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2022-03-30

アカデミー賞授賞式でのアジア人差別ジョークが波紋…アン・リー監督らが抗議

https://www.cinematoday.jp/news/N0081261

正式に抗議しても改めなかったんだね…

やっぱりビンタくらいしないと話題にならなかったんじゃないか


「現地時間2月28日に開催された第88回アカデミー賞授賞式でアジア人に対する「趣味の悪い、侮辱的な」ジョークがあったとして、映画ブロークバック・マウンテン』と『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』で2度のアカデミー賞監督賞に輝いたアン・リー監督や「スター・トレックシリーズジョージ・タケイら25名のアジア系アカデミー会員たちが、アカデミー賞主催する映画芸術科学アカデミーに抗議の手紙を送った。The Hollywood Reporter などが報じた。

写真問題となっている場面…アリ・Gにふんしたサシャ・バロン・コーエン

 問題となっているのは、司会のクリス・ロックアカデミー会員の投票を集計する会計士としてアジア人の子供たちを紹介するという、“アジア人数学が得意”というステレオタイプを強調した寸劇と、プレゼンターを務めた『アリ・G』のサシャ・バロン・コーエンが「なぜ彼らのためのオスカーがないんだ。とても勤勉で、ちっちゃな性器のついた黄色い人たちに」(その後、「わかるでしょ? ミニオンズのことさ」と続けている)というジョークだ。」

2016年ロックは第88回アカデミー賞授賞式で「アジア人数学が得意」といった

ステレオタイプを強調した寸劇を披露した。

プレゼンターを務めたサシャ・バロン・コーエンもまた、「アジア人は勤勉で性器が小さい」といった内容を

含むジョーク披露していた。)これに対し、アジア系アカデミー会員たちが、アカデミー賞

主催する映画芸術科学アカデミーに抗議の手紙を送った。映画芸術科学アカデミーはこれに対し、

アカデミー懸念を知らせてくださったことに感謝するとともに、どんな要素であっても授賞式が

侮辱的なものになってしまたことを遺憾に思っています。今後の授賞式では、

もっとそれぞれの文化配慮できるよう、全力を尽くします」とコメントした

ロック日本人の敵だろ

映画芸術科学アカデミー事件について正式調査を始めるらしい。

どっちがクロか決めるんだろうな。

2020-09-09

アカデミー賞先進性も見習いたい

アカデミー賞作品賞新基準を発表 「主要な役にアジア黒人などの俳優」「女性やLGBTQ、障がいを持つスタッフ起用」など

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f583b55c5b62874bc158b89

アカデミー賞」を主催している映画芸術科学アカデミー9月9日日本時間)、2024年から作品賞選考に新たな基準を設けると発表した。作品賞を受賞するためにはいくつかの条件を満たさなければいけないとし、その中には、「主要な役にアジア人や黒人ヒスパニック系などの人種または民族的少数派の俳優を起用すること」や、「制作スタッフ重要ポジション女性やLGBTQ、障がい者が就くこと」などが挙げられた。

もしこの基準2020年公開の作品にも適用するなら、主人公アジア女性が演じ、主要なスタッフにも数多くの非白人が携わっている「ムーラン」あたりが有力候補になりそう。

表象代表多様性

 アカデミー賞基準についに「多様性の確保」が盛り込まれることとなった。アカデミー賞審査をするところは、映画芸術科学アカデミーという組織なのだが、この組織構成員割合もまた、同じような「多様性の確保」がなされている。

これは今年の映画芸術科学アカデミー会員への招待者リストhttps://www.oscars.org/news/academy-invites-819-membership)や会員の統計https://www.oscars.org/newmembers2020/pdf/2020_new_members_overview.pdf)を見てみるとよくわかる。

 とはいえ、こうした「多様性の確保」が、この組織だけの問題であるのかというわけではない。

例えば、2016年記事映画芸術科学アカデミーメンバー加入打診で多様化意識」(https://www.afpbb.com/articles/-/3092334)を見てみると、

名簿の公開は、アカデミーメンバーや受賞者の顔ぶれに多様性が欠如しているとの厳しい批判を受けたことへの対応だ。

とあり、映画芸術アカデミーの内部的問題以上に欧米世界問題であることがわかる。

 この「多様性の確保」は、そもそも何を確保しようとしているのか。それは欧米世界における諸人種の公平化である。そして、これは逆説的に欧米世界において特定人種が不当に扱われてきたことを意味している。

そうした歴史は、ここで今更言うまでもないことであるが、日本国内にいる我々にとっては馴染みの薄いことである。(国内においても、様々に人種問題はあるが、ここでは議論しない。)

 では、この「多様性」はどのような意味で「多様」であるのか。それは、まずは人種的な意味で「多様」であるということでしかない。

これは、優等人種と劣等人種という区別構造をそのまま保持しているという点で、レイシズムの裏返しや変奏であるとすらいえる。

そして、それは個々人を判断基準にせずに、単に人種判断基準にするということである

また、こうした「多様」の意味合いは障がい者LGBTといったもの判断基準にすることもある。これは人種とは異なるものであるが、しかしこれにしても人種と同様なのである

というのも、特定属性をその個人表象として扱い、それ以外のものを捨象しているという点で、その構図は同じであるからだ。

そして、そのように表象として個人判断し、あまつさえ、その属性代表として表象化されたその個人活用するのだ。これを残酷と呼ばずになんと呼べばよいのか。

representation という英単語があるが、これは表象という意味代表という意味がある。こうした「多様性」はまさに representation を基礎に据えて考えられた「多様性」なのである

したがって、こうした「多様性概念は、表象代表(representation)の多様性である

 
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