鮮なお約束を創造性があると評価しているにすぎない。マスコミ批判はしがらみで許されるお約束の許容範囲が狭いからおもしろくないと皆言ってるだけ。
故に闇雲に「イジメ反対」といっている人達は「戦争放棄」と同じで、人間社会の摩擦を否定するだけの、思考停止したポジショントークでしかないと俺は思うよ。
へえ、エンタメ関係の人たちはこういった発想なんだあ・・・べんきょうになるなあ 末席でエンタメに関わっている人間としてここは聞き逃せない。そこに創造性を持って挑むのがエ...