2020-05-11

人生最後夏休みがもう少し長く続きますように

人生最後夏休みなんだから、目一杯楽しみなよ。

社会人になったら夏休みなんかせいぜい数日、こんな長期的に休みがあることなんかない。やりたい事があって金が足りないなら、いくらでも貸してやるからな。」

今思えば、あの時もっと父に金を借りておくべきだったのだ。

実家は太いけど、太いからといって「お父様にお願いすれば何でも買ってもらえますのよオホホ」みたいな悪役令嬢みたいな事にはならない。ある程度のものは頼んだら買ってくれるかもしれないが、頼む気にならないというのが実際のところだ。

普通にバイトだってしていたから、1000円のものを買えば「ああ1時間分の労働が消えてしまう……」と相応にケチ思考が巡る金銭感覚なのだ。罪悪感が募って父に金を借りることなどできるはずもない。

インドアだったか自転車日本一周しようぜ!的な面白いことは出来なかったが、それでも行きたいところに日帰り含めて旅行をしたり、卒論を書いたりして過ごした。

その時はそれで精一杯に楽しんだつもりだったのだが、後になってみると後悔が残るものだった。

1万円の価値が「学業の隙間に10時間ほどバイト入れてやっと手に入る大金から「1ヶ月に20枚貰えるチケット」に変わった。要した労働時間のものはたいして変わっていないのに、1ヶ月に手に入る総数で価値観が変わってしまうから面白いものだ。

あの夏休みギターを買って、音楽世界に飛び出してみたら良かった。オンラインセミナーとかで音楽を覚えてYoutubeとかで発信したら面白かっただろうとかそんな事を考えていた。

ギター社会人になってから買って、週末習っていた。今は営業自粛中なので過去形だが。でもあの膨大な時間をどうして使えなかったのか。週末のレッスンは平日残業で疲れきった社会人には体力を振り絞って行くものだった。

あの夏休みをもう一度出来るなら、もっとお金を使って、やってみたかった事に飛び込んでいくのに。

社会人に慣れてきたある日、職場からこんな事を告げられた。

「このビルで新種のウイルス感染した人間が出た。世界的に死者を多く出しているウイルスだ。

このビル危険地帯となった。だからここで仕事をすることは、今後出来る限り避けようと思う。」

間もなくテレワークというやつが始まった。

しかリリースが終わったばかりで、我がチームは体の良い社内ニート状態になっていたところで、そのテレワークという奴でも特にやることはなくなんとなく日報を仕上げて提出したら終わりだった。

やることもなく8時間家でパソコン監視しなければいけない生活が始まった。ふと、あの時出来なかった後悔を形にしてみることにした。教材を買ったり、新しい事に数々挑戦した。PCを使うようなことはサブのPCでやればよい。

そして間もなくプロジェクトの終了を聞かされる。下された命令は「自宅待機」だった。給料交通費を除いて全額出るという条件で、強制ニート生活が幕を開けた。

あの日想った夏休み

学生時間と、社会人の金を兼ね備えた時間

残念ながら外に出る用事は果たせないという縛りプレイではあるが、家でできることも無限にある。世間不況からお金に余裕のある人間お金を使うことが道徳的合理性を帯びた。

人生最後夏休みが始まった。

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