2018-12-01

表現の自由」のくに

フェミニストの一斉弾圧から10年。

20☓☓年の日本ではクリエイター権利神聖不可侵のものとされていた。日本コンテンツ海外に売り込もうという政府意向と、表現の自由を最大限にしたいというクリエイターおよびそのファンの願望が合致したのである保守派議員表現規制を推進しようとした時代はとうの昔に終わり、いまや与党の中枢は表現の自由戦士で占められていた。

刑法改正されて「クリエイター侮辱罪」が制定され、表現の自由侵害するフェミニストの一斉弾圧が行われた。それは表現の自由侵害であると主張した憲法学者弁護士たちも逮捕された。

 現在逮捕された彼/彼女たちは思想改造のため、強制収容所収監され、萌え絵エロ絵に囲まれ生活している。しかし、その一部は弾圧を逃れ、「隠れフェミ」として地下活動に励んでいるとされていた。警察はいまもその行方を追っている。

 街角でも、萌え絵エロ絵に対する批判はいっさい禁止され、公共の場に氾濫するエロ絵に「違和感」でも表明しようものなら、即座に密告され、逮捕収監される状況になっていた。コミケでは、エロ絵のバッグが大々的に復活し、終了後のりんかい線ゆりかもめには幼女の裸のイラストが溢れる事態となった。

 渋谷大通り幼女の裸体イラスト広告が大々的に掲示されたときには、CNNBBCは「二次元ポルノ大国日本」として報じたが、そうした記事SNSで紹介するだけでも「出羽守」「売国奴」とみなされ、たちまち糾弾対象となった。

 街角書店はほぼ全滅し、大規模書店大都市の中心地にみられるだけになっていたが、そのなかで大部分の書籍の表紙は萌え絵になっていた。夏目漱石森鴎外などの小説の表紙は言うでもなく、ハンナアレント人間の条件』の表紙は当然のごとくデフォルメされた美少女アレントであり、アリストテレスニコマス倫理学』の表紙にはニコニコしながらマスをかいている美少女イラストが描かれていた。フェミニスト書籍は言うまでもなく大部分が発行禁止になっていたが、ストロッセンや初期の牟田和恵などの著作は大々的に宣伝されていた。

 この頃になると、全国民あいだで「二分間憎悪」が行われるようになっていた。ある時刻になると、街角スクリーンや各々のスマホの画面に「パブリック・エネミー」が現れる。それを国民全員で罵倒するという儀式である

 そのパブリック・エネミーには、かつて名を馳せ、いまは地下で活動しているとされるフェミニストが選ばれていた。そのフェミニストたちがスクリーンに登場するや否や、国民は男女を問わずフェミナチ!」「全体主義者!」「表現の自由の敵!」といった罵詈雑言をぶつけるのである二分間憎悪最後には、そうしたフェミニストたちが性的に陵辱されるアニメが映し出された。これも「表現の自由」により擁護される表現なのであった。

 そうした体制違和感をもち、密かに「隠れフェミ」に関心をもった女性がいた。やがて彼女は『フェミニズムと表現の自由』なる著作を手に入れ、その内容に惹かれていく。だが、実は「隠れフェミ」は彼女のような異端者を駆り出すための仕掛けにすぎず、『フェミニズムと表現の自由』もその餌にすぎなかった。

 熾烈な拷問の結果、彼女クリエイターへの忠誠を誓って解放される。彼女はただ処刑されるのを待つだけの身である彼女が見上げると、そこには巨大な幼女の裸体のイラストが掲げてあった。そうして彼女は泣きながら、自分がそれを愛していることに気づくのであった。 

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