2021-12-04

『ほめのび』を聴けなくなった

『ほめのび』をご存知だろうか。

『ほめのび』とは、今やVTuber事務所の最大手となった『ホロライブ』に所属する白銀ノエルオリジナル曲である

彼女可愛い歌声キャッチーでポップな可愛らしい楽調、そして聴きごこちの良い歌詞が合わさったなんとも魅惑的な曲である

そのような素敵な楽曲を聴けなくなってしまった理由について、このダイアリーで書かせていただきたい。他にこの感情昇華する宛がなかったのだ。

私は20代後半の男性である10代の頃よりさしたる人生目標目的もなく、アクセスが容易であること、コンテンツの量が豊富で飽きないこと、などが理由オタクコンテンツを消費してきた十数年来のオタクである

しかし、私は私自身が摂取しているコンテンツについての知識などを深める執着心はなく、昨今取沙汰されている「オタクコンテンツは消費するがオタクですらない何か」といったほうが近いように感じる。

そんな私は2年くらい前にホロライブにハマった。

可愛い彼女らが常に話しかけてくれる姿、ゲームを楽しみながら実況し配信してくれる姿は無気力人間の私の暇つぶしにちょうどよかった。

さて、私は友達が少ない。学生時代にはつるむほどの仲の連中が数人居たが、卒業に際してそれぞれ異なる場所に住むようになり、時が経るに従い、少しずつ疎遠になっていく。

平日の労役が苦行の私にとって、休日はつかの間のオアシスである休日は家で思う存分VTuberライブアーカイブを見る。それに飽きたら、一人でバイクに乗り、家の近隣を乗り回す。

バイクに乗っているときにかける曲はもちろんホロライブオリジナル楽曲である。ここ1年でホロライブオリジナル曲は爆発的に増え、追うこともなかなかままならないのだが、それはまた別の話。

例によって私は今日も一人でバイクに乗っていた。ホロライブオリジナル曲をまとめた自前のプレイリストを流しながら。

そろそろ目的地としていた場所に到着するだろうかという時に、『ほめのび』が流れる彼女の可愛らしい声に癒やされる。

しかしながら、私は彼女の可愛らしい声を聞いて深い悲しみに襲われた。

なぜなら、その可愛らしい歌声は当然ながら私のために用意されたものではないから。私が彼女をたまらなく愛しく思っても彼女は私のことを愛しいとは思ってくれないから。

そのような当たり前のことに対して改めて向かい合っただけで、どうしようもない無力感と辛さが襲ってきた。

気立てがよく他人悪口は決して言わない彼女お茶目で同じ時を過ごすだけで幸せ気持ちにしてくれる彼女は、しかし私のことを認識すらしてくれないのである

仮に認識されたとして、その他大勢ファンのうちの1人なのだ

では、お金を投げて強く認知してもらえれば私は「幸せ」だろうか。いや、私は幸せにならないだろう。私の持てるお金を全て投げたとしても、「たくさんお金を投げてくれる人」の一人になるだけなのだから

彼女を独占したいという欲が自分から湧くことに驚き、自分に対して強い嫌悪感を抱いた。仮に独占したとして彼女を楽しませる器量の良さもないのに。彼女幸せにできる根性もないのに。そもそも彼女はそれを望んでもいないだろうに。

私はファン失格だろう。推しの望まない感情を抱いてしまっているのだから

自己嫌悪にさいなまれる中、旅の目的地に到着する。家族連れやカップル、友人グループであふれる近所の観光スポットを私は一人歩く。

虚しい感情が湧いたところでバイクに乗って帰路につく。音楽はかけず、誰も待たない1Kの自宅に向かう。

そうして、私は『ほめのび』を聴けなくなった。彼女を愛しく思う気持ちは、自己嫌悪増長させる呪いとなったから。

  • スバルのための歌だからな

  • "彼女を独占したいという欲が自分から湧くことに驚き、自分に対して強い嫌悪感を抱いた。仮に独占したとして彼女を楽しませる器量の良さもないのに。彼女を幸せにできる根性もない...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん