僕は自分に関して出口が無いとはもう思わない。
仮にそう思っていたとすればそれは凡そ十五年前から四年くらい前の間で、基本的にそのくらいに感じていた「出口のなさ」は僕の人生からは大幅に減退している。つまり僕の人生は直近四年くらいは「出口のなさ」に苛まれずに済んでいるということだ。
しかし一方でこの「出口のなさ」を他者から感取する機会が増えた。「こいつ出口ねえな」と他人に対して思うのである。正直、自分でもこの述語用法の意味がよく分からなかった。「『出口がない』ってなんすか」という話である。なんなんすか、と大分長いこと考えていたのだけれど、半年くらいぶりにようやく答えが出た。
極言すれば「出口のない」やつは基本的に選択肢が目の前に一つしか浮かんでないタイプのやつだ。
例えば、野良猫がいたとすれば、その野良猫を前にして取れる選択は幾つかある。「無視する」「声を掛ける」「鳴き真似をしてみる」など。でも、この「出口のない」タイプは常に「無視する」しか選択肢がないタイプなのだ。いや経済的に選択肢のないタイプとは違う。つまり思考が固定化されていて、ある程度以上の自由度のある選択肢を取れないタイプなのである。あるいはそこに「迷いの無さ」というポジティブな述語を導くことができるかもしれないけれど、いやそんなんじゃねえんだと。行動の固定化というのは迷いもなければ意志もない。そこにその選択肢しか無い状態なのである。
そういう奴ってホントにいるんすか? という質問に対しては、ホントにいるよ、としか答えられない。
しかもこういうタイプの人は、別にコミュニケーション能力が劣ってるとかそういうのではないのである。むしろコミュ障タイプの人よりも一定のコミュ力や社会的能力を身に着けている人ほどこういうタイプに陥り易い。つまり、一定の成功体験を経てその成功体験によって行動パターンを固定化させてしまっているパターンの人なのである。ある種の成功体験がむしろ彼らに行動の固定化を迫るのだ。「これまでこうやって成功していた。だから次からもこうやろう」と。まあ気持ちは分かるんだけど。
はっきり言ってこの自己の固定化って、つまり「出口なし!」ってな状況じゃないか? それって地獄じゃないか? と思う次第である。上手く言えないんだけど、選択肢のない状況は即ち自由のない状況に直結するのだと思う。それって端的に地獄じゃないだろうか。
かつて、十五年ほど前に僕はこの地獄から逃れるために本当に命を掛けて戦った。十五年前に戦闘を開始して僕はそれを十一年間続けたのである。だから今はその出口のなさ、自己の固定化によって苦しむことは殆ど無くなっているのだけど、今もなお当時のことを思い出すにつけあれは地獄だったと思う。ずっと僕はカフカ的地獄の中にいた。自分が一人しかいないという地獄だ。全く選択肢が無いという地獄だ。本当にそれはこの世の地獄だったのだ。
でも僕は自己の固定化から抜け出した。それは文章表現の寄与によるものだ。僕は昔から詩や小説を書くのが好きだったし、ついでに言うと歌を唄うのも好きだった。つまり自己表現が好きだったんですね。で、自己表現というのは避け難く自己の多重化である。自己の表現したものと自己それ自身は微妙に異なっていて、そこには僅かなグラデーションがある。微かな色彩の差異。表現の直後から時間が経つにつれて広がっていくところの微差。十年前のテキストはまるで他者の書いたそれのように感じられる。「これ本当に俺が書いたっけ?」てな具合である。でも本当に僕が書いたのである。
僕が救われたのは十五年前に2chの専門板『詩・ポエム』板に書いた一篇の詩によってであった。
それは本当に救いだった。
「あれ? 地獄終わったじゃん」僕の十年以上彷徨っていた地獄が、その詩を再見することによって終わったのである。それは健全な自己の多重化であった。自己が自己でありながら他者であるという経験。自分が書いたにも関わらず他者が書いたとしか思えない十年の誤差、時間差。それが心に真っ直ぐ突き刺さったのだ。僕は僕であって同時に僕ではない誰かであるという、矛盾の受容。それは、僕が僕以外の誰かであるという分裂ではなく、矛盾の解消であり受容だった。それは僕にとって明確に救いであり、救済だったのだ。
僕の人生には出口ができた。すっごくそれは素敵なことだった。何せ息ができるのだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
でも、僕が人生で出会うのは「自己の多重化・矛盾の受容」とは正反対の方向へと突き進む「自己の固定化」方面の人々である。そっちには地獄しかねえんだよそれは僕が通ってきた地獄なんだよ! というメッセージは彼らには届かない。彼らは成功を通じて地獄へと進んでいくからだ。彼らはそのやり方である程度の利益を得た経験があるからだ。でもなああああそれは地獄なんだよ! そっちに出口なんてねえぞ!
それ中学時代の日記を発見し読み返したときの気持ちみたいなもの?
出口の現代文 マネックス証券 出口社長
芸術系学部じゃない大学の演劇部って感じ
他人に向かって失礼な奴だな お前こそ詩なんかにちゃんに書いて出口ねえぞ
まあ15年前の話なんでね...
お前の肛門は入り口ってことか? ちょっと見せてみろよ