2015-11-10

簿記会計の知識は大事である」ということを学校で教えろや

簿記の基本を学校で教えとけっていう増田http://anond.hatelabo.jp/20151109212125)がいて、ブコメもたくさん集まっていて、

だいたい「その通りだ」という意見とか、「そんなもん、必要になったら学べばよい」みたいな意見とか、

「何を削るんだよ。学校では基礎教養を教えるべき」とかいろいろあるけど、

多分、問題なのは、そこそこ一流という学歴を得るための日本教育カリキュラムをまっとうにこなしても、

簿記とか会計の仕組みや考え方が、世の中においてかなり大事な仕組みであり、しかも、人類知的遺産の一つである、という認識

まれにくいことなんじゃないかと思う。

で、そのまま、管理職になったり政治家になったりジャーナリストになったり評論家になったりして、

なんか、いろいろ混乱させている気がする。

必要になったら自分で身につけられる」って、それは当たり前で、必要になりゃ人は学ぶもんだ。

あと、別に実務的な帳簿のつけ方を、必ずしも全員に教える必要もなくて、

それより学校で教えるべきことは、いろいろあるとは思う。

例えば、政治の分やでは学校民主主義とか基本的人権大事ですよとか、現代につながるそういう思想

市民革命を経て生まれたんですよとか、そういうことを、学んだりする。

それは、必ずしも、いわゆる「公民」の分野だけじゃなくて、世界史とか学んでも、そういう視点がある。

なのに、会計学とか、株式会社とか、そういう概念については、あんまりそういう視点で教えない。

少なくとも、オレ自身が受けてきた教育はそうだった。

簿記起源や諸説あるらしいが、そのうちベネチアジェノバ商人に導入され、ヨーロッパで洗練されていったものらしい。

オレ自身、詳しくはないが(なにせ、学校で習わないし)、その後、株式会社というものが生まれて、

ヨーロッパ文明大航海時代から植民地支配へと、傍若無人な力を発揮するうえで、

大切な役割果たしていったんじゃないかと思う。

で、今の社会だの世界情勢だのを語るうえで、企業というもの無視するわけにはいかんだろう。

日本社会多数派がそこに属しているわけだし、一生かかわらずに生きる人は多分いない。

別に、具体的に仕分けがどうこうとか、細かく必修で教える必要はないだろうし、

そんなことして別の内容を削る必要もないと思うが、

世に複式簿記というものがあり、それがどんな重要役割をはたしているかということだけは

教えておけばいいのではないか?

その程度だったら、既存社会科の内容をちょっと手直しすりゃ、できると思う。

少なくとも、日本史で、仏像写真みて仏師名前をこたえられるようになったりするより、大事な気がするし

社会科といえば「いいくにつくろう鎌倉幕府」(最近は、年号違うらしいけど)とかを思い浮かべるばっかりとかいうより、

ましな結果になると思う。

興味が湧いたやつは、そこから深堀したり、進学先を経営学部商学部にしたりするだろう。

今のカリキュラム普通科高校に進学したやつは、

そもそも、学校で学ぶ範囲の中で「興味を持つ」ことすら難しいんじゃないか?

いや、実際の今の学校カリキュラムを、詳しく知らないが。


オレは学校で周期律というのを習ったが、社会に出て実際に役に立ったことは、ほぼ無い。

それでも、過去にああいものが作られて、それで世の中の物質がすべて説明できて、

そういう知識が積み重なって化学が発展してったことを

学校で学んだことはムダだったとは思わない。

実際に帳簿を付けたり仕分けをしたりはしない人たちにとっても、

そういう感じで、「複式簿記というものがあり、それは大事ものなんだなあ」と知っておくべきだと思う。

社会に出て、実際に具体的な知識を身につける必要に迫られた人は、多分

「ああ、社会科時間になんかいってたのは、こういうことなんだなあ。もっと学生時代勉強しとけばよかった」

と思うはずだ。

「実務的な簿記の知識」は教養ではないだろうが、

ヨーロッパ文明が「複式簿記」という仕組みを洗練させ、それが、現代まで続く、企業会計の基礎になってきたという

そのことを知るのは「教養」だと思う。

で、「教養」を身に着けさせるのは、学校の大切な仕事だろう、と、思うのだ。

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